MARUMUSHI

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『猫/4』。

2015-12-15 18:00:49 | 映画日記
『猫/4』を観て来た。
4話のオムニバス作品で、猫が大きく関係するのは早坂亮輔監督『ひかりと嘘のはなし』と中嶋裕矢監督『ホテル菜の花』の2作品。上田慎一郎監督『猫まんま』と浅沼直也監督『一円の神様』は、猫がいなくても話は成立すると思う。
でも、いずれの作品も良い物語。
『一円の神様』は、世間の理不尽さを、犯罪という理不尽で無理に通ろうとする親娘の姿が、ズシリと胸にのっかかるような悲しさを誘う。
『ホテル菜の花』は、4作品の中でも一番光る。諦めに煮え切らない男と、そこにやってきた諦めに煮え切らない女。そして、埋蔵金を掘り続ける、謎の男三人。やたら元気なジジイが画面で煩いぐらいに凄く気になったけれど、主人公の心の鍵を一つ外すとは、最後までわからなかった。話の中で出産前検査を扱っており、重いテーマをしっかりと掘り下げてある。それをこれだけの時間に収めたのは凄い。

他人は他人でしかありえない。
他人と、他人ではない、との線引きとは一体どこにあるんだろうか?
親等という考え方があるけれど、あれは法律だけの話だ。手続きのためのシステムと言ってもいいだろう。
科学的に見れば、ミトコンドリア染色体から、現在全人類の祖先はたった一人の女性に通じるという話だから、全人類が何らかの血縁関係と言うことになる。
僕は究極的には人は“個”の次は“他”になると思う。つまり、友人はもちろん親子も兄弟も従兄弟も他人だと思う。だから、縁を切る、という言葉が出来る。絶交や破局、離婚など、分離や壁を作るなどに類する言葉ができる。それは、人の基が個だからだ。
友人までは分かるけれど、親子は言いすぎじゃないか?と思われるかもしれないけれど、では、ネグレクトはどう考える?僕はネグレクトにはそれなりの理由があり、一律に断じることはしないけれど、子供は他人である、という考えがあるからそうなるんだと思う。
全ての者に独立した魂がある以上、それは他人なんじゃないだろうか。

だからこそ人は絆を作ろうとする。家族というのは、血という物が繋ぐ構造だし、友人も共通の考え方などで繋がる物だ。そして、その繋がりは人と人だけに留まらない。たとえば猫だ。
猫に餌を与え、水を与え、住む場所を与え、名を与える。名を持つという事は魂を持つということ。魂を持つことで“他人”という考えが生まれ、ペットという奇妙な隣人としての関係が生まれる。そして、いつしか猫は家族になっている。

例え、障害を持って生まれてくる可能性のある子供だったとしても、その子と絆を結びたい。そう思う気持ちは、他人が他人でしかありえない、という前提から生まれるものなんだと思う。




2015年12月14日のつぶやき

2015-12-15 00:00:00 | twitter



  • JAXA | 小惑星探査機「はやぶさ2」の地球スイングバイ実施結果について https://t.co/29aTDiuHRx
    Posted at 09:14 PM




  • CUTE KITTEN REACTS TO SCARY (Vacuum Cleaner) :-@ https://t.co/d4aIrPkerl @YouTubeさんから
    Posted at 08:19 PM




  • RT @sn_375: おっぱい募金のついーよ見て思い出したんだけど(たぶん)アメリカのAカップって日本でいうCなんだと。そこでね、去年留学生の子にそのこと話して 日本のA、Bのひとはアメリカだとどうなっちゃうの……?って恐る恐る聞いたら ナカッタコト ナル って言われてわたし…
    Posted at 08:04 PM




  • 厚生労働省の「低所得は食生活見なおせ」という提案にキレるツイッター民続出 「塩コショウのお湯割りスープご馳走したい」 https://t.co/BlHXSdY6ns
    スゲェな。
    よく恥ずかしげも無く、テレビでこれを言えたな。
    似非科学の宗教団体みたいなこといっとるぞ。

    Posted at 07:49 PM



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