ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ケガレの起源と銅鐸の意味49 引用・参考文献 「今号における新たな知見」

2016年10月30日 09時56分47秒 | 日本の歴史と民俗
   引用・参考文献

1)  p4 木村成生「餅なし正月の意味と起源」『個人誌 散歩の手帖』27号所収、2014年、p21。
2)  p4 坪井洋文『イモと日本人 民俗文化論の課題』未来社、1979年、p177。
3)  p6 1)に同じ、p23。
4)  p7 柳田国男「小豆の話」『定本柳田国男集』第14巻所収、1978年、p460。
5)  p8 何彬「儀礼食・節句食のシンボリズムとアイデンティティ 中国北方漢族の場合」『東アジアにみる食とこころ 中国・台湾・モンゴル・韓国・日本』所収、おうふう、2004年、p16。
6)  p8 5)に同じ、金天浩「韓国シャーマンの儀礼食」p158。
7)  p8 5)に同じ、野村みつる「産育習俗における儀礼食と食物禁忌」p241。
8)  p9 廣野卓『食の万葉集 古代の食生活を科学する』中公新書、1998年、p76。
9)  p9 柳田国男「小豆を食べる日」『定本柳田国男集』第13巻所収、1976年、p395。
10) p10 柳田国男「知りたいと思ふ事二三」『海上の道』巻末に所収『定本柳田国男集』第1巻所収、1978年、p214。
11) p10 10)に同じ、「稲の産屋」『海上の道』所収、p208。
12)  p12文化財保護委員会『無形の民俗資料 記録 正月行事』全4冊、1966年~1971年。
13) p12 1)に同じ、p9~p10。
14) p15 1)に同じ、木村成生「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p40。また『個人誌 散歩の手帖』25号、2012年。第3章「弓神楽から天岩屋戸神話へ」に詳述。
15) p15 木村成生「烏勧請の起源 第1部」『個人誌 散歩の手帖』25号所収、2012年、第5章「1日の始まりは日没から」。
16) p15 木村成生「烏勧請の起源 第2部」『個人誌 散歩の手帖』26号より、「余った危険な太陽」について引用する。
   太古、稲作農耕文化にともなう射日・招日神話において、カラスは太陽であり、太陽を運ぶ鳥であり、さらに太陽の昇降や鎮静を司る大役を負った鳥だったのである。人々は祭りの夜を徹して日の順調に巡ることを祈り、強すぎる太陽の象徴としての餅や団子を余った太陽として、日が昇るまえに、祭りの最後にカラスに与えたのである。餅や団子は太陽の象徴、それも強すぎる太陽、余った危険な太陽の象徴なのである。したがって烏勧請でカラスに餅や団子を与えるというのはカラスに危険な太陽を運び去ってもらうという意味なのである。
17) p16 小野重朗「夏正月と大隅の民俗」『日本民俗学』130号所収、1980年。
18) p16 長島要一「W・ブラムセンの情熱 『和洋対暦表』と古代日本」『図書』741号所収、岩波書店、2010年11月号。
19) p18 8)に同じ、p76。
20) p19 8)に同じ、p61。
21) p20 『土佐日記 蜻蛉日記』日本古典文学全集9、小学館、1973年、p43。
22) p20 『枕草子』上巻、新潮日本古典集成、新潮社、1977年、p22。
23) p21 金田久璋『森の神々と民俗』白水社、1998年、p105。
24) p21 2)に同じ、p94の事例35。
25) p22 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p54。
26) p25 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p46。
27) p26 木村成生「烏勧請の起源 第1部」『個人誌 散歩の手帖』25号所収、2012年、p36。
28) p27 林弥栄監修『山渓ハンディ図鑑1 野に咲く花』山と渓谷社、2003年、p540。
29) p30 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p30。また『定本柳田国男集』第14巻所収「モノモラヒの話」p286~p289。
30) p31 15)に同じ、p35「尾張大國霊神社の儺追神事」およびp37「桑樹と射日神話」の項。
31) p34 15)に同じ。
32) p34 16)に同じ、p35、p41。
33) p35 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p50。
34) p43 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p40の「オドクウ様からスサノヲへ」。
35) p50 新谷尚紀『なぜ日本人は賽銭を投げるのか 民俗信仰を読み解く』文春新書、2003年、p204。
新谷は、ケガレは投げ捨てることによって祓え清められるとしている。たとえば貨幣はケガレの吸引装置であり、賽銭ではケガレを放ち捨てて祓え清めているのだという。だから神社は人々のケガレが祓え捨てられる場所である。神社はケガレの吸引浄化装置であると断じている。まことに強引な決め付けをしている。ではなぜ投げられるのが貨幣なのか。なぜ貨幣はケガレの吸引装置なのか。なぜ神社はケガレを浄化できるというのか。これらについては説明がない。
36) p51 15)に同じ、p40。また、『無形の民俗資料 記録第6集 正月行事2 島根県・岡山県』のp49。
37) p54 15)に同じ、「烏勧請の起源 第1部」。また、萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道 日本文化の原点を追う』大修館書店、1996年、第1章。
38) p54 15)に同じ、p41。
39) p58 柳田国男「山の人生」『定本柳田国男集』第4巻所収、筑摩書房、1973年、p100。
40) p63 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」p54「餅の一方向性」の項。
41) p66 小野重朗「南九州の正月仕事始め儀礼―山ノ神信仰の展開」『日本民俗学会報』34号所収、1964年。
42) p67 文化財保護委員会『無形の民俗資料 記録第5集 正月行事1 鹿児島県・大分県』、p11。
43) p68 15)に同じ、「第3章 弓神楽から天岩屋戸神話へ」。
44) p69 1)に同じ、「小正月の訪問者と餅のゆくえ」、p57「柳田、折口の提示した餅についての疑問」の項。
45) p70 萩原法子『熊野の太陽信仰と三本足の烏』戎光祥出版、1999年、p117。
46) p70 萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道 日本文化の原点を追う』大修館書店、1996年、p54。
47) p71 15)に同じ、p24「なぜスサノヲは暴れ、ウズメは踊るのか」の項。
48) p74 吉野裕訳『風土記』平凡社ライブラリー、2005年、p323。



