逝きし世の面影

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ホロコースト否定の89歳老女が実質終身刑に

2018年08月08日 | 社会・歴史
ドイツ・ベルリンの裁判所に出廷したウルスラ・ハーバーベック被告(2017年10月16日撮影)。(c)Paul Zinken / POOL / AFP

「ナチスおばあちゃん」に禁錮2年6月、ホロコースト否定は「言論の自由に該当せず」2018年8月7日(火) The Telegraph(テレグラフ)

ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を公共の場で否定した罪で有罪判決を受け、言論の自由を理由に控訴していたドイツ人のウルスラ・ハーバーベック(Ursula Haverbeck)被告(89)がこのほど、同国最高裁判所にホロコーストを否定する行為は言論の自由には該当せず、「治安を脅かしている」との裁定を下され、禁錮2年6月の量刑を言い渡された。
「ナチスのおばあちゃん」の異名を持つハーバーベック被告は、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所におけるユダヤ人殺害やホロコーストは「歴史的に証明」されていないと主張する一連の記事を右翼雑誌「Stimme des Reiches(帝国の声)」に発表した罪で5月に有罪判決を受けていた。
ドイツでは、ホロコーストの否定は憎悪扇動罪に当たると見なされ、最長5年の禁錮刑が科される
ハーバーベック被告はドイツ憲法裁判所に控訴し、自身の意見は同国における言論の自由に当たり、その権利は法律で保障されていると主張していた。
だが判事らは、ホロコーストの否定は言論の自由の権利によっては保障されないとの判断を示した。
判事らは、「虚偽や、故意に事実を歪曲させたデマの流布は世論形成に益をもたらさない。よって、言論の自由の権利には該当しない」と文書で発表し、「ナチスによる大量虐殺を否定する行為は、公の議論で不穏な状態を招いてはならないという範囲を逸脱している」と述べている。
ハーバーベック被告は長年にわたり、かつてのナチス体制を支持し、元ナチス党員の亡夫ベルナー・ゲオルク・ハーバーベック(Werner Georg Haverbeck)とともに「Collegium Humanum」と呼ばれる右翼の「教育施設」を共同で創設したこともある(同施設は現在、運営を禁止されている)。
ハーバーベック被告は、ドイツのナチス体制下において、ユダヤ人やその他の迫害を受けた人々に対する組織的な大量虐殺は行われなかったと主張し、国内のさまざまな裁判所から複数の有罪判決を受けてきた。そのうちの一つでは、ホロコーストを「史上最大で最長のうそ」と呼んだことで有罪を言い渡されている。
8/7 AFPBB News
デーリー・テレグラフ1855年に創刊されたは英国を代表する朝刊紙で、1994年にはそのオンライン版テレグラフを立ち上げた。
★注、
日本は犯人引き渡し協定をアメリカとしか結んでいないので安全だが欧州諸国間では学術研究でも問答無用、例外なくドイツの『ホロコースト否定は禁固5年』の厳罰に処せられる怖ろしい仕組みがある。(欧州のネオナチから見れば東京裁判で認定されている『南京大虐殺』やヒロヒト天皇の弟の三笠宮まで怒った人体実験の『731部隊』を公然と否定しても許されるる日本はまさに天国そのものである)

『1970年代に新しく作られて造語「ホロコースト」の不思議』

日本人的な常識では『人の噂も75日』で、何があっても大抵のものは数ヶ月で、長くても数年で忘れられる。
我が国では、どんな重大なミスも犯罪も、解決していても解決していなくても、しばらくたてば『そんなのもあったよねぇ』程度の小さな扱いになり忘れ去られる。
直接の関係者を除けば、突き詰めれば大抵の人にとって『どうでもいい』ことなので、『過ぎてしまえば みな美しい』と美化されるか『無かった』ことになる。
『苦しみ』がつきまとう『記憶力』よりも、生残る為には『不都合な事実』を無かった事にする『忘却力』こそが精神衛生上は大事なのだ。『先送り』および『美辞麗句』との合せワザで使われる場合が多い、日本人の最終兵器である『忘却』の力は凄まじい。
日本人にとっては『思い出はすべからく美しい』のである。
ところが、困ったことにグローバルスタンダードは180度逆で、記憶が薄れるどころか、勝手に自己増殖する。残酷でおぞましい過去の記憶が、人々によって繰り返し繰り返し再生産されるのですから恐ろしい。

