逝きし世の面影

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ゴールの聖火台が無い「聖火リレー」

2021年03月29日 | 社会

古代オリンピア開催中、競技場は常に篝火を燃やしていた ナチスドイツの負の遺産「聖火リレー」

93年前の1928年7月28日オランダ・アムステルダム五輪の開会式を報じた、翌29日付東京朝日新聞に掲載されていた「聖火の塔」の画像(★注、1928年当時のオリンピックでは石造りの立派な聖火台はあったが「聖火リレー」は無かった。しかもオリンピック開会式の新聞記事には聖火台も聖火についても一切の記述が無い)

Olympic Stadium Amsterdam 1928.jpg

初めて女性の参加が認められた第9回五輪1928年(昭和3年)アムステルダムオリンピックのメインスタジアムの正面入り口近くに初めて篝火を灯すための高い塔が建設され大会開催中、継続して火が燃やされた。

物騒な聖火リレー

2008年中国北京オリンピック開会式用のギシリャのヘラ神殿での採火式には「国境なき記者団」を名のって「フリーチベット」を叫ぶ自称「人権団体」が乱入。その後も暴力で聖火リレーを妨害する騒動が欧米で頻発するが我が日本国でも一部勢力が同調、何とかして聖火を実力で奪取しようとする騒ぎが起きている

実は「聖火」はこんなに政治的だった!リオ、東京、北京…秘められた開催国の思惑

意外と知らない「聖火リレーの政治学」2016年8月4日 森田 浩之 ジャーナリスト

「聖火」が秘めた政治性

ギリシャのオリンピアで採火された火がリレーされ、開会式で聖火台に点火される。

しかし、日本人が「聖火」と呼ぶが、他の国ではそう呼ばない。

IOC(国際オリンピック委員会)の聖火は「Olympic flame」オリンピックの火。

聖火リレーは英語では「torch relay」たいまつリレー。中国語は「火炬」でどこにも「聖なる」という意味は入らない。

聖火という美しい日本語は、この「たいまつ」の持つ本当の力を覆い隠す方向に働いているのかもしれない。(★注、正しく「たいまつリレー」のままの名称なら「危ない」のは大人の常識の範囲である。ただし、国立競技場を管理する独立行政法人日本スポーツ振興センターによると、正式には日本でも聖火台ではなくて炬火台となっています。「聖火」とはマスコミや有識者が勝手に呼んでいるだけ)

聖火リレーを発明したのは誰か

競技場に火をともす古代オリンピックの儀礼が近代になって復活したのは、1928年のアムステルダム大会だ。ただし、この大会ではリレーは行われず、聖火は期間中にスタジアムの塔で燃えていただけ。(★注、この時の開会式を報じた東京朝日新聞には「聖火」の文字も無ければ、一言も「聖なるかがり火」に言及していない。何故か聖火台の写真が記事に添付されてるだけなのである)

では、古代オリンピックにはなかった聖火リレーを「発明」したのは誰か。答えはアドルフ・ヒトラー。「平和のシンボル」という聖火リレーのイメージの対極に位置する人物である。聖火リレーが初めて行われたのは、ナチスが政治利用したことで知られる1936年のベルリン・オリンピックだった。リレーは7月20日、オリンピアでの採火式から始まった。3075人のランナーが1キロずつ走り、8月1日の開会式当日にベルリンに到着した。リレーの目的のひとつは、ギリシャ文明ゆかりの聖火がドイツにもたらされることで、20世紀における偉大な文明の担い手はドイツなのだと象徴的に示すことだった。(★注、国威発揚が主目的)

ある記憶を忘れ、別の記憶をとどめた

1964年の前回の東京オリンピックでも、聖火リレーは政治と無縁ではなかった。(★注、そもそも第二次世界大戦が終わって19年後。ソ連や中国朝鮮との講和条約は未締結。理論上は日本との戦争は終わっていないのである)

オリンピアで採火された聖火は、トルコのイスタンブールからアジアの各都市を巡った。ベイルート、テヘラン、ラホール、ニューデリー、ラングーン(現ヤンゴン)、バンコク、クアラルンプール、マニラ、香港、台北・・・かつて日本軍が占領した国がいくつも含まれている。聖火を「平和のシンボル」として位置づけようとする意図があったかにもみえるが、それにしては肝心の中国大陸と朝鮮半島は素通りしている。1964年のリレーコースは、日本がアジアを侵略した戦争の記憶が忘却されたものともいえる。(★注、ニクソン大統領訪中は1971年で、アメリカや日本は当時「中国は台湾だ」と強弁。朝鮮戦争は休戦しているだけ)

聖火は台北から、リレーの最初の「国内開催地」である沖縄に入った。当時の沖縄はまだアメリカの占領統治下にあり、この年は本土復帰運動がひとつのピークを迎えていた。(★注、沖縄返還は1972年)


最終ランナーは19歳の坂井義則。坂井は1945年8月6日、原爆投下直後の広島に生まれたという「話題性」で最終走者に選ばれた。(★注、市川崑総監督『東京 オリンピック』(第18回オリンピック競技大会の公式記録フィルム)に東京オリンピック開会式で聖火最終ランナーに整列していた各国のオリンピック選手団が一斉に駆け寄ったハプニング映像の一部が一瞬だけ写っていた。
ただし、驚きの映像は瞬間だけだったし何の説明も無い。最終ランナーは次の国立競技場の階段を駆け上り聖火台に点火する記録映画のクライマックスに雪崩れ込むので誰も気が付かなかったのである)

