ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

霞網猟にみる冬鳥の渡り時期

2007年05月18日 10時58分47秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№42)2005年11月 
霞網猟にみる冬鳥の渡り時期
日本野鳥の会発行の雑誌『野鳥』の第1巻第6号(昭和9年発行)は鳥の渡り特集となっている。そのなかで今は禁止されている霞網による野鳥の捕獲の様子が中西悟堂によって伝えられている。場所は八王子市の東南部の多摩丘陵で、捕獲時期は毎年10月15日から12月5日ころまで。盛期は10月20日から11月10日ころまでの20日間で、その前後は鳥の渡りがずっと減るという。
そのなかから冬鳥で、比較的猟の多い鳥、ということは個体数の多いというのとほぼ同じ意味になると思うが、まずそれを列挙しよう。
○ツグミ(10月27、28日頃が前盛り、11月2、3日頃本盛り、11月7、8日頃が引盛り)
○シロハラ(10月10日頃渡りぞめ。盛時は大体ツグミと同じ。マミチャジナイもおよそ同断)
○マヒワ(10月15日頃より。多いのは20日以後で、何百と来る日もある。翌春まで捕れる)
○アトリ(10月20日頃から出始めて連続して来つづけ、多い時は数千に上り、ツグミよりも多く捕れる)
○アオジ(10月20日頃に2、30羽、同24、5日の本盛りには数百に上り、11月一杯渡る)
○カシラダカ(早くから来て、引きつづき翌春までは漸次ふえる。「春構え」といい、翌春の方が多く捕れる)
同じ東京都の西部にある丘陵地帯として多摩丘陵と草花丘陵はほぼ似た自然環境といえる。では、現在のおもに草花丘陵での冬鳥の状況と昭和初期の多摩丘陵での状況を比較してみよう。
まずツグミについて、前盛り、本盛り、引盛りと言っているのは、猟のことばだろうか。10月下旬が来はじめなら、現在もだいたい同じ。だが、今では盛りというには程遠く、ちらほら見える程度。シロハラが若干ツグミより早く来るというのも同じ状況。マミチャジナイは見たことがない。激減しているようだ。マヒワは年による差が大きく、見られない年もある。草花丘陵では数10羽から百数10羽程度までの群で見られ、12月から4月いっぱいくらいまでいる。10月には見たことがない。アトリは現在の草花丘陵ではごく少ない。アオジの来はじめはだいたい現在も同じだが、大きい群は見たことがない。カシラダカも草花丘陵では、たまに小群に出会う程度で、むしろ多摩川など少し開けた環境のほうが数は多いのだが、「多く捕れる」などという状況には程遠い。
つぎに当時でも少なかったという冬鳥はクロジ、イスカ、ノジコ、ミヤマホオジロなど。これらは現在も少ない。草花丘陵ではクロジがほぼ毎冬記録されるが、たまに見られる程度。ミヤマホオジロは年によって見られることもある。イスカ、ノジコは見たことがない。
冬鳥ではないが、イカルも「極めて少数」となっているのは、印象がちがう。『野鳥』の同じ号の別の記事、たとえば木曽谷での捕獲数をみるとイカルは少ない鳥ではない。関東地方あるいは多摩地方には当時少なかったのかどうか。
多摩丘陵での昭和6年10月20日から11月末までの40日間での捕獲数のうちツグミ類が2599羽、小物1775羽、計4374羽と中西悟堂は報告している。
そしてウソがいちばん遅く来る。ウソが現われたら猟期は終わりだという。現在の草花丘陵もやはりウソは遅い。11月下旬か12月に入らないと現われない。なぜウソだけは遅いのだろう。そこで、
次のテーマは、どうしてウソは遅いのか
草花丘陵と鷹ノ巣山、それといくらかの文献でウソのいる場所をさぐってみよう。

