伊予 燧灘 の 展望 Cafe (一人で旅する人のための)

地域の特性を生かした[しま恋cafe]BRANDの立案 企画プロジェクト

尖閣事件の説明責任は、結局のところは、暴露になる。

2010-12-08 22:24:27 | Weblog


★ウィキリークス

小野昌弘のブログ 一部 添付 参照

ウィキリークスが現実に晒しているものは、西側の民主主義システムがどの程度空っぽかについてである。この10年間で、政治のエリートたちは、無能であったこと(アイルランド、米国、英国が銀行を規制しなかった)、汚職にまみれていたこと(兵器売買に関わった全ての政府)、そして無鉄砲なまでに軍国主義的であったこと(イラクにおける米国と英国)が明らかになった。しかしながらこれまでこれほど効果的なやり方で、このエリートたちが説明を求められることはなかった。そして、エリートたちは説明をする代わりに、自分たちのやり方をあいまいにして、嘘をつき、怒鳴りつけてもそのやり方でやり通してきたのだった。そしてついに、秘密のベールがもちあげられたとき、エリートたちの反射的な反応は、その配達人(アサンジ)を殺せ、というものであった。

Simon Jenkins は最近ガーディアンに、「暴露はやっかいなことであり、モラルと法の境界を試すものだ。暴露はしばしば無責任であり、たいてい困惑させるものだ。しかし、何も規制が行われず、政治家たちが服従させされ、法律家は沈黙し、聴衆は堕落していたとき、暴露というものが最後に残されたものなのだ。説明責任は、結局のところは、暴露になる。」 我々の民主主義国のかんかんになった官僚から聞こえてくるものは、ネットにより服をぼろぼろにされた王様たちの不機嫌な叫び声なのだ。