![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fe/3f3be3c3c797019d30876d192375a708.jpg)
ryobeのビジネスマンは神戸の建設会社から始まった。
入社して4か月後、突然、香港研修辞令が下り驚いた。
同期の友人と月、2、3回通った三宮のクラブ、キャバレー遊びも、出来なくなった?
彼女に、香港勤務になったと、伝えると信じてくれなかった。
海外勤務なぞ考えられない時代だったから当然だと思う、その当時、飛行機に乗る事さえがステータスであった。
香港勤務は、毎日が愉快で楽しく海外手当で豪快に遊んだ。「海外手当が初任給の倍」
夜は、香港の100ボルトの夜景に誘わ、私を可愛がってくれた所長、同期同僚と毎夜出かけ
すき焼きが,旨かったレストラン「東京」、料亭「金田中」、そしてクラブ「田村」に通った。
私は、香港の独特の香りが合わない為、中華レストランには、あまり行かなかった。
仕事内容は、現地労働者の管理と、空港埋め立て工事の、単純な現場作業、
私は、いっも、ぶらぶらして適当に仕事をこなしていた。
冬12月に大事故に成りそうな事に遭遇した、私、友人、リーダー3人で、小型船で、錨りの確認に出かけた時におきた。
船が傾いていたので、私が、船が傾いていたので危険だと思い、寒いのでエンジン室の中にいた友人とリーダーに逃げる用意する様に促した、友人がエンジン室の中から出来た瞬間に、小型船が、転覆した、私が一番先に海に飛び込んで逃げた、少し泳いでリーダーの事が脳離をよぎった、リーダー、リーダーと4,5回叫んだ、死んだのではないかと思った、その時、リーダーが海中から飛び出してきた「九死に一生」まさに実感した。
事故後、笑い話で、仕事は、何時もブラブラしているのに、逃げ足は抜群だと言われて、少し照れくさかった?
正月には、マカオに旅行した、カジノで初めてポーカーゲームで少し負けた。
研修期間も少なくなった時期に、シンガポールに、勤務する気は無いかと、所長に言われたがお断りした。
入社動機は、営業がしたくて入社したので、現場には興味なかった。
香港、最後の夜は同期の友人が、食事、クラブ遊び全て、奢ってくれ、父にナポレンオンのカミュまで、お土産にとくれた。
帰国の、大阪空港は、雨が降っていた、久し振りに吸う日本の空気は、最高に美味しかった。
ryobeは、いそいで両親が待つ自宅にタクシーを走らせた。
ryobeのビジネスマン時代 NO2に続く。。。。。。。。