ウグイス、9月のさえずり

2007年05月17日 12時13分11秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№41)2005年9月 
ウグイス、9月のさえずり
 2005年9月2日、草花丘陵の尾根上のハイキングコース。尾根の北面からウグイスの囀りが聞こえる。3声、朝6時35分、蝉時雨のなか。その後、尾根上のゴルフ場の道路沿いに山頂方向へ声が移動していき、数えていくと「ホーホケキョ」を26声、そして北面のヤブへ飛び込む姿が初めてちらっと見えて、その後8声聞く。鳴いていたのは1羽のようだ。
 これにはとても驚いた。たいへんなものを聴いたと思った。9月にウグイスの囀りを聴いたのは初めてだからだ。ウグイスの鳴き止み時期が近年次第に遅くなっているとはいわれているが、ついに9月に入ったか。
 そこで自分のデータ、その他手元の資料からウグイスの終囀時期を洗ってみる。
 まず草花丘陵では1996年に8月22日、2002年に8月27日という記録があり、今年も8月22日に丘陵内で聞いた。その周辺の多摩川では今年8月31日にも聴いており、そしてついに9月2日が出た。以前、多摩川の睦橋周辺を歩いていたころのもっとも遅い記録が1995年8月21日。山の高いところでは遅くまで鳴くという印象があったが、実際はそうでもないらしく、鷹ノ巣山での記録で1996年8月20日があるが、9月はない。
 ただし囀りはしなかったが、存在の記録なら平野部でも9月にもある。1996年9月5日睦橋下流で幼鳥らしい1羽を観察している。97年9月29日には秋の初認記録。
 9月のウグイスについて、他人の資料では八王子市小宮公園で1985年9月22日(『数え上げた浅川の野鳥』八王子カワセミ会 1996年)、これは秋の初認の早い記録かもしれない。狭山緑地で1996年9月5日、98年9月17日(『東大和市立狭山緑地鳥類調査報告書』坂本卓也 1997年、1999年)。狭山丘陵では一応通年の記録があり(『狭山丘陵の鳥』荻野 豊 1981年)、留鳥ということになっている。しかし、これらの文献の記録は囀りについては記述がなく、いつまで鳴いていたのかは不明。
 一般に、ある年の囀り始めの記録、つまり初囀記録というのはわりあいに気をつかれる。春先にウグイスの今年最初の囀りを聴いたとか、待ちに待ったホトトギスの声をついに聴いたとか。しかし、それがいつまで鳴いていたか、ということになると、ずうっと記録し続けて後になって、振り返ってからわかるわけで、ちょっとした根気と、まめに記録をつける作業が必要になる。
 頼みにしている日本野鳥の会神奈川支部の目録『神奈川の鳥』でも、7、8月の囀り記録はあるが、9月はない。ただし『鳥類目録1』は未見。やはり9月のウグイスの囀り記録はないのだろうか。
あれこれ資料を探しながらついでに拾っておいたので、10月の囀りの記録を書いておこう。秋にもひょっとすると囀っているウグイスに出会うことがある。
1995年10月3日 福生市内の段丘の林で囀り。
1996年10月17日 奥多摩、鷹ノ巣山の標高1340mで囀り。まだ山の上にいる。
以上のふたつは自分のデータ。日本野鳥の会神奈川支部の目録『神奈川の鳥1986-91 鳥類目録2』で、1989年10月1日藤沢市で囀りというのもある。
ウグイスの秋の初認ということでは、草花丘陵やその周辺などでは、早い年で9月末、普通は10月の上中旬にやってくる。羽村市内の自分の記録では、1999年が11月6日、2000年は11月5日、2001年が10月13日でちょっと早い。ふつうは丘陵や多摩川よりも若干遅いような気がする。
他の冬鳥もそのころからだんだん見られるようになる。やってくる冬鳥たちには夏鳥の場合とおなじように、種類ごとにだいたいの順序があるようだ。では冬鳥はどんな順序でやってくるのか。ちょっと変わった記録も参考にして見てみよう。そこで、
次のテーマは、霞網猟にみる冬鳥の渡り時期
昭和初期の霞網猟の記録と最近の草花丘陵での記録を比較してみる。

ほっとすぺーす(№40)2005年7月 ホトトギスはいつ鳴き止むか

2007年05月14日 10時24分09秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№40)2005年7月 
ホトトギスはいつ鳴き止むか
フィールドにしている草花丘陵での、この数年のホトトギスの鳴いている期間はつぎのとおり。
2005年 5月20日~7月25日 しばらく間があいて8月1日にも。
2004年 5月18日~7月17日
2003年 5月20日~7月17日
2002年 5月24日~7月8日
1998年から2001年まではデータを採っておらず、1993年から97年はだいたい5月下旬から6月下旬となっている。これだけで見ると年々鳴き止む時期が遅くなっているようなのでこれはこれで気になるが、他所のデータも見るとそうでもないらしい。たとえば、日本野鳥の会神奈川支部による『神奈川県鳥類目録』では7月にも平野部での記録があるし、『東京都産鳥類目録』では、町田市玉川学園で60年代に4月から8、9、10月まで通した記録、それに大島、八丈島でも7、8月に記録がある。だから南関東としてみればだいたい5月中旬から聞かれ、7月中下旬、ときには8月上旬にホトトギスは鳴き止むといえるだろう。
ところで万葉集にはホトトギスの歌が156首あるというが、その中に一首、気になる歌がある。それはホトトギスのさえずりの終わりを歌ったもので、そんなことをわざわざ歌に留めたのは小治田の広瀬王(おはりだのひろせのおおきみ)という人で、その歌、

 ほととぎす声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき (1468)

