ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ケガレの起源と銅鐸の意味51 鏡餅とケガレの太陽1 鏡餅は太陽を象徴する

2016年11月01日 16時37分44秒 | 日本の歴史と民俗
   1.鏡餅は太陽を象徴する

鏡餅にみる太陽の象徴
 射日・招日神話によって日本の年中行事、とりわけ正月行事をみていくと鏡餅は太陽を象徴していることは明らかである。しかしそれを直接示す民俗資料は、あまり多くないようである。萩原秀三郎は『稲と鳥と太陽に道』において「オコナイの行事の中心になる鏡餅について、さらに付け加えておきたい。一般に鏡餅を太陽とする事例は多いが、一方で丸餅を太陽とともにタマシイと観念する習俗も各地で見られる」と述べている((1))。鏡餅や丸餅が太陽を現わしている事例はオコナイではふつうにみられるようである。私も鏡餅は太陽と考えるが、オコナイ行事をはなれて、一般的な認識となるとはたしてどうなのだろうか。
 たとえば萩原は同書において、神戸市長田区長田町の長田神社の節分行事で拝殿内に飾られる「日月の餅」と称される大鏡餅というのを紹介している((2))。節分当日の最後に、2匹の「餅割り鬼」と称する鬼役が出てきて日月の餅を木の大斧をもって割るという。これは明らかに射日・招日神話の残存である。したがって鏡餅が太陽である事例でもある。また『個人誌 散歩の手帖』25号で『京都民俗』6号から引用した「日輪さん」と呼ぶ突起をつけた鏡餅の例がある((3))。これもオコナイである。
 しかし、鏡餅や丸餅が太陽を現わしていることは必ずしも一般的な認識ではない。むしろ柳田国男が述べた、鏡餅は心臓を現わしているという根拠のない推定がまかり通っており、『日本民俗大辞典』「かがみもち」でもそう記されている。
 そこでまず、鏡餅は確かに太陽を象徴しているという例を『稲と鳥と太陽の道』以外からも、そしてさきほどの『京都民俗』以外からも、つぎの1件を示しておこう。愛知県大口町余野では鏡餅を家によっては屋根の上に「オテントサン」と言って上げていたという((4))。これは、鏡餅は太陽だと直接に言っている例である。
 金田久璋の『森の神々と民俗』によると、若狭では烏勧請のことを「カラスのオトボンサン」という地区があるという。オトボンサンとは太陽のことであり、カラスが飯、シトギ、餅などの神饌をあがることを「オトボンサンがあがる」という。つまりカラスが餅などを食べると太陽があがるということになる。ということは、餅はオトボンサンであり、オトボンサンは太陽なのである((5))。
 それにしても、鏡餅が太陽であるという直接の資料は少ないらしい。しかし、射日・招日神話にのっとって鏡餅の意味するところを検討していくと格段に多いのである。柳田の心臓説((6))は柳田自身「自分の想像を言つて見るならば」と述べているように、根拠のない想像にすぎないし、折口の神体説((7))もある面からみるとそのように見えるというにすぎない。つまり正月にとって、あるいは民俗行事にとって、餅とは何なのか、というのは未解決の問題なのである。
 ここでひとつの概念を提起すると、ケガレ=餅=太陽という認識を持って、はじめて正月行事やその他の行事における餅の役割が見えてくるということである。餅はケガレだと認識しなければ年中行事、正月行事の行為の意味は理解できないのである。年中行事の餅ばかりではない。たとえば「笠の餅」である。

