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週刊 仏教を歩く[改訂版] 5号 親鸞

2017-09-01 05:13:50 | 宗教の窓
週刊 仏教を歩く[改訂版] 5号 親鸞



いよいよ浄土真宗の開祖、親鸞です。

信者の方には不十分かもしれませんが、簡単に説明します。


親鸞は1173年、京都で生まれました。

父は、藤原家末流の下級貴族である日野有範、母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の吉光女。幼名は松若麿(まつわかまろ)。

1181年、叔父に連れられ、京都の青蓮院で得度。名は範宴(はんねん)。得度は出家の儀式のことです。

天台宗の僧侶として、29歳まで比叡山で学問修行をします。

1201年(29歳)、比叡山と別れ、京都の六角堂で百日間の参籠をします。

九五日目。

聖徳太子(救世観音の化身)が現れ、

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」

これをどう思います?

ひとつの解釈ですが、
行者が因縁によって女性と一緒に交わったならば、私が女性となりましょう。以後荘厳に過ごし、命を終えるとき、導いて極楽に導きましょう。[

さらに「此は是我が誓願なり 善信この誓願の旨趣を宣説して一切群生にきかしむべし」の言葉を得ます。

そして、法然(1133-1212)を訪ね、百日にわたり法然