 解釈は、「今までは時鳥の声をよく聞いたこの野では、秋風が立って萩がもう咲いたとでもいうのか、その声がめっきり聞こえなくなった」となる(新潮日本古典集成)。
 そこで考えてみたいのは、この歌が示す時期はいつごろかということ。つまり小治田の広瀬さんが万葉時代のこの年のこの時期に大和盆地で、「もうホトトギスの鳴く時期は終ったらしい」とふと気づいたのはいつだったのか、ということ。
 解釈によると、秋風はもう立ったのかまだなのか、どちらかよくわからないが、萩は咲いていない。でももうホトトギスは聞こえないという時期。問題は萩の種類と分布、そして開花時期であるが、『万葉の花』(松田修 芸艸堂 昭和50年)によると万葉集に出てくる萩はヤマハギであるという。なぜヤマハギなのかについては記述がない。『日本文学から「自然」を読む』(川村晃生 勉誠出版 2004年)によると、万葉集には萩を歌った歌が141首と植物のなかでもっとも多く、萩は実用の面からも景観からも非常に重要な存在だったとし、なかでもヤマハギは馬の飼料に最適であるという。ヤマハギは毎年地上部が枯れて、春にあらたな芽を出す性質がある。それで木なのに秋の七草に入っているのか。秋に馬の飼料用に刈り取り、春先に野焼きして新芽を出させる。馬の重要性は万葉集に馬の歌85首(『日本古典の花鳥風月』山田豊一 文芸社 1999年)と、動物を詠んだ歌のうちでもっとも多いことからも、察せられる。
そこで手持ちのデータから萩の開花時期を考えてみると、キハギは最近の草花丘陵での観察では6月下旬ころに咲き出す。この時期まだホトトギスは鳴いている。ヤマハギの開花時期なら8月中旬で、すでにホトトギスが鳴きやんでからしばらくたっている。草花丘陵と大和盆地とで季節の進み方に大差がないならば、この歌で想定している萩はキハギやその他ではなく、松田、川村両氏のいうようにヤマハギで、歌の時期はヤマハギがまだ咲かないがホトトギスはほぼ鳴き止んだ7月下旬か8月上旬。当時の大和盆地では、早く咲き出すキハギよりもやはりヤマハギが多かったのだろう。萩といえばヤマハギだったということになる。
 では同じく声が尊ばれるウグイスはいつまで鳴いているか。そこで、
つぎのテーマは、ウグイス、9月のさえずり
 9月にまさかウグイスのホーホケキョを聴くとは思わなかった。

ほっとすぺーす(№39)2005年5月 西行のアカショウビン

2007年05月14日 10時21分41秒 | ほっとすぺーす野鳥をめぐって
ほっとすぺーす(№39)2005年5月 
西行のアカショウビン
  山里は谷の筧(かけひ)の絶え絶えにみづこひどりの声聞こゆなり 西行

 アカショウビンという名は、『図説日本鳥名由来辞典』によると江戸時代後期になってから出てくるという。それより古くから水乞鳥(水恋鳥)という名で呼ばれた。なぜ水乞鳥なのか、これには昔話があった。
 「水恋鳥は(前世に)親に死水をやらなかった罰で、自分でも水が飲めぬようになった。真赤な胸の毛が水に映って、近づいて飲もうとすると水が火に見えるという」(柳田国男『野鳥雑記』)。それで水が欲しい、水恋しと鳴いているのだという。各地に残る話は、なんらかの邪険、意地悪をして、その罰で水が飲めなくなるという形が多い。
 その上でこの歌を読むと、西行はこの鳥にまつわる昔話を知っていたはずで、絶え絶えに聞こえる水恋鳥の声を、渇水期で谷から引いている筧の水が絶え絶えであるのとかけている。あるいは、実際には水が絶え絶えではなくても、水恋鳥の昔話を歌に乗せてみたのかもしれない。西行はいつ、この鳥にまつわる話を知ったのだろう。子ども時代に聞いた昔話だったとも考えられる。
 和歌にこうして水恋鳥という名前が出るということは、同時代の人にとっては水恋鳥にまつわる話は共通認識で、そのまま納得できる歌だったのだろう。すでにこの当時昔話として語り継がれていたにちがいない。
 西行より古いところでは、『伊勢集』に出てくる(『平安私家集』新日本古典文学大系)。

  夏の日の燃ゆるわが身のわびしさに水乞鳥の音をのみぞなく

 この歌は平貞文の作で、『平中物語』(960年~965年に成立)にも出ているという歌で、恋の思いに燃えるつらさを水恋鳥が鳴くように泣いていると訴えている。脚注でも触れているが、燃ゆるわが身というのは水に映る自分の姿が真赤で、火が燃えているようで恐くて水が飲めないという、水恋鳥の話をやはり踏まえている。
 昔話の起源がこれだけ古いというのがわかる例はほかにもあるのだろうか。ホトトギスは多くの和歌に詠まれてきたが、たとえば時鳥兄弟の話などを踏まえた和歌があったらおもしろいだろうに。ホトトギスの歌はなにしろ初音ばっかりというくらい、初音と初音を待つという歌が非常に多い。それについてはまたいずれ、ということにして、初音ではなくて、終わりの声、つまりシーズン最後の「特許許可局」はいつごろだろうか、ということを考えてみよう。そこで、
つぎのテーマは、ホトトギスはいつ鳴き止むか
 話を自分のフィールドにもどして、実際のデータからホトトギスの終囀時期をみよう。