笠の餅
 笠の餅とは『日本民俗大辞典』「かさのもち」によると、「葬儀後、四十九日に作る四十九餅のうち、49個の小餅のほかに、一つだけ大きく作る餅。親餅ともいう」としている(掲載の写真では48個の小餅である)。そしてこの笠の餅は和歌山県古座町古座では、菩提寺に持っていくが、山門の敷居に置いておき、小餅だけを寺に納めて、帰途に懐に入れて黙って持ち帰り、一升枡の底で切り分けて親族で食べるという。いったい何のためにこんなことをするのか。
 ここでまず考えるべきは、笠の餅を「敷居に置いてお」くとは、何を意味するかということである。これは出入り口の地面に胞(え)衣(な)を埋めて踏ませることと同じ意味である。胞(え)衣(な)納(おさめ)の習俗については『的と胞衣((8))』を参照されたい。また、次号でもあつかうことになる。胞衣とは胎児を包んでいた膜、胎盤、つまり後産である。胞衣もケガレである。出入り口の地面に埋めて踏ませるというのは、ケガレの象徴を地に鎮めているのである。笠の餅を敷居に置くのはそれと同様の意味で、この餅がケガレを象徴していることを示している。その笠の餅を「黙って持ち帰り」とはケガレの象徴としての餅を持ち帰ることである。それは、ケガレの追放、つまりスサノヲの高天原からの追放を反映している。この「黙って」というのは14ページでも述べるが、民俗の中にしばしば登場する。追放されるスサノヲに声をかけたり追い越したりしてはならないのである。「一升枡」はすでに再三述べているようにアメノウズメの踏みとどろこすウケフネであり、餅を「切り分ける」とは射日神話で射落とされる太陽である。餅を切るについては24ページ「餅を切る・削る」で述べる。
 つまり、この笠の餅という習俗は四十九日の厄払いの意味であり、厄払いはケガレを祓うことにさかのぼるのである。そのケガレを餅が象徴しているのであり、その餅はいくつもの行為を経過したのちに、笠の餅では親族に食べられることになる。いくつもの行為とは、「敷居に置いておき」「黙って持ち帰り」「一升枡の底」で「切り分けて」いることである。これらは高天原を至浄にしてスサノヲを追放する天岩屋戸神話をなぞっているのである。
 『日本民俗大辞典』「かさのもち」ではつづいて、さらに他の地域では、この餅を敷居の上で切ったり、鍋蓋の上で切ったり、兄弟で引っ張って食べたり、切り分けて塩をつけて食べたりするという。餅を切ること、切り分けることに重点を置いた行為として伝えられているのである。射日神話としての餅を射る、割る意味である。その上、この餅は死者の身体にも擬せられたり、胎盤であるという伝承もあるという。ケガレそのものの象徴である。
 さらに餅を人型に切り抜いたり、屋根越しに投げる場合もあるという。これなどは人形(ひとがた)流しに通じるものであり、屋根越しに投げるとは、烏勧請でカラスにケガレの餅を与えるのと同じである。笠の餅とはケガレの象徴であり、この習俗もケガレ祓いの一種なのである。すなわち、この餅もまたケガレの太陽にさかのぼるのである。

餅は割られてこそ
 神棚から下ろされた餅はなぜ割られるのか。正月の鏡開きではなぜ餅は割られるのか。そして風土記の餅はなぜ的にされたのか。これらはみな射日・招日神話にもとづいて弓矢で射られる太陽を意味しているのである。
 柳田は「食物と心臓」の中で次の例をあげて疑問を提示している。
下総流山町の三輪神社には、1月8日にヂンガラ餅の神事といふのがあるが、(略)此日は氏子の若者たち、拝殿に登つて鏡餅の取合ひをする。其餅に欠けがあると瑞祥とするといふ(東葛飾郡誌)。(略)欠けがあるのをめでたいといふ意味はまだ明らかでない((9))。
 鏡餅が太陽であるなら、鏡餅に欠けがあるということは太陽に欠けがあるということになる。つまりケガレの太陽が割られた、射落とされたという意味になるわけで、ケガレが祓われたことになる。その結果としてめでたいのである。『正月行事((10))』全4冊には餅を切る、欠くといった民俗が6件記録されている。これらの事例も餅は太陽であることを示している。24ページ「餅を切る・削る」でさらに詳しくあつかう。
 同じく、鏡餅が太陽であることを直接言ったものではないが、鏡餅に敷いた白い紙で弓の的を作るという例がある。『個人誌 散歩の手帖』28号から引用する。
  鹿児島県肝属郡佐多町1-31
ハイブシャ 〔竹之浦〕旧正月23日に今も行なっている。ハイブシャ(春武射)とは、全戸から正月のユエモン(祝い物で主として鏡餅のこと)に敷いた白い紙を世話人のところに集めて、そこで弓の的を作る。ナイダケという篠竹を曲げて、直径1mをこえる輪を作り、それに先の紙を張って、墨で丸をかく。そんな的をいくつも作り、同時に竹をまげて1.8mほどの弓とその矢も作って用意する。場所は観音の下の浜で、のひとびとが見物する中で、戸主たちが弓を引いて的を射る。
〔古里〕では的にあたるまで射る((11))。
 鏡餅に敷いていた白い紙を使って弓矢の的にするのである。その的は太陽であるから、これは鏡餅が太陽だったことの痕跡ではないか。今は敷いた紙だが、元は鏡餅を直接的にしていたのではないか。