昔のユダヤ人の悲劇ではなく今のパレスチナ人の悲劇と密接にリンクしていた『ホロコースト神話』 

そもそも『ホロコースト』という言葉はユダヤ教の経典である旧約聖書の中の『神への犠牲』(生け贄)の意味であり以前の歴史ではまったく使っていません。昔に(ユダヤ人大虐殺の言葉はあったが、)『ホロコースト』は無かったが、世界的には70年以降、日本では80年に入ってから公式の言葉とされた。
全米各地に『ホロコースト』記念館が出来たのも、同じくアメリカの各大学に数千の『ホロコースト』を専門に扱う学部が出来たのも最近の話である。昔から在ったわけではまったく無い。
具体的にはイスラエル軍の先制奇襲攻撃による第三次中東戦争後に、そのイスラエルのアパルトヘイトを隠蔽する『煙幕』目的で、イスラエルやアメリカによって政治的に新しく創作されていたのである。
★注、
『イスラエルのアパルトヘイトと一体不可分のホロコースト神話』の他には、それまでのユダヤ人大虐殺に替えてホロコーストの言葉を新しく創作した目的とは、最大の2000万人の犠牲を出したソ連(無神論の共産党)や二番目の800万人のポーランド(カトリック)の次の3番目の600万人のユダヤ教徒虐殺を行ったドイツ(プロテスタント)との第二次世界大戦(欧州)の宗教戦争の側面を隠す目的や、冷戦を継続するためにWWⅡで果たしたソ連の功績を隠すとの邪まな目論見が考えられる。


アメリカの同盟国である西ドイツの諜報機関(独連邦情報局)に勤務していた1945年5月のナチスドイツ崩壊で壊滅したはずのナチスの諜報組織ゲシュタポやSS長官だったハインリヒ・ヒムラーの娘、グドルーン・ブルヴィッツ。(第二次世界大戦終了後に即座にアメリカは次の冷戦のためにナチスの諜報組織を再編成して事実上復活させていた)

『ヒトラーの右腕の娘、戦後にドイツ情報機関が採用【写真】』2018年06月30日 スプートニク日本

独連邦情報局は、親衛隊の最高指導者でヒトラーの側近だったハインリヒ・ヒムラーの娘、グドルーン・ブルヴィッツが同局で働いていたことを確認した。独タブロイド紙ビルトが報じた。
同紙の記者は調査を行い、ブルヴィッツが1960年代はじめ連邦情報局の秘書として採用され、数年後に「その伝記がナチズムに枷をかけられた職員との関係と理解において起きた変化」の関係で退職したことを明らかにした。
ブルヴィッツはヒムラーの唯一の嫡出児だった。彼女は2018年5月に88歳で亡くなった。
同紙によると、ブルヴィッツは老年まで右翼グループで活発であり続け、ネオナチのデモに参加し、極右組織に参加していた。
ハインリヒ・ヒムラー(1900〜1945)はナチスドイツの幹部でヒトラーの右腕、そして数百万人を殺害した強制収容所や絶滅収容所を職務の一部としていた秘密警察ゲシュタポやナチス親衛隊(SS)を率いていた。ホロコーストの提唱者で組織者。ニュルンベルク裁判で有罪判決を受け、収容所で自殺した


航空士としてB-29 Necessary Evil号に搭乗していたラッセル・ガッケンバック元アメリカ空軍少尉 (95歳)

町山智浩‏ @TomoMachi · 8月6日(アメリカ・カルフォルニア州バークレー市在住の映画評論家)

広島の原爆投下任務についた兵士の最後の生き残り、ラッセル・ガッケンバックは今も後悔していないと。そうして心に蓋をしなけりゃ生きることも死ぬこともできないだろう。命令されて行っただけの当時22歳の兵隊が10万人以上を死なせた罪を背負わされたんだから。


Superfortresses(超空の要塞)と呼ばれたB-29 Necessary Evil (必要な悪)号は、人類史上初めて都市に原爆が投下された1945年8月6日、広島市の上空を飛行したB29爆撃機3機の一つである。


B-29 Superfortresses (スーパーフォートレス 超空の要塞)Necessary Evil (必要な悪)号のラッセル・ガッケンバック少尉(22歳)


