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MARUMUSHI

映画とかTwitterとかとか。

『ブルーハーツが聴こえる』。

2017-04-08 23:01:08 | 映画日記
『ブルーハーツが聴こえる』を観てきた。
#ブルーハーツが聴こえる

6作品のオムニバス映画。どれもこれも凄い作品だと思う。

<ハンマー(48億のブルース)>
ローテンションでハイスピードの掛け合い。
一縷の余裕も与えてくれない。
それは、言葉をぶつけられる人たちがいるから。「うぜー」と思われながらも思ってることを、それを否定されることをぶつけ合いながら前に進めるから。
人生にリセットボタンは無い。コインもないし、E缶もない。もちろん土管の底に世界は広がってない。
とは言えだ。やり直さなきゃならない時はある。
男と女の距離は、サガミオリジナルで決まる。超えられない0.01mm。でも距離は距離だ。触れてはいない。やり直せる。後は魂だけだ。
過去を捨てろ!壊せ!壊せ!その過去が残骸になるまでハンマーを振り下ろせ!!

<人にやさしく>
人が人と認める人とはなんだろう?
街を歩いている人たちは、人なんだろうか?他人でも人と感じるのはなぜなんだろうか。
人が人と認めるけれど人じゃない人というのがいたとしたら?
人でないものが人よりも優しかったとしたら?
そして人でないものが誰よりも人に可能性があることを知っていたとしたら?
その可能性は、人を変えることが出来るだろうか?

<ラブレター>
大人になると、後悔が増えていくものだ。澱のように堆積していくものだ。
でも、変えられるなら。自分の力で変えられるなら。。。脚本家の彼はそのタブーに触れてしまった。
彼とその友人は、過去に戻る。そして奔走する。
好きだった彼女を守るために。想いを告げられず、そして彼女の最後の言葉すら分からなかった、その彼女のいる未来を作るために。
彼のラブレターは届かなかった。彼女を守ることもできなかった。
戻ってきたオッサン2人は、小さな部屋で8mmテープを見返す。そして、知る。彼女が生きて、どこかで幸せでいることを。自分たちの世界とは違っても彼女はそこにいると。
後悔はときに希望に変わるときがあるのかも。僕は経験したことはないけれど、後悔を残しておいてよかったと思う日がくるのかもしれない。

<少年の詩>
僕たちよりも少し上の世代が小学生の頃の話。
自分のイライラが子供っぽいことを知りながらも、それを押し込めないぐらいの年齢。子供でありながら大人でもある時期。
テレビではヒーローが怪人を倒して、世界を守っている。手からはブーメランを飛ばし、敵をぶっ飛ばす。
お母さんを守りたい。
テレビにいるヒーローじゃないけれど、お母さんのヒーローになる!お母さんに擦り寄る、虫はぶっ飛ばす!
子供っぽいけど大事なものを守るという男気。こういう子にはそのまま大人になって欲しいな。

<ジョウネツノバラ>
この作品群の中ではもっとも猟奇的で美しい。
男の望みはただ1つ。愛した人と一緒に逝きたい。だから、待って欲しい。
最後に薔薇をいっぱいに敷き詰めたところで一緒に逝こう。
この作品は、観て欲しい。

<1001のバイオリン>
3.11。あの日は街だけでなく、原発だけでなく、人を変えてしまった。いや、変わらざるを得なかった。
そして、変われなかった者が残ってしまった。
どちらが正しいということじゃないと思う。でも後者の人たちは辛いだろうと思う。変わらなければならないのに、新しい生活を立てていかなくちゃいけないのに、出来ない。
あの閉鎖された区域に戻りたい。戻って探したい。
何を?
あのときに残してきた自分を。
男が変われたのかは分からない。変わらないことを選んだのかもしれない。
でも自分で選んだ道。今度は逃げない、きっと。


ブルーハーツは母親が好きだったバンド。当時は車載されてるのはカセットデッキだったからCDをダビングしてそれでずっと聞いていた。
だから、結構耳に馴染んでいる曲が勢ぞろいだった。

この作品はクラウドファンディングで配給をお手伝いしたので、エンドロールに僕の名前(本名)が出ている。「青空」をバックに名前が出てきたときは嬉しかった。この作品に名前を残せてよかった。


『ひるね姫』。

2017-03-20 18:37:48 | 映画日記
#ひるね姫

『ひるね姫』を観てきた。
神山監督の世界がグッと詰まった作品だと思う。

僕は30歳も半ばになり、僕の父はもう還暦を過ぎている。
僕は結婚していないけれど、同い年の人たちには家族がありもう子供がいて、随分大きくなっている子供もいる。
僕らは、良きにつけ悪しきにつけ、大人になってしまった。これから衰退していくこの日本の真っ只中で大人になってしまった。

