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逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

水の科学騒動と『実録矢田事件』

2008年04月20日 | 部落解放同盟

次の文章を読んで、どんな感想を持つでしょうか。?

『労働時間は守られていますか。自宅研修のため午後四時頃に学校を出ることができますか。仕事においまくられて勤務時間外の仕事を押しつけられていませんか。
進学のことや、のことなどで、どうしても遅くなること、教育懇談会などで遅くなることはあきらめなければならないのでしょうか。また、どうしてもやりたい仕事もやめなければならないのでしょうか。』
『教育正常化に名をかりたしめつけや管理がありませんか。越境・補習・など、どれをとりあげてもきわめて大事なことですがそれに名をかりて転勤・過員の問題や特設訪問や、研究会や、授業でのしめつけがみられて職場はますます苦しくなります。』

誰が読んでも、教職員組合の、何の変哲もない仕事の多忙さと労働条件の改善を訴える役員選挙での挨拶文である。
ところが、どんな普通の挨拶状でも『解放同盟』なら『差別文書』と認定できる



解同が作成した『糾弾文書』抜粋

『あいさつ状は差別を宣伝し、解放運動に反対し、教師の古い意識を同和教育に反対する基盤として結集することを訴えたのである』

『同和教育を中傷し、その実践に水をさそうというのである』

『教師の苦しみ、困難さの原因が進学のことやのことにすりかえられている』

『人民解放の斗いに水をさし、非難中傷し分裂させ、真の敵を不明にし、差別を温存させる、正に差別者以外の何者でもあるまい』


屁理屈と膏薬は何処にでも付く。たんぽぽ集団が始めた水騒動とそっくりですね。






『朝田理論』の恐怖

1966年、京都府連で少数派であった朝田委員長派は、行政関係者や融和団体などと結託して、多数派の三木府連副委員長、塚本同書記長氏らを除名し解放同盟組織を乗っ取る。京都府連は朝田派と三木派に分裂。

解放同盟朝田委員長の特異な理論。

『民に対する社会意識としての差別観念は、客観的には空気を吸うように一般大衆の意識のなかに入りこんでいる。』、よって、

『日常、に生起する問題でにとって、民に不利益な問題はすべて差別。』
『自分らにとって不利な問題は全て差別問題。』
『自分らに不利益なことを言う者は全て差別者であり差別発言』

つまり、自分達以外はすべて差別者。批判者は特に悪い差別者であり糾弾の対象になる。





『起こるべくして起こった矢田事件』

矢田事件とは1969年4月9日、大阪市教組東南支部の役員選挙に立候補した木下浄教諭の挨拶状が、解同大阪府連矢田支部から「差別文書」と一方的に決めつけられ、玉石藤四郎氏ら推薦人3人が多数の解同員により解放会館に拉致監禁され、深夜まで激しい暴力的糾弾を受けた事件。

1969年3月18日午後4時、
一旦解同が断定した「差別」は絶対に「差別」である。いかなる弁解も釈明も受け付けない。
木下と、彼の推薦状に名を連ねていた岡野寛(当時大阪市立矢田中学校教諭)と山本和男(同)の三人は、解同矢田支部執行委員会から呼びだしを受けて支部事務所を訪ねた。
支部役人十余人がまちうけていたが、彼らはいきなり挨拶状と「糾弾文書」をつきつけ、「お前らのやったのは差別だ」とつめより、「糾弾文書」を認めるよう強要したのである。
木下が、いくら挨拶状の趣旨を説明しようとしても、彼らにははじめから聞く耳がなく、三時間あまりにわたって一方的な詰問がつづいた。
その間にも、

『頭はりたおしたいくらいや』

『の頃なら、竹槍でブスッとやるところや』

『お前、それでも教師か、頭悪いな』

『この糾弾文書を認めへんやったら、今晩帰したらんぞ』

などと、口ぐちにどなりたてて脅迫した。
そのうえ、自己批判書を書くこと、挨拶状を回収すること、さらに三月二十四日午後五時からの糾弾集会に木下を推薦した十一名の教師とともに参加することを、一方的に押し付けてきた。
単なる話合いと思って参加した木下らにとっては、全く予想されなかったことであり、あまりにも険悪な事態に気押されて、ついにしぶしぶながら認めてしまった。

しかしながら、話し合いをしようにもあらかじめ「差別文書」という結論にたった「糾弾文書」を用意し、威圧をくわえながら一方的にその承認を迫るやり方は、木下らにとってとうてい承服できるものではなかった。
問題の挨拶状はどう考えても差別文書とは思えないし、ましてや話し合いなど期待されないことは、すでに身をもって体験したところである。
木下らは一度は約束したことではあったが、山本をのぞいて「糾弾集会」への参加を拒否する態度をかため、解同支部に通告した。






『既に解同の脅迫に屈していた教組幹部と教育委員会』

本来、木下氏らを守るべきであった大阪市教組も、解放同盟の言い分を一方的にのんで、「解放同盟矢田支部の糾弾は 全面的に正しいものである」として、挨拶状を差別文書と断定する。