ゴールなき日本の「聖なる火」 (★注、5年も前に書かれた記事だが、5年後の今もリレーのゴールとなる聖火台が無い)

坂井義則がトーチを手に聖火台への階段を駆け上がった国立競技場は、すでにない。(★注、2014年に東京五輪が決まったら早々と翌2015年に解体する)

2020年東京オリンピックは、公式エンブレムの選定などトラブルが次々と起きている。新国立競技場の設計案は最初の案が白紙撤回された後ようやく決まったが、聖火台の設営場所が無いことが明らかに。

仮に2020年リレーが出発しても、最終ランナーがどこまで走るのか現時点では決まっていない。ゴールの見えない「聖なる火」が、2020年に向けて、私たちに何をもたらすかもわからない。
(抜粋)

森田浩之(もりた・ひろゆき)
ジャーナリスト。立教大学兼任講師。NHK記者、『Newsweek日本版』副編集長を経てフリーランス

(さまよえるオリンピック聖火台)引退の五輪聖火台、ごま油で黒光り 新国立競技場へ

2020年3月17日 朝日新聞デジタル

埼玉県川口市のJR川口駅東口のキュポ・ラ広場で一般公開されている前回東京五輪の炬火(きょか)台(聖火台)が16日、東京・新国立競技場へと運び出された。

同市の鋳物職人親子が作り上げた聖火台として昨年10月、61年ぶりに里帰りしていた。

聖火台は最大直径2・1メートル、重さ4トン。キューポラ(鉄を溶かす溶解炉)の街川口の名工だった故・鈴木萬之助さん、文吾さん親子が手がけた。旧国立競技場が解体されて役目を終えた後も、東日本大震災 復興のシンボルとして東北の被災地を5年余かけて巡回展示されて川口に戻ってきた。
(抜粋)
★注、1964年東京オリンピックの聖火台は旧国立競技場解体後に東北地方や生まれ故郷の埼玉県川口などを転々とドサ回りを続けたが最後に記念碑として、元の国立競技場前に設置される。

旧国立競技場の炬火台について

独立行政法人日本スポーツ振興センター(国立競技場)が所有する旧国立競技場炬火台(1964年東京大会の聖火台)は、これまで宮城県石巻市、岩手県、 福島県及び埼玉県川口市へ貸出をしておりましたが、2020年(令和2年)6月9日(火)に新しい国立競技場の 敷地内(青山門・東側Gゲート 正面)に 搬入され、6月末に設置完了予定。

★注、これは1964年東京オリンピックのモニュメントとしての設置であり、決して実用を目的としていない記念碑的な代物。(通常なら競技者や観客が見る場所に聖火台が設置される決まりなのですが、隈研吾が設計した国立競技場は屋根を木造にしたので火災の危険性から建築基準法や消防法違反で設置場所が何処にも無くなったお粗末。日本の法令を知らない1級建築士との絶対にあり得ない摩訶不思議な話)

「リレーの聖火消すべき」米NBCが寄稿掲載

米国内で東京オリンピック(五輪)の放送権を持つNBCは25日、「リレーの聖火を消すべきだ」と題する寄稿を電子版に掲載した。「新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のさなか、聖火リレーは五輪の虚飾のため、公衆衛生を犠牲にする危険を冒している」とした。

寄稿したのは、米五輪代表にも選ばれたことがある元プロサッカー選手で米パシフィック大のジュールズ・ボイコフ教授(政治学)。

ボイコフ氏は、聖火リレーの出発地に福島を選んだことは「この儀式の偽善や害悪、ばかばかしさを際立たせただけでなく、五輪に向けて突き進む日本の問題の縮図でもある」と主張。「もとは『復興五輪』をうたっていたが、現地の多くの人は復興の遅れを理由に五輪を非難している。(復興の)財源は五輪の準備のため東京に振り向けられた」と指摘した。

さらに「五輪はパンデミックを悪化させかねない。開幕時にも日本国民はワクチン接種を終えていないだろう。海外から来る何千人もの選手やコーチ、記者らは誰もワクチン接種が義務付けられていない」と述べ「80%もの国民が中止か再延期を支持している」現状を解説した。
(共同)

「リレー聖火消すべき」米NBC元五輪代表大学教授の寄稿掲載

2021.03.26 デイリースポーツ(内容が日刊スポーツと同文なので省略)

もちろん主発点も大問題だが、必ずあるはずの到着場所が無い不幸。75年前の大日本帝国でも一応は「目的」(到達点)は決まっていたが今回は聖火台があった旧国立競技場は2015年に解体して、聖火台は何処にも無い。(★注、今回の聖火リレーのように走り出したらもはや自分では止まれない日本人の特殊性を批判するアメリカ人政治学者ボイコフ教授は「出発点があれば目標点がある」と信じているらしいが、我が日本国の場合には常識は通じないのである。どうだ!参ったか)

必ずあるはずのオリンピックスタジアムの聖火台が無い不思議。今回の東京オリンピック聖火ランナーは日本中を永遠に彷徨い続ける心算なのだろうか。

NBC「聖火リレーは廃止すべき」寄稿文で主張 五輪に影響力


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1 コメント

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隠された聖火台 (ローレライ)
2021-03-29 12:21:32
隠された聖火台の隠されたゴールの隠蔽オリンピック大統領!
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