前東京五輪があり、大阪万博があり、新幹線が走り、高速道路が広がり、街が広がり、ベビーブームがあり、天井は無いかのような高度経済成長があった。でも、核家族化の進行にともない少子家庭が増えた。医療の進歩で寿命が伸び、高齢者が増えた。
その一方で、仕事の無い地方から主要都市に人口が集中しだした。結果、都市は保育園も幼稚園もいっぱい。共働きなら、子供を産んでも育てられない環境になった。
地方都市は僕たちの世代がいなくなり、高齢者だらけになった。街はスカスカで、人口密度が下がった。散発して人が存在する都市構成ほど非効率なインフラは無い。電気、水道、ガスは全て配管がいる。ガスは減圧施設が要る。水道は増圧施設が要る。それを維持する必要がある。それが若い世代の世帯ならばまだいい。高齢者のためとなると、はっきり言って「いつまで生きるか分からない連中」に多額の金をつぎ込むことになる。社会福祉のために使える金が、子供たちに使える金が、老い先短い者たちにつぎ込まれる。
そして、超少子高齢化社会が出来上がった。
そんな国を、まだ強引に成長させるために東京スカイツリー、リニア計画を立てた。
そこに東日本大震災が起こった。旧世代が建てた、その場しのぎの、原発が壊れた。少しずつ良くなっているようだけれど、ロボット大国と謳っていた自国のロボットでさえ途中で止まっちゃうぐらいの高線量が放射され続けている。
問題だらけ。課題だらけ。
でも、問題がない時代なんてなかったはずだ。きっとそれなりに大変なことはあったはずだ。
オニはいつでもいたし、足を引っ張る存在はいつでもいたんだろう。
「歴史上の人物が国を作ったのではない。その時の名も無き市井の人たちがこの国を作った」
僕が歴史に名を残すことはありえない。ただの地方公務員として人生を終えると思う。
そこで出来ることをするだけだ。
オニを倒すほんの少しの助力にはなるだろう。エンジンヘッドの車輪をこぐことはできなくても、そこにあるペダルぐらいにはなれるかもしれない。

僕らが手本にしていた大人たちのやり方は、ほとんど通用しないやり方になってしまった。
老害。そう呼ばれる人たちになった。
でも、いかな理由があれど、軋轢があれど、大人も老害も含めて問題だらけのこの日本で生きていかなくてはならない。子供のため、孫のために。
カッコよくなくてもいい。泥臭くてもいい。今に必死にかじりつき生きて行こうとしなければならない。僕らが手本にしていた大人たちのやり方は通用しないけれど、その背中が見せた生きかたを引継ぐことはできるはずだ。

旧世代が作ったハードと、僕たち世代が作ったソフト。これを組み合わせただけでも世界は大きく変わった。
工作機械、自動車、パソコン、携帯電話にタブレット。ハードとソフトがなければ出来なかったもの。僕らと老害たちは何のかので色々なものを一緒に作ってきた。
僕たちの子供たちは何を作ってくれるんだろうか?
この国をどんな風に動かしてくれるんだろうか?
Day Dream Believer.
白昼夢の中にいた僕らは希望を見失いかけている。
でも、子供たちには希望を見せていてあげたい。そのために僕たちはもう一度白昼夢をみる必要がある。

Day Dream Believer, Again.

さぁ、もう一度、夢を見よう。





もう一度観てきた。

ハーツがなぜモリオの命令を無視したのか分からなかったけれど、少し分かった。
ココネの母は、自動運転技術プログラムの中に優しさという仕組みを入れたんだろう。
心根をもち、冒険する子供たちの相棒になるべき頼れる味方。そのための優しさという概念。

心羽一つで人は空も飛べる

冒険したくなる世界。冒険する価値のある世界。
そんな世界を子供に渡せるだろうか?

『彼らが本気で編むときは、』。

2017-03-09 20:08:24 | 映画日記
『彼らが本気で編むときは、』を観てきた。

LGBT。
Lesbian
Gay
Bisexual
Transgender

LGBTTQQIAAP
transsexual、queer、questioning、intersex、asexual、ally、pansexual
(大阪人権博物館にはもっと沢山の分類に分けられていた)。

人は分けたがる。これはこの箱。これはこちらの箱に。
分かりやすい。そしてその箱に入るかどうかが分からないものを、得体の知れないものとして片付ける楽な話だ。
箱は個人によって違うということだ。
「レズ?勘弁してくれよ。。。」
「ゲイ、いや、ちょっとなぁ」
「あ!いいよねバイ・セクシャルもの!でも、参加はしたくないな」
掛け算ができる(あるいはスラッシュでも可)の女性陣は、ゲイ?バイ・セクシャル?

叔父のパートナーを認めないクラス・メイトの母親に洗剤をかける。怒りであり、羞恥心だったはずだ。そして、クラス・メイトの母親はただ心配しただけだ。
少女とクラス・メイトの母親と叔父のパートナー。彼らの箱は全員違った。
違っただけなんだ。認めなくてもいい。意識されたくない。
仕事に行って、学校に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、ビールを作った人に心のなかでノーベル賞をあげて。
ただそれだけなんだ。

一歩一歩、一針一針、編み上げていく。燃やして供養するために。
それがなんになるのか?
戸籍が女になったからといってなにになった?