   今号における新たな知見

1.P4  小豆はケガレの象徴であること。
2.P7  柳田国男は小豆の使い方について疑問を持っていたこと。
3.P11  小豆の使い方と餅なし正月とは共通している。
4.P13  オヘギが「おはぎ」の語源である。
5. P16  古代のある時代まで1年を2年に数えていたと考えられる。
6.P22 片品の猿追い祭りも天岩屋戸神話の名残りである。
7.P23 謡の起源は天岩屋戸神話におけるアメノウズメの「ウケ踏みとどろこし」による音である。
8. P28 雑煮の名の由来は正月の残り物を何でも混ぜ入れたことから。
9. P29 七草雑炊でまな板をコンコンたたくのは、反閇である。
10. p30 柳田の疑問「モノモラヒ」はケガレを運び去ること。
11. p32 五目飯、混ぜ飯などに混ぜ物を入れるのは米の足りない分のおぎないではない。
12. p33 日待ちも射日・招日神話にさかのぼる。
13. p34 赤い鯛の意味もケガレである。
14. p36 山の神の起源はケガレの餅、つまりケガレとしての余った危険な太陽である。
15. p40 餅を焼くことは、焦げ色によってケガレをつけたことを意味する。
16. p49 カラスに与えるものだから、米や銭などの供物は投げられる。
17. p52 ケガレの象徴としての墨を祓えやったことから、墨塗りは祝いになる。
18. p61 歳桶が重要なのは、アメノウズメの踏み鳴らしたウケフネにさかのぼるからである。
19. p63 ハマイバの意味はケガレの太陽を射るところ。

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