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「先進国」の名刺をしばらく引っ込めよう=韓国中央日報

2014-04-24 05:24:56 | 日本を見つめる世界の目
韓国中央日報の金玄基(キム・ヒョンギ)東京総局長が、次の記事を書いています。

http://japanese.joins.com/article/437/184437.html?servcode=100§code=120 より後半部分を引用します。

われわれは皆、先進国という名刺をしばらく引っ込めよう。くやしいが仕方ない。いくら経済規模が大きくなったと言っても、国民の命が保証されない社会を誰が自信を持って先進国だと言えるだろうか。

「安全先進国」日本の2つの事例はわれわれの進むべき道を示唆している。

第一にシステムだ。日本は1998年、首相直属の内閣危機管理監という官職を作った。すべての安全関連事故に対して迅速に対応する“最高のプロ”がこの管理監のもとに布陣している。自然災害はもちろんセウォル号事故のような海難事故など、20種にわたる種類別詳細マニュアルが存在する。事故の第1報が受け付けられると、すぐに警察・自衛隊・地方自治体をつなぐ指揮体系、メディア対応、被害者家族支援など、すべてが水の流れのようにスムーズになされていく。セウォル号事故のように安否不明者数が半日のうちに逆転し、海洋警察も安全行政部もてんでバラバラで右往左往しているということはあり得ない。大統領がその場で指示を与えたため2時間で現地中継装置が設置されるというコメディのようなこともない。

第二は意識だ。「自分が居るべき場所、自分がやるべき仕事」を守る、簡単にいえば先進国民の姿勢だ。2009年11月13日、東京湾を離れて沖縄へ向かっていた大型旅客船「ありあけ」は航海中に座礁して90度に傾いた。「ありあけ」は今回事故を起こしたセウォル号を日本で運営していた会社に所属していた船だった。8メートルの高波の中で、20人の乗務員は救助船に乗客を全員引き渡したあとも船内に残って確認作業を続けた。そして最後に残った船長と乗務員7人は互いに「われわれは大丈夫だ」と共に叫びながら海に飛び込んだ。幸いにも彼らは全員救助された。港に到着した船長の松本氏(当時49歳)の第一声が印象的だった。「『ありあけ』を最後まで守ることができなくてとても悔しい。しかしわれわれは乗客を救った。それならいい」。

われわれ皆、大韓民国の名をかけてやり遂げよう。われわれの子どもたちに、これ以上、暗黒の恐怖を経験させてなるものだろうか。


 中央日報は、次の社説を載せています。

【社説】韓国は「三流国家」だった

旅客船「セウォル号」沈没事故4日目。韓国社会は今、「集団アノミー」または「集団メンタル崩壊」に陥ったも同然だ。みんな魂の抜けた状態だといっても過言でない。政府は信頼されず、怪談は乱舞し、疑惑は増幅している。17日に朴槿恵(パク・クネ)大統領が珍島事故現場を訪れ、行方不明者の家族の絶叫を聞き、一線の公務員に最善を尽くすよう命令した後、この行き詰まった災難の局面でやや疎通が生じるするようだった。大統領の訪問後、無説明で一貫していた当局は、行方不明者の家族がいる珍島体育館に大型スクリーンを設置するなど動き始めた。

18日。ようやく船内に空気を注入し、この日午後、救助隊が船内に進入して本格的な行方不明者の安否確認作業に入った。現場救助作業で一段階進展があったのだ。しかしこうした進展も大統領の約束も「集団メンタル崩壊」を落ち着かせることはできなかった。

この日午前から私たちの社会は民間潜水士というある女性の嘘に振り回された。「救助作業をする民間潜水士に、救助隊員が適当に時間をつぶして行けと話した」などの発言だった。これをテレビのニュース番組が報道し、ネットユーザーは非難を浴びせた。嘘であることは直ちに明らかとなり、該当放送局は速かに謝罪した。問題はこうした全くでたらめな主張まで一瞬のうちにSNSに乗って社会全体を揺るがすほど、私たちの共同体には深い不信感が広まっているという点だ。こういう時であるほど分別力を発揮すべき政府や報道機関までが冷静さを失う状況であり、市民はもう頼れるところがない。

修学旅行へ行く途中に災難にあった安山檀園高校の行方不明者の家族はこの日、「政府の態度に怒りを感じる。責任者もいないし、ずっと嘘をつく」と国民に訴えた。また、セウォル号から救出された檀園高の教頭が首をつって自殺した。相次ぐ悲劇の中で「乗客になぜ非常時の行動守則も知らせなかったのか」「救助現場に出動した救助隊はなぜ1時間ほど誰も船内に入って現場救助をしなかったのか」「日本が寿命を終えて転売した20年経った旅客船は無理な改造までしたが、どのように安全検査に通過したのか」など多くの疑問と疑惑が新たにあふれている。

不信感ばかりが支配する社会。しかしこれを収拾する政府の姿は見られない。むしろ空回りする政府の姿ばかり随所で突出している。中央災害安全対策本部は18日、「海洋警察が船室に入った」と発表したが、しばらくして発表を覆した。事故初日に救助された人と乗船者の数さえ集計できなかった政府の混乱は、大統領が最善を尽くすよう命令した後にも続いた。現場の記者は話した。「中央災害安全対策本部は掌握力もなく、海洋水産部と安全行政部は疎通せず、派遣公務員は弁解ばかり…、見ていて我慢できないほどだ」。

珍島の現場記者はこう述べた。「パンモク港には119救急車が並び、、企業など民間人ボランティアメンバーが集まり、ふとんから下着まで家族が必要な物品を与えて待機している。問題は意欲と気持ちはあるが、みんな何をすればよいのか分からないという点だ。対策機構は一元化されず、対応マニュアルがないため、現場は効率的に動けない」。

この超大型災難の前で、私たちは「安全政府」に対する期待と希望までが沈没してしまった、もう一つの悲しい現実に直面した。世界7位の輸出強国、世界13位の経済大国という修飾語が恥ずかしく、みすぼらしい。木と草は強風が吹いてこそ見分けることができるという。一国のレベルと能力も災難と困難が迫った時に分かる。韓国のレベルは落第点、三流国家のものだった。あたかも初心者の三等航海士が操縦したセウォル号のように、沈没する国を見る感じであり、途方に暮れるしかない。私たちの社会の信頼資産までが底をつき、沈没してしまったも同然だ。この信頼の災難から大韓民国をどう救助するのか、いま政府から答えを出さなければならない。


 重い現実です。

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