世間知ラズノ孤独

享楽日記。

初めの始まり

2011-12-21 | 舞台

『DAS MUSICAL TANZ DER Vampire』

どこかで聞くか読むかして、真偽のほどは定かではないのですが、ペンギンの行動は、必ず誰かの真似であるらしい。
つまり、行進したり海に飛び込んだり踊ったり(?)というすべての行動が、グループ内の一羽に先導されているらしいのです。
その一羽がある時突然行動を起こすのは、いつかどこかで見た別の一羽の行動を、唐突に思い出したからということらしいです。
ウソかホントかわかりませんが、そうするとまず一等最初の初めに動いたペンギンは、どうして動いたのかという話ですよね。
それとまったく同じ意味で、まず一等最初にして一人目のヴァンパイアというのは、どのようにして生まれたのでしょうか。
彼はいかにしてヴァンパイアになったのか?
ところで、ヴァンパイアとゾンビって同じものなんですかね。
ヴァンパイアたちが棺から起きあがってくるシーンでは、いつスリラーを踊り出すかとちょっとドキドキしましたが(笑)
どちらも一度死んで生き返るというか蘇るというか、いや、もう死んでいるんだからこの場合「動く死体になる」というんですか。
あれ?死ななくてもいいのかな?血を吸われたら、それが致死量でなくてもヴァンパイアになっちゃうのか。
そうすると、死んだヴァンパイアと死んでないヴァンパイアがいることになるのか?両者の間に格付けとかできちゃったりするのかな(笑)
あれ?えーと、ヴァンパイアの場合、必要にせまられて血を吸って、結果的に仲間を増やしているわけですが、するとゾンビが人を襲う理由とは何なのでしょうか。
やはりエサなのか。片腕を食べられただけで死ななくても、そのまま片腕のゾンビになっちゃうのか?
というか、まず一等最初にして一人目のゾンビはいかにして生まれたのか。
ゾンビ映画はいくつか見たことあるけど、そのへんの説明はされてたかなあ。覚えてないなー。もしかしたらそれがその作品のオリジナリティになるのかな。
ところであの村人たちは、伯爵のことをとても恐れていましたが、彼がヴァンパイアだということを知っていたからなんですよね。
ではそのヴァンパイアを恐れるということは、何を恐れるということなのか。
自分もヴァンパイアにされることか。あの宿屋の夫婦のように、年頃の娘をさらわれるということもあるでしょうが、ヴァンパイアになることを恐れるとは、何を恐れることなのか。
はじめちょっと痛い思いをしても、ヴァンパイアになってしまえば、もう年を取らず永遠に享楽的に「生きて」いけるわけですよね。
特にサラのように若さも美しさも永遠に保てるなら、実はそれほど悪いことではないかもしれないじゃないですか。
それでもそれを恐れるということは、人は潜在的に、永遠の命というものを望んでいない、それを価値あるものと思っていないということでしょうか。
いやしかし、ヴァンパイアを「殺す」方法もあるわけですから、それはやはり最終的に「死」を恐れているということなのでしょうか。
人は、生まれてきたからには必ず死ぬわけですが、その時死ぬのは当然自分ひとりだけで、しかも一生に一回しか死ねないわけで、それはつまり「死ぬ」ということがどういうことか、誰も本当には知らないということですよね。
明日交通事故で死んでも、十年後にがんで死んでも、百歳で老衰で死んでも、「死ぬ」ということにおいて人は平等で、その死に方も選べないわけですが、死に方を選ぶとはつまり生き方を選ぶことだといわれて、深く納得したのだった。
そのように、死ぬまで生きていく我々は、それではなぜ生まれてきたのか、生きるとはどういうことなのか、生きている自分とは何であるのか。
だんだんとっちらかってきましたけれども、『ダンス オブ ヴァンパイア』を観て、そんなことを考え続けているのだった。
それにしてもBBくんは可愛かったですよね!
特に一幕のラスト、下手から登場する時、シルエットなんだけど歩く姿が美しくてうっとりしたー。
できればもっともっと観たかったです。