1950年代初頭のアメリカの人気玩具「ミニ研究室キット」ポロニウムとウラン入。(カジノで有名な当時のラスベガスでは観光客向けにネバダ州の核実験場での原子爆弾のキノコ雲見物の観光ツアーが用意され暢気なアメリカ人に人気になっていた)



1950年代、「Tho-Radia」社は香水、スキンクリーム、パウダーやリップスティック放射能による特別な「輝き」を宣伝していた。(第五福竜丸が被曝して無線長だった久保山愛吉さんが死亡した1954年(昭和29年)のビキニ水爆などアメリカが地上で核実験を繰り返いていた)



1946年の東京上野駅の構内で眠る人々。白黒写真をニューラルネットワークで自動色付け

勘違いしている人が多いが、野坂昭如自身の戦争体験を題材 とした小説を高畑勲監督がアニメーション化した映画『火垂るの墓』(ほたるのはか)では、戦争を生き抜いた主人公の少年が駅頭で餓死する場面が一番最初に描かれていた。
あのアニメ映画で一番恐ろしい場面とは、少年は戦争で死んだのではなくて第二次世界大戦が終わり平和になった、敗戦後しばらくたってから駅で飢え死にしていたことであろう。(日本人が戦争の恐ろしさ『飢餓地獄』を知ったのは、1945年8月15日の『玉音放送』の何年か経った後だったのである)この時アメリカはガリオア・エロアなどで家畜の飼料である脱脂粉乳を学校給食に放出して餓死から救う。
イタリアの政治思想家ニッコロ・マキャベリは『君主論』で、『人間というものは、危害を加えられると思いこんでいた相手から親切にされたり、恩恵を施されたりすると、そうでない人からの場合よりはずっと恩に感ずるものである。』と喝破したが、これほど鬼畜米英から敗戦後にアメリカ民主主義バンザイに180度コペルニクス的に転じた日本人を説明する言葉もないであろう。(日本で唯一の地上戦が行われ島民の4人に1人が死んで、生き残った一般市民がアメリカ軍によって強制収容された沖縄本島等は例外だが、)70年以上たった今でも『アメリカについていけば安心だ』と思っている日本人は大多数。マキャベリの君主論の辛辣な言葉は丸ごと真実だったのである。

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永遠に戦後から抜け出せない日欧 (海坊主)
2018-08-16 22:41:50
 第二次世界大戦までユダヤ人は迫害される対象にありました。王侯貴族たちの政治の失敗のツケ、天変地異による凶作や飢饉、その後に訪れる飢餓と疫病に苦しむヨーロッパのやるせない怒りと不満の吐け口にユダヤ人は利用されてきたのかも知れません。しかし第二次世界大戦後しばらく過ぎるとユダヤ人に対する態度が急激に変わっていきました。「ナチス」という人類の敵から極めて凄惨な迫害を受けた同情すべき名誉回復されるべき被害者、としてのユダヤ人の地位が確立されたからでしょう。

 さて、「ナチス」を『ビッグブラザー』よろしく人類共通の敵、という不可侵的地位に据え置くことで「誰」が得したのでしょう? ユダヤ人でしょうか? おそらくその答えは「否」です。私の答えは「ヨーロッパ人」です。

 ナチスドイツが引き起こした世界規模の大戦争は、確かにアドルフ・ヒトラーという稀有なカリスマによって率いられた悪夢ではありましたが、そのヒトラーを国家首班の地位につけたのは、ほかでもないワイマール体制でした。民主的な政党政治がドイツ国民がヒトラーにそのチャンスを与えたのです。ドイツ国民の多数が支持したからこそナチスは戦争を仕掛けることが出来た、という事実は見逃してはなりません。そして、そのナチスドイツが齎した戦争責任の一切をナチスに押し付けたのもドイツ国民です。それによってドイツ国民はナチスとは無関係とばかりに自らを免責しようとしました。

