第83位:壬辰・丁酉の倭乱(文禄・慶長の役) 豊臣秀吉による朝鮮出兵 世界史に影響を与えた戦いランキング
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明は、国内の宦官と官僚とが権力争いを繰り広げていた。
外でもモンゴル、女真族、倭寇など、外敵も多かった。
北虜南倭により、明は衰えていった。
1572年、10歳の万暦帝が皇位に付く。
この際、科挙出身者である張居正が実権 を握り、衰えた明の国力を回復させるべく諸改革を行ったが、張居正が亡くなると元に戻った。
中国では、三皇五帝といい、天皇>皇帝>国王 という考え方があったので、明は、天皇がやっかいだった。
なので、足利氏を国王にした。豊臣秀吉は認めていない。
秀吉は、マニラや台湾などに冊封体制を敷こうとした。
秀吉は、広大な情報網を持ち、明の弱体も知っていた。
これをふまえて、明日の記事を見てほしい。