MARUMUSHI

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『海難1890』。

2015-12-08 19:21:23 | 映画日記
『海難1890』を観てきた。

1985年。イラン・イラク戦争の最中、イランの首都テヘランに取り残された338人の日本人。
彼らを戦域から救ったのは、日本ではなくトルコだった。その理由は1890年の和歌山県串本沖の大島に住む漁民たちにあった。

エルトゥールル号。和歌山に縁のある人生を送っていたせいもあってか、その名前は割とよく知っているほうだと思う。
トルコ記念館にも、最近では今年の1月に行った。125年前のその出来事が30年前の出来事に繋がっているとは知らなかったけれど。

そこに苦しむ人たちがいる。それを助けるのは海に生きる人たちには普通のことだったのだろう。そして、彼らを無事に祖国へ帰してやりたい。そう思うのも普通のことだったのだろう。
政治家にとっては、親書を奉呈してきたトルコの軍人を粗雑に扱うことは国益上の問題だ、と捉えていたのかもしれないけれど。
それとは全く違う感覚で大島の人々は彼らを助けた。計算無く人々は動いたのだ。

1980年、イラン・イラク戦争開戦。
この時代になると、政治は高度に絡み合う。まして戦争の中、食指の動かし方しだいでは、国そのものが戦渦に巻き込まれる可能性があった。
1985年3月17日。「48時間後からイラン上空の航空機に対し無差別爆撃を実施する」とサダム・フセインが宣言。テヘラン・メヘラバード国際空港に338人の日本人を残したまま、日本国は彼らを見捨てる。
見捨てたわけではない、というかもしれない。でも、自分がそのときにメヘラバード空港にいたとしたらどうだろう。なぜ、助けてくれないんだ?と思うのが自然だと思う。

自衛隊機は飛べない。法規制という事もあっただろうが、それを認めた今でも、たぶん自衛隊機を飛ばすことは出来ないだろう。戦渦の中に自衛隊機を飛ばすということは、日本の軍隊が戦場に行くということ。日本は戦争に巻き込まれることになる。
日本航空も飛ばない。当たり前だ。親方日の丸でも、一企業が社員の命を危機にさらすなどトップとしてはまともな判断ではない。日本航空123便で亡くなった高濱機長は「行くべきだ」と進言していたらしいが。

トルコの人々だけは違った。エルトゥールル号のことを全てのトルコ人が知っていたかどうかはわからない。でも、彼らは自分の身と自分たちの誇り。その逡巡の上で日本人を助けてくれた。

人は底なしに残酷になれる生き物だ。自分に利するためなら、平気で人を殺すことがある。
そんな残酷さを抱えたまま、人はどこまで優しくなれるんだろう。
集団の中では個の感覚は麻痺する。集団が残酷に振れるか慈愛に振れるか。その境目はどこにあるんだろう。



2015年12月07日のつぶやき

2015-12-08 00:00:00 | twitter



  • pixivに投稿しました Snowman #pixiv https://t.co/HEUDGA3jUd
    Posted at 10:07 PM




  • RT @jucnag: 安倍が発起人の「子ども貧困基金」経済界からの大口寄付が1件も無し? 子供の貧困問題を寄付なんかに頼るなボケ。税金使えカス。

    『子ども貧困基金、寄付低調 首相呼び掛けも大口なし』東京新聞 https://t.co/58pf5dNwyI

    Posted at 03:43 PM




  • 国会議員の年間報酬は2200万。議員数は717人。つまり彼らに払う金額は157億7400万円になる。ちなみに、サラリーマンの生涯年収は2億円ほどだそうだ。参院議員は一任期でこの六割を稼ぐ計算だ。
    別に議員を妬む気持ちはない。
    年収に見合った仕事をしてないな、とは思うけどね。

    Posted at 10:48 AM



  • https://twitter.com/kaoritokuyama