鏡開き
 『日本民俗大辞典』によると「鏡開き」とは「正月に供えた鏡餅をおろしたあと、これを割って雑煮にしたりゼンザイや汁粉などにして、家族など一同が食べる行事」である。雑煮、ゼンザイ、汁粉はいずれもケガレを象徴していることは28号で述べた((12))。それにケガレの太陽である鏡餅、しかも射落とされたことを暗示する割れた鏡餅を入れるのである。『日本民俗大辞典』では、鏡を開くというのは割るの忌言葉で、開くといって切るや割るとはいわないのは、正月にあたって縁起をかついだ、としている。もとはカガミワリだったのである。「手や木槌で割って食べるものだとされていた」との記述もある。つまり鏡餅はひび割れれば割れるほどいいわけで、割れることが想定されているのである。
 そのひび割れこそ射日神話による、太陽が射落とされたことを意味するのである。だから流山町三輪神社の欠けがある鏡餅は、ケガレの太陽が射落とされたことになり、めでたいのである。

ケガレの起源としての太陽
 鏡餅が太陽を、それもケガレとしての太陽を象徴しているということが明らかになったと思う。その射日・招日神話における強すぎる太陽こそケガレの起源なのである。余った危険な太陽こそがケガレの起源である。それをケガレというのには違和感があるかもしてない。しかしすでにケガレには身体的ケガレ、社会的ケガレ、自然的ケガレの大きく分けて3つあることは、『個人誌 散歩の手帖』27号で述べた((13))。この3分類からはケガレの歴史的変遷を読みとることができる。歴史的時間の経過するなかで、第1の自然的ケガレは早くに関心の対象から離れている。第2の社会的ケガレ、第3の身体的ケガレに分類されるケガレ、なかでも第3の身体的ケガレが次第に主な関心の対象になっていった。そのためケガレとは何か、ケガレの起源とは何であるかといった問いは、身体的ケガレばかりを見ているかぎり、解けないのである。
 『国史大辞典』の「けがれ」から抜き書きすると、次のようである。
病気に関するもの、お産に関するもの、これらは血の穢であるが、そのほか火の穢や五辛のようなものも穢、さらに風雨地震の禍や鳥虫の災、妖怪などの災に関するもの、犯罪や刑罰に関するもの、あるいは外国に行っても穢になるように、外来人や仏法に関するもの。
古くはこれをまとめて天津罪と国津罪としている。天津罪は農耕・機織を妨害する罪穢であり、国津罪は当時の社会生活に対する罪や禍・過などを挙げている。すなわち死人と血の穢、きたない病気や腫物など、不義の関係、みだらな行為、鳥や虫の災、不慮の災害などを挙げている。すべてその生活を脅かすもの。
 「風雨地震の禍や鳥虫の災」つまり自然災害や鳥害虫害もケガレなのである。また岩波古典文学大系『日本書紀』上巻補注75によると、大祓祝詞には「おそらく虫害・鳥害などをさすとおもわれる昆虫乃災・高津神乃災・高津鳥災などをあげてある」と指摘し、「延喜大祓祝詞には人の犯した罪とともに、疾病・天災などを並記している」として、このことはこんにちの感覚にはあわない点であることを認めている。
 これらのケガレの種類を先の3分類にあてはめると風雨地震の禍、鳥虫の災、不慮の災害などは自然的ケガレである。確かにこれらは今日の感覚にはあわないが、古代では人の生活を脅かすものとして、ケガレとされていたのである。
 ところでこれらのケガレの中に旱魃が出てこない。旱魃は稲作にとってはケガレの最たるものであろうが、大祓祝詞にも古事記にあるスサノヲの犯した罪にも出てこない。しかし雨乞いの儀式や行事が盛んに行なわれていたのは旱魃に対応していたからにほかならない。ということは旱魃は風雨地震の禍にふくまれるのだろう。

