『流れ星が消えないうちに』を観てきた。
何かを失った者たちと、何かを得ようとする者たちの物語。
「何かを得る、ということは、何かを失うということだ」とは原作者の橋本紡の言葉だ。
では、何かを失う、ということは、何かを得る、ということになるのだろうか。
人の一生は片道切符だ。時間を遡及してやり直すことは出来ない。失い続け、得続ける。そして最後は死という形で全てを失う。遺すことはできても、何かを得て死を迎えることはできない。そして、遺す物が心であった場合、残された者は一方的な心を抱えることになってしまう。
死んだ者のことは忘れなければならない。
僕はずっと思っている。忘れなければ、今の自分の所在を死者の所為にしてしまうからだ。
だけど、それがどうしても忘れられなかったとしたら?
今の自分が、死者に後ろめたさを感じていたとして、それでも忘れられなかったとしたら?
それが業というものなのか。
玄関でしか眠れなくなった彼女は、その業を背負うことができなかった。
玄関は、ただいま、と、おかえり、の交差するところ。出口であり入口であるところ。立ち止まり、居続ける場所ではない。
彼女の苦しさは彼女だけのもので、悲しみは彼女だけのもので、業も彼女だけのもの。誰かと分け合うことはできない。彼女だけの絶対の権利。例え、その権利に押しつぶされることになっても。
でも、同じ重さを背負う彼がいた。死者に対し後ろめたい気持ちを抱え、それでも彼女を支えると決めた彼。
死者と心を通わせることは出来ない。
業を分け合うことは出来ない。
それでも彼女と彼は手を繋いで、心を通わせて、生きていくと決める。
流れ星は昼夜関係なく地球に降り注いでいる。でも、それが地表に届くことはほとんどない。
そして、光っても刹那だ。
そんな儚いものに僕たちは願いをかける。
分かっているのだ。そんなことで願いは叶わない。
願うこと、それそのものに意味がある。自分の願いを、刹那の間でも、再度確かめる。
私の流れ星は、まだ消えていない、と。
主演の波瑠さんの舞台挨拶があった。今、NHK朝ドラ『あさが来た』でヒロインを演じているらしい(見てない)。
花車、という言葉がピッタリだ。もちろん、健康そうだけれども。失礼な話、花のある感じではないなと思った。どこにでもいるような感じの女性。道で通りすがっても気付かんやろうな。でも、スクリーンの中では、凄く存在感のある女優さんだ。クレジットされてなくても、気付くと思う。
ミニシアター系は、どこも客とスクリーンの距離がかなり近い。だから、当然役者さんとの距離も近い。司会者の慌てている感じとか、役者さんの表情がはっきり見えて面白い。
何かを失った者たちと、何かを得ようとする者たちの物語。
「何かを得る、ということは、何かを失うということだ」とは原作者の橋本紡の言葉だ。
では、何かを失う、ということは、何かを得る、ということになるのだろうか。
人の一生は片道切符だ。時間を遡及してやり直すことは出来ない。失い続け、得続ける。そして最後は死という形で全てを失う。遺すことはできても、何かを得て死を迎えることはできない。そして、遺す物が心であった場合、残された者は一方的な心を抱えることになってしまう。
死んだ者のことは忘れなければならない。
僕はずっと思っている。忘れなければ、今の自分の所在を死者の所為にしてしまうからだ。
だけど、それがどうしても忘れられなかったとしたら?
今の自分が、死者に後ろめたさを感じていたとして、それでも忘れられなかったとしたら?
それが業というものなのか。
玄関でしか眠れなくなった彼女は、その業を背負うことができなかった。
玄関は、ただいま、と、おかえり、の交差するところ。出口であり入口であるところ。立ち止まり、居続ける場所ではない。
彼女の苦しさは彼女だけのもので、悲しみは彼女だけのもので、業も彼女だけのもの。誰かと分け合うことはできない。彼女だけの絶対の権利。例え、その権利に押しつぶされることになっても。
でも、同じ重さを背負う彼がいた。死者に対し後ろめたい気持ちを抱え、それでも彼女を支えると決めた彼。
死者と心を通わせることは出来ない。
業を分け合うことは出来ない。
それでも彼女と彼は手を繋いで、心を通わせて、生きていくと決める。
流れ星は昼夜関係なく地球に降り注いでいる。でも、それが地表に届くことはほとんどない。
そして、光っても刹那だ。
そんな儚いものに僕たちは願いをかける。
分かっているのだ。そんなことで願いは叶わない。
願うこと、それそのものに意味がある。自分の願いを、刹那の間でも、再度確かめる。
私の流れ星は、まだ消えていない、と。
主演の波瑠さんの舞台挨拶があった。今、NHK朝ドラ『あさが来た』でヒロインを演じているらしい(見てない)。
花車、という言葉がピッタリだ。もちろん、健康そうだけれども。失礼な話、花のある感じではないなと思った。どこにでもいるような感じの女性。道で通りすがっても気付かんやろうな。でも、スクリーンの中では、凄く存在感のある女優さんだ。クレジットされてなくても、気付くと思う。
ミニシアター系は、どこも客とスクリーンの距離がかなり近い。だから、当然役者さんとの距離も近い。司会者の慌てている感じとか、役者さんの表情がはっきり見えて面白い。