さらに解放同盟が再度の糾弾集会を企画すると、大阪市教組の幹部達は木下氏の推薦者らの家をまわり、糾弾集会に参加するように強要した。



実は、解同が矢田事件をおこす以前から、あの連中は市長とか警察署長とかの自宅を何日も、何週間も、何ヶ月も包囲して、相手が屈服するまで批判(糾弾)し続けていた。

最初の糾弾行動の原因は、矢田事件の何でもない挨拶文や、ブログ界の水騒動と同じで、些細な言葉の使い方が問題とされる。
時には小学生の子供同士の喧嘩での言葉が問題とされる。或いは誰が書いたか判らないトイレの落書きが問題とされ、校長や教育長、などが攻撃目標となる。

連中の主張は極簡単です。『謝れ』
水騒動とよく似ているでしょう。そっくりです。間違っているから謝れと単純に繰りかえす。
そして、一回でも解同の糾弾で謝れば、今度はそれをネタにして、完全屈服を迫る。
ヤクザの遣り口と同じです。一度謝れば最期まで謝らされる。
此の辺の心理的なメカニックは、無実でも警察で一度でも『スミマセン』と言ったらトコトン最期までスミマセンを言わされる仕組みに似ている。











『解同が拉致、監禁、脅迫、暴行』

4月9日。解放同盟大阪府連のメンバーらが突然、矢田中学と加美中学を訪れ、勤務中の、木下氏の推薦人の3人の教師、岡野寛氏、金井清氏、玉石藤三郎氏を無理矢理車に押し込んで拉致し、矢田市民館に強制連行する。

そこには、解放同盟メンバー150人と、教組役員や矢田中学校・矢田小学校の教員80人、市教育委員会の幹部らが待っており、解放同盟・市教組・教育委員会の3者合同による、陰惨な糾弾集会が始まった。

3人の教師は胸ぐらをつかまれ、イスを蹴飛ばされ、数百人の徒党に囲まれ、罵倒され続けた。

『差別者!』

『馬鹿野郎!』

『犬!』

『差別者に対しては徹底的に糾弾する』

『糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ』

『差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。』

『糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ。そう覚悟しとけ』

『お前らいつまでたったら白状するのや、お前らは骨のある差別者や。ともかく徹底的に、 明日でも明後日でも続いて糾弾する』

『お前達が認めなければ女房・子供をここに連れてきて嫁はんに言わさしたるぞ』




行方を案じた家族が弁護士に相談し、警察が事実確認の電話を入れるまで糾弾は続き、3人が解放されたのは翌10日の午前2時。実に10時間前後に及ぶ陰惨な糾弾集会であった。

関係教師に対する糾弾はこの後もエスカレートし学校で勤務する教師らに対して解放同盟側は生徒を扇動し、運動場に引っ張り出し、朝礼台に立たせて糾弾、生徒の面前で晒し者にした。

また、教師らの自宅に押しかけ、近所に脅迫のビラをまき、近隣住民に、
「毎日来るぞ。2,3日したら宣伝車を入れるぞ」と脅迫を加えた。

大阪市教組は、これらの教師に対して、差別も認めず、自己批判もしなかったと理由で全員の組合員としての権利停止処分を言い渡した。

さらに、大阪市教育委員会は解放同盟に従い、木下・岡野・玉石教諭らに大阪市教育研修所での長期無期限の研修命令を出した。
研修所で物置として使っていた狭い部屋で2名の指導主事の監視のもと、毎日、自習とレポートを書かされた。

その後、教育委員会は関係教師全てを強制異動させ、8年間に及ぶ「研修」を強要し続けた。

大阪市は、「市政だより」100万枚を市内に配布して木下氏の挨拶状を「差別文書」と規定した。

マスコミも解放同盟に従った。朝日新聞は特集を組み、解放同盟による暴力や脅迫行為には何も触れず、解放同盟側の言い分をそっくりそのまま掲載した。

(続く)

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6 コメント

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何をやっても許される人なんていない (カーク)
2008-04-21 06:45:29
>『日常、に生起する問題でにとって、民に不利益な問題はすべて差別。』
『自分らにとって不利な問題は全て差別問題。』
『自分らに不利益なことを言う者は全て差別者であり差別発言』

思考停止状態ですね。驚愕しています。
差別を逆に悪用していますね。
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コメント有難う御座います。 (ブログ主)
2008-04-21 08:44:41
カークさん。
解同は、警察官も、検察官も、裁判官も一人でやった上に、弁護人は認めない。
同和問題は元々江戸時代の身分差別の残滓ですが、解同の朝田理論とは、江戸時代以前の恐るべき理論です。
封建時代の町奉行所の取調べでも、一応は容疑者の言い分も聞いたが、解同の糾弾、確認会では、一言の言い分も認めれれません。
糾弾対象者には、差別を認め、ひたすら謝罪する以外の選択肢は最初から用意されていません。
何故なら、相手が屈服して謝罪するまで、糾弾確認会は何時までも続くからです。
解同の糾弾に耐えられ、差別を認めない人物は、ほとんどいません。
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しつこい党派 (チョッパー)
2008-04-21 17:28:18

