断崖の道は続く。しばらく行くと、遙か下の長江の川沿いを通る道路脇に学校らしき建物が見えた。運動場らしきものもあるので学校に違いない。
長江から500メートルから900メートルの高さを通る茶馬古道沿いにはいくつかの村があった。気をつけて見ていたが、学校らしき建物はどこにもなかった。前日に昼食をとった一番大きな村にも学校はなかったのでこの道沿いに学校がないのは当然だろう。ところが、長江沿いに新しくできた道路には民家はほとんどないのに学校がある。
そこで、推測できるのは茶馬古道沿いの村の子供たちは下に見える学校に何らかの方法で行っているのではないかと言うことだ。私が見たところ、茶馬古道沿いの村はすべて下の道路からの取り付け道路ができているのでそれが可能ではないかと思う。
私が雲南のこのような山岳地帯での学校のことにこだわっているのはフルスの普及活動に関わってちょっとした考えがあるからである。
長江から500メートルから900メートルの高さを通る茶馬古道沿いにはいくつかの村があった。気をつけて見ていたが、学校らしき建物はどこにもなかった。前日に昼食をとった一番大きな村にも学校はなかったのでこの道沿いに学校がないのは当然だろう。ところが、長江沿いに新しくできた道路には民家はほとんどないのに学校がある。
そこで、推測できるのは茶馬古道沿いの村の子供たちは下に見える学校に何らかの方法で行っているのではないかと言うことだ。私が見たところ、茶馬古道沿いの村はすべて下の道路からの取り付け道路ができているのでそれが可能ではないかと思う。
私が雲南のこのような山岳地帯での学校のことにこだわっているのはフルスの普及活動に関わってちょっとした考えがあるからである。