人は法に縛られる。
でも、魂は、心は情に縛られる。

とても切ない終わり方だけれど、これでよかったんだと思う。
皆、分相応な幸せを得るはずだ。それでいい。



【FAKE ディレクターズ・カット版】。

2017-03-05 17:44:13 | 映画日記
#FAKE
#森達也

【FAKE ディレクターズ・カット版】を観た。

一人ひとりは違って当たり前です。
個性を大事にしましょう。
学校という集団生活を営む場で、人と人との関わり方を覚える。
でも、残念ながらそこで覚えるのは、準ずることと処世術だ。
そこから弾かれた個性ある者たちはどうすればいいんだろう?

人と人は完全に分かり合うことはできない。それを知っている人は沢山いるだろう。でもそれは、意見が違う、思想が違う、環境が違うといったファクターで起こりうることだ、と考えていると思う。
見えている世界が違う。
このファクターは見落とされがちだ。分かり合う合わないのレベルじゃない、と考えてしまうんだと思う。それは宗教観とかひょっとしたら統合失調症的な病気なんじゃないのか?と考え、分かり合う努力すら避けてしまう。
多数がtrue、少数がfalse。そして、もっともっと少数はfake。

シンプルであればあるほど、分かりやすくあればあるほどメディアは食いつく。
だって、皆が見たがるから。儲かるから。
今までスターダムにいた人間が、実は嘘っぱちだった。
痛快だ。叩き放題だ。分かりやすい。分かりやすく作って、楽しく茶化せる。
そうだ。彼はfake。

見えている世界が違う。

一人ひとりは違って当たり前です。
個性を大事にしましょう。

ウソ、誤解、紛らわしい。
これを抱えない表現はありえない。それはメディアではない。ありとあらゆる番組は表現の問題を抱える。巨大メディアであるインターネットだってそうだ。BBSに書き込めば、pixivに投稿すれば、動画をアップすれば、ツイートすれば、そこに表現として誤解が生じ、紛らわしさが生じる。着火すればあれよあれよと、ウソでもなんでも広がっていく。
そしてあっさり人の人生を壊し、あるいは押し上げる。
そんな権利はないはずなのに。
ひょっとしたら、見えている世界が違うだけかもしれないのに。

一人ひとりは違って当たり前です。
個性を大事にしましょう。
個性を大事にしましょう。
個性を大事にしましょう。
個性を大事にしましょう。
自分を大事にしましょう。
一人ひとりは違って当たり前です。



この作品はドキュメンタリーであり、フィクションです。
登場する人物は全て実在しますが、一切の責任を負うものではありません。
全てのtrueは、全てfakeを含む可能性があります。
登場する人物、全てのtrue/fakeの判断の一切は、これを全て視聴者に委ねられます。



『天使のいる図書館』。

2017-02-23 23:21:11 | 映画日記
『天使のいる図書館』を観てきた。

電子書籍というのが、この数年で広がってきた。タブレット端末の普及が大きいと思うけれど。
企業、出版社だけでなく国会図書館も積極的に電子文書の蓄積を進めている。それは紙文書の電子化も含めてだ。
図書館は毎年たくさんの本を受け入れている。電子データでない書籍は、当然のごとくスペースを取る。物理空間のスペースだから割とすぐに一杯になる。だから古い本は無料配布したりして処分する。
それでも、図書館は本を、本として所蔵していく。

さくらは本好きだけれど、本の解釈が、受け取り方が、感想が、人と少し違っている。
主観の排除された本が好き。本に情報以上の何かを求めない。そうなると恋愛小説なんて読み込めるわけがない。
図書館の本は一冊一冊が使った人たちの思いがこもる。誰かが読んで、魂に何かを残し、そして、自分が読み、何かを感じ、それを次の人に。と使われるうちに、数打物のただの書籍が掛け替えのない一冊になる。作者と読者の間に立つ本。その本にたくさんの心が刻まれていく。さくらは濡れてぐちゃぐちゃになった本を直していく上司の姿を見て、それに気づく。
映画『耳をすませば』で主人公の雫と聖司は図書館の貸出カードで出会っている。本は時折こうやって人と人を繋いできた。
電子データに無い、物質としてのデータにしかできない、本の役割。
さくらはそれがわからなかった。でも、老女の想いからそれを知っていった。情報としての本ではなく、想いとしての本。たった、一冊の本。
祖母への想い。祖母の死のために伏せてしまった自分の心を思い出していく。

色々なことを、本がつなぐ世界のことを知ったとしても、さくらの不器用さはきっと今後も消えることはない。来館者が求める本とは全く違う本を提示するだろう。でも、それでいいんじゃないか?ぜんぜん違う視点で本をすすめる。それは凄いことなんじゃないか?見方が一つである必要なんてどこにある?作者が提示した本を一方方向で受け取らない方がいい。曲りなりな作者として、僕が何度か経験してきたから言えることだ。
僕は異端に魅力を感じる。社会の中で苦しみながら生きていき異端を生きる。そういう人がいてなにが悪い?
さくらが最初に出会った羽はゴミ箱の中に消えた。でも、二回目は違う。その羽根は天使の羽、いや、彼女の魂がこの世界に現れた物。

さぁ、本が繋いだ心が、新しい心を繋ごうと手を差し伸べられた。
さくら。その心を繋ぐために、図書館でファッション誌でも借りようか。