ブログ主さんこんにちは。
タンポポさんや彼女(彼)ら同盟軍のやっていることは完全に党派による良く訓練された「政治闘争」だと思います。彼らが解同かどうかは判りませんが、その手の党派あるいは崩れであることは間違いないでしょう。
理屈を崩せないものだから、ちょっとした弱点に的を絞りその点を何度も何度もあげつらうことによって
相手が音を上げるのを待っているんですね。
典型的な党派による「政治闘争」だと思いますよ。
なぜ「政治闘争」を仕掛けたかって?
かれらのブログがいつまで経っても「主流」になれないからでしょ(苦笑
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チョッパーさん。コメント有難う御座います。 (ブログ主)
2008-04-21 18:39:50
政治闘争と言えるかどうか判りませんが、
一定以上の常識を弁える人が、少し注意して観察すれば、『典型的な党派』(特定のグループ)によるイヤガラセ或いはイジメ行為と判断できる。

まったく同じ数人のグループが一つのブロガーに対して、ストーカー紛いにしつこく付きまとって、嫌がらせ行為を働く。
一回限りの嫌がらせなら誰も気が付かないが、今回のように何回も繰り返せば、誰でも気が付きますよ。
連中は、調子に乗って、やり過ぎたんでしょう。

今の若い人は、解同の悪事をほとんど知りません。特に近畿以外では若くなくても知りません。
2年前の些細な間違いに対して謝罪せよなどと、普通の大人が言いますか。?
解同以外にそんな馬鹿なことを思いつくものは世界ひろしと言えど解放同盟以外には在りませんよ。

難しく政治闘争などと考える必要は有りません。
謝罪要求の目的は、『謝罪』です。
あれは「政治闘争」モドキではなく解同得意の『糾弾闘争』ですよ。
で、糾弾闘争の目的とは何か。?
『糾弾闘争』の目的とは糾弾相手から『謝罪』を求めることなんですよ。
一度でも解同の糾弾闘争で謝罪(屈服)した者は、それ以降は一々糾弾を仕掛けなくとも、すべて連中に服従するんですよ。

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日本人の「弱点」……「謝罪」 (kaetzchen)
2008-04-21 20:47:12
日本語の悪しき伝統として,すぐ「すんまへん」が出ることがありますね.それを言わないと礼儀に反すると知らず知らずに幼少の頃から洗脳されている.

たまたま市内の音楽家に嫁いだロシア人の女性と話していて,日本人はどうしてすぐ謝罪するんでしょうねという話になった.実は同じ問題提起がいまNHKのラジオ講座の応用編でも出てくるので,ロシア語に自信がある人は聴いてみて下さい.(再放送なので良く覚えている)

元々,旧約聖書のヨブ記1章6節にあるように,人間の罪を神に告白する者という普通名詞があり,そこから神への謝罪という概念が出発した.だからキリスト教を元にしているヨーロッパ文化でも「謝罪」というのは人間にすることではなく神へすること,それが発展して法律の通りに罰を受けることへ発展していった.だから中世の大学も神学部から法学部と医学部が分岐している.キリスト教つまり性悪説では万人が罪人だから,イエス・キリストへ罪を告白して信仰することで初めて「謝罪」が成立することを忘れてはならない.

それに比べて,性善説の日本人は「一日一善」,皆んな良い人なのである(笑) だから,西欧風に糾弾闘争を仕掛けられたら,まず謝罪するしかない.しかし,相手がヤクザだと,一度謝罪したらいつまでもつきまとわれ,警察へ訴えない限り全財産を奪われてしまう.解放同盟のやっていることは,まさにこれと同じではないだろうか.

B.G.M.「何日君再来」「蘇州夜曲」(笑)
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謝罪して円満に解決したい日本人 (ブログ主)
2008-04-22 08:25:17
>「すんまへん」・・・・それを言わないと礼儀に反する

それそれ、それです。
これが日本の良いところだと思っているが、しかし全員がそう思っていれば丸く納まる。しかし一部例外が有ると、これが余計に揉める。
其の例外が解放同盟です。一度謝ると蟻地獄に落ちたも同然で後はズルズル深みに嵌っていく。
このやり方は、ヤクザが堅気の素人を嵌める手口に似ているが、最近の解同は奈良や京都、大阪市八尾市の例では解同役員と暴力団構成員の二枚看板を掲げていて市民を恫喝している。
しかも解同が行政当局(権力)と癒着して甘い汁を吸っている様は150年前に時間が逆行した感が有る。

それも、日本人の『直ぐ謝る』性質を悪用した、悪辣非道な解同の手口をみんなが知らないから出来るんで、みんなが知ってしまえば、連中の力は無くなります。
護憲左派ブログ界での大騒動も、知らないから大騒動になったが、解同のやり口を知っていれば、誰も引っかからない。
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