 「知らなかった。騙されていた」というドイツ国民。でも、強制収容所で生き残ることが出来たユダヤ人はこう喝破したそうです。「いいえ。あなた方は知っていた」

 ユダヤ人の悲劇というべきナチ・ホロコーストの歴史的意義・価値に対して異議申し立てをする人は現在のドイツにおいては非国民とされる、というのが本記事の趣旨の一つです。反ナチス活動に関わっていた人々に対し、その勇気ある英雄的行為に対し、国家はちゃんと報いてきたのかと世に問いた『ヒトラーに抵抗した人々』。この對馬達雄氏の書が私たちに教えてくれるのは、身の危険を承知でユダヤ人を匿った人々、ユダヤ人を見逃したドイツ軍人達、止むに止まれてヒトラー暗殺を単独で計画・遂行した人、そんな人々の一部は運良く生き残ることが出来たものの、その戦後は息を潜め人知れず暮らしてゆくしかなかったという事実。英雄と称されるべきそんな彼らが口を閉ざさざるを得なかったのは、本来責任を負うべきであろう多くの人々が、自分たちこそ被害者、とのうのうと居直ったからで、反ナチス者は肩身を狭く生きていかねばならなかったからです。責任を負うべき人々の存在が、数が、あまりに大きすぎて彼らに責任を負わせることが出来なかったからです。これは大日本帝国を生き残った日本国民と同じことです。責任をナチスという特定の存在に押し付けて強制的に免責したのか、あるいは責任自体を有耶無耶にして風化させようとしているのか、ドイツと日本の違いはそんな些細な程度であって、本質的に違いは無い、というのが私の意見です。

 さて、「ヨーロッパ人」が得したというのはどういうことでしょうか。既に述べたようにドイツ国民は得をしました。フランスはどうでしょう。彼らもヴィジー政権支持者という分断を生んだことでナチスへの協力者として責任を押し付けることが出来ました。ポーランド、オーストリア、チェコなどのようにナチスドイツによって占領、割譲統治された国々はどうでしょうか。敗戦後のこれらの国々において、敗戦国のドイツ人達を襲った運命は過酷なものでした。リンチや強姦、処刑、強制労働が横行し、この地に居たドイツ人達はその身を持って責任を背負うことになりました。この時の混乱は加害者、被害者双方の心に深い傷を植え付けただろうと私は思います。この戦乱期においてファシスト達がどれほど酷い事を引き起こしたのかは、あえてここでは言いますまい。それを掘り起こしてしまうとウクライナの民族主義者組織OUN、クロアチアのウスタシャなどの悪行まで問われなければなりません。つまり、ヨーロッパ全体で戦争に便乗して自分たちの勢力を拡大していく者達が暗躍していたのが、第二次世界大戦でした。個々の責任を追求することはおそらく出来ないでしょう。でも、この世界大戦に対して責任を負うべき存在は絶対的に必要でした。だから、負けた者達に全てを背負わせるのが最も都合が良かったという訳です。勝者には責任が無いのではないのです。そうではなく、責任とは背負わせるに相応しい相手に背負わせてしまうものなのです。

 ナチ・ホロコーストの歴史的意義・価値に対して異議申し立てをする人は、その正誤は別に、一切の責任を押し付けられたナチスの名誉回復に繋がり、ヨーロッパの責任問題が再燃してしまう恐れがあるので、封印するというヨーロッパの意思と対決せざるを得ない、というのが私の見立てです。
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ヒムラー日記 (在欧者)
2018-08-09 04:12:14
大学でヒムラーの青年時代の日記を読まされました。なんとロシアに移住し、そこで家庭をもつことを夢想しているのです。吾が兄たちは満蒙飛躍を夢見ていましたね。北海道の戦後開拓地には満蒙引揚者が入植させられましたが、いやあ悲惨極まる生活でしたよ。蝋燭が惜しくて、樺皮を灯明にしておりました。そういう我が家でも、米が惜しくて昼飯は南瓜と馬鈴薯を食っておりました。ただみんな優しかったな。
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魂の飢餓感 (私は黙らない)
2018-08-09 03:52:19
すみません、横にそれます。
朝一番、翁長知事の訃報。ここ最近、一番恐れていたことがおきてしまった。
私の中で、この人はレジスタンスの象徴だった。今、途方もない喪失感に苛まれている。
沖縄はある意味、日本のおかれた状況を無残にも露呈し、それだけに政治の意味が違った。翁長さん後、沖縄の言論を守るのは誰だ。
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責任のがれ (私は黙らない)
2018-08-09 03:45:57
すべてをナチスのせいにし、責任のがれをする連合国。ユダヤ人大量虐殺を知りながら、どうしてアウシュビッツを空爆しなかった?ユダヤ難民を受け入れなかった?
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ポロニウムやウランの生体実験キット (ローレライ)
2018-08-08 16:02:33
ポロニウムやウランの生体実験キットが売られていた、アメリカ。確かに、ただちに、放射性物質では人は死なない!
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