タカ長の趣味はもっぱら山。海遊びや釣りの経験はまったくありません。海と言えば干潟で水鳥を見る程度です。
そのため海の写真は1枚も持っていないので、今日の記事に適した写真はありません。仕方なく裏山の写真を使っての更新です。

市町村合併がすすんで町の数が少なくなりました。
タカ長が生まれ育ったのは広島県佐伯郡八幡村。その八幡村もその昔は「利松村」とか「高井村」とかに分かれていました。
タカ長が育った八幡村はど田舎でしたが、その隣は五日市町。広島湾に面した町です。それらの町や村は、今では「広島市佐伯区」になっています。
種田山頭火の全作品をタブレットで読んでいて、山頭火が五日市町に来ていたことを知りました。
作品集の「1934年(昭和9年)」の前にある「行乞記 広島・尾道」の中にその記述を見つけました。

9月17日
電車で五日市へ行き、終日舟遊、私の一生にはめったにない安楽な一日だった。
釣った魚を下物にして、水上饗宴である、澄太さんは少しく、独壷(黙壷氏の誤記)さんも少しく、私は大に飲んだ。
釣った魚は何々ぞ―キス、ハゼ、コチ、小鯛、そして鮹(いたずらに種類多くして小さかったことは内密々々)。
さらにまた蜊貝、蟹。、、、
水、酒、友、秋、物みなよろし。

空ふかうちぎれては秋の雲
足は波に、舟べりに枕して秋空
ぽっかりとそこに雲ある空を仰ぐ
仰いで雲がない空のわたくし
波の音ばかり波の上に寝ころんで
山頭火はここで15句を記録しています。その中でタカ長の頭でも理解できるもの5句を紹介しました。
あの種田山頭火がわが町の海で遊び、彼の一生でもめったにない安楽な一日を送ったことを知り嬉しくなりました。
タカ長は不勉強なので、山頭火の句碑が町内にあるのかどうか、そのことも知りません。
郷土史に詳しい山友もこのブログを読んでくれるはずですから、調べてほしいなぁ。
はい、タカ長は不勉強でいつものように何もしません。(笑)
そのため海の写真は1枚も持っていないので、今日の記事に適した写真はありません。仕方なく裏山の写真を使っての更新です。

市町村合併がすすんで町の数が少なくなりました。
タカ長が生まれ育ったのは広島県佐伯郡八幡村。その八幡村もその昔は「利松村」とか「高井村」とかに分かれていました。
タカ長が育った八幡村はど田舎でしたが、その隣は五日市町。広島湾に面した町です。それらの町や村は、今では「広島市佐伯区」になっています。
種田山頭火の全作品をタブレットで読んでいて、山頭火が五日市町に来ていたことを知りました。
作品集の「1934年(昭和9年)」の前にある「行乞記 広島・尾道」の中にその記述を見つけました。

9月17日
電車で五日市へ行き、終日舟遊、私の一生にはめったにない安楽な一日だった。
釣った魚を下物にして、水上饗宴である、澄太さんは少しく、独壷(黙壷氏の誤記)さんも少しく、私は大に飲んだ。
釣った魚は何々ぞ―キス、ハゼ、コチ、小鯛、そして鮹(いたずらに種類多くして小さかったことは内密々々)。
さらにまた蜊貝、蟹。、、、
水、酒、友、秋、物みなよろし。

空ふかうちぎれては秋の雲
足は波に、舟べりに枕して秋空
ぽっかりとそこに雲ある空を仰ぐ
仰いで雲がない空のわたくし
波の音ばかり波の上に寝ころんで
山頭火はここで15句を記録しています。その中でタカ長の頭でも理解できるもの5句を紹介しました。
あの種田山頭火がわが町の海で遊び、彼の一生でもめったにない安楽な一日を送ったことを知り嬉しくなりました。
タカ長は不勉強なので、山頭火の句碑が町内にあるのかどうか、そのことも知りません。
郷土史に詳しい山友もこのブログを読んでくれるはずですから、調べてほしいなぁ。
はい、タカ長は不勉強でいつものように何もしません。(笑)