おわりに
第1章(小豆 ケガレの象徴として)で紹介したように、柳田国男は年中行事における小豆の使われ方について「何かまだ隠れている根拠」があるのではないかと疑問を提示している。それに対する答えとして私は、小豆がケガレの象徴であることを各地の民俗事例を引いて検証してきた。そして餅や小豆などの負っている象徴としてのケガレを行事のなかでどのように祓ってきたのかを、やはり民俗事例を引いて説明してきた。柳田に「隠れている根拠」という漠然とした疑問を抱かせた小豆は、ケガレの象徴である。その疑問は餅についてのわかりにくさと共通するものである。なぜそれにカラスがかかわってくるのか。それはカラスはケガレを運び去る役目を負っているからである。それについても射日・招日神話をあてはめることによって検証できること、そして正月行事は天岩屋戸神話、その起源である射日・招日神話を再現する行為であることを検証してきた。
次号では反閇の謎に迫っていこう。反閇とは定説になっている地霊や邪悪な霊を踏み鎮めることではなく、太陽を鎮めることである。ケガレの太陽を鎮めて望ましきひとつの太陽を呼び出すことである。今号では、さまざまな行事の場面で実はケガレ祓いが行なわれていることを明らかにした。そして次号ではさらに、反閇がもうひとつのケガレ祓いの方法であること、つまり正月の迎え方としてのもうひとつの方法として反閇が存在することを明らかにしていこう。
第1章(小豆 ケガレの象徴として)で紹介したように、柳田国男は年中行事における小豆の使われ方について「何かまだ隠れている根拠」があるのではないかと疑問を提示している。それに対する答えとして私は、小豆がケガレの象徴であることを各地の民俗事例を引いて検証してきた。そして餅や小豆などの負っている象徴としてのケガレを行事のなかでどのように祓ってきたのかを、やはり民俗事例を引いて説明してきた。柳田に「隠れている根拠」という漠然とした疑問を抱かせた小豆は、ケガレの象徴である。その疑問は餅についてのわかりにくさと共通するものである。なぜそれにカラスがかかわってくるのか。それはカラスはケガレを運び去る役目を負っているからである。それについても射日・招日神話をあてはめることによって検証できること、そして正月行事は天岩屋戸神話、その起源である射日・招日神話を再現する行為であることを検証してきた。
次号では反閇の謎に迫っていこう。反閇とは定説になっている地霊や邪悪な霊を踏み鎮めることではなく、太陽を鎮めることである。ケガレの太陽を鎮めて望ましきひとつの太陽を呼び出すことである。今号では、さまざまな行事の場面で実はケガレ祓いが行なわれていることを明らかにした。そして次号ではさらに、反閇がもうひとつのケガレ祓いの方法であること、つまり正月の迎え方としてのもうひとつの方法として反閇が存在することを明らかにしていこう。
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