ケガレの3分類にみる新旧
 坪井洋文の『イモと日本人―民俗文化論の課題』には、餅なし正月となった由来伝承が全部で53事例紹介されている((14))。その餅なしになった由来、餅なしの起因となった出来事が何によるかを見ていくと、ひとつのはっきりした特徴を示す。ケガレの3分類である自然、社会、身体に53事例の餅なしになった起因を振り分けていくのである。そうすると、巻末の「表1」になる。
「表1」にみるように、餅なしの起因となったとされる出来事を自然、社会、身体に分けていくとその件数は、自然1、社会30、身体13となる(一部重複あり)。つまり、最もケガレの起源に近いと考えられる自然のケガレに、餅なし正月になった原因を拠りどころとしているのは事例28の「天災」だけなのである。しかもこの事例も一義的には山姥に餅を与えなかったからであり、「社会的ケガレ」としての「異郷人虐待」なのである。
 ということは、この53事例によれば、すでに民俗伝承をみるかぎり、古代に天津罪とされていた自然的ケガレである天変地異や旱魃などはケガレであるとは認識されていないのである。これをもってケガレとして認識される対象には歴史的変遷があったと考えられるのである。さらに現在の感覚でいえば、社会的ケガレである貧困や戦乱、火災なども、それをケガレといわれれば違和感があるのではないか。すでにケガレといえばほぼ身体的なケガレに限られているであろう。旱魃をもたらす太陽がケガレであるという観念は早くから失われていたのである。

ケガレの起源と銅鐸の意味50 鏡餅とケガレの太陽 目次

2016年11月01日 16時29分31秒 | 日本の歴史と民俗
   鏡餅とケガレの太陽

(冊子版の巻頭言です)
 鏡餅、ケガレ、太陽、この一見何の関係もなさそうな事物の深い関係については、すでに『個人誌 散歩の手帖』24号以来、継続して述べてきました。民俗の一端、その中の些細な伝承に秘められている古代の真相、それには私自身、驚くことが何度もありました。今回はそれらがいよいよ収束に向かって動き始めたのを実感しています。次回は完結予定です。

目次

はじめに  ――――――――――――――――――――――― 3

1.鏡餅は太陽を象徴する――――――――――――――――――4
鏡餅にみる太陽の象徴/笠の餅/餅は割られてこそ/鏡開き/ケガレの起源としての太陽/ケガレの3分類にみる新旧

2.餅は運び去られる ―――――――――――――――――――11
誰が餅を運び去るか/①小正月の訪問者によって運び去られる/②カラスによって運び去られる/③共同体の成員によって山へ上げられる/供物は供え物ではない/④田畑に供える・土に還す/餅を切る・削る/烏勧請にみられる「餅を切る・削る」/西の丸餅、東の角餅が意味するもの/串団子はなぜ串に刺すか/土中に還す/⑤射落とされる・餅を的にする

3.ハマイバとは何か ――――――――――――――――――37
ハマは太陽である/「ハマ」という鏡餅/鏡餅を弓矢で射る/風土記にみる、餅を的にする話/ハマイバは至る所にある/串の原義は矢

4.ケガレの餅は境界へ行く ―――――――――――――――50
異人が境界へ運び去る/鹿児島県の習俗は、より新しい/訪問者は元来、異人である/カラスが餅を運ぶ/山の神に餅その他を供える/佐多町の柴祭り/山入り、初山、シゾメなどで餅その他を供える/鍬初め、鍬入りで餅その他を供える/ハマイバも村境にある/禊の起源/直会の起源

引用・参考文献   ――――――――――――――――――――71
表1、表2、表4  ―――――――――――――――――― 巻末