ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

数コラム(№34)2006年3月  262万枚  10年間で輸出されたイタチの皮の数

2008年03月31日 08時55分16秒 | 数コラム
数コラム(№34)2006年3月
262万枚
10年間で輸出されたイタチの皮の数
 前回と同じく『歴史と民俗16 神奈川大学日本常民文化研究所論集16』(平凡社 2000年)に収録の「現代のマタギ」(田口洋美)から要約。
 大正2年から大正11年の10年間で、イタチの皮が欧米向けに262万枚輸出された。欧米での需要の増大があってのことだが、市場があれば商人が動く、猟師も動くということか。まだ猟友会も、毛皮収集の組織もなかったころだ。
 それでもすでに、「軍は明治半ばから銃器や弾薬の民間払い下げを行って、狩猟を奨励していったんです。陸軍の兵器廠が1回で民間に払い下げた村田銃は、6000挺から8000挺」にもなって、「市場偏重型の狩猟」時代の下地はできていた。
イタチの皮262万枚、1年平均26万枚はどうやって捕獲されたのか、銃ばかりなのか、罠にもよるのか、わからないが、これだけの数を生み出した当時の日本列島の自然の豊かさが想像される。イタチには相当なダメージがあったのだろうが、いずれ始まる高度経済成長による自然環境の改変、破壊とは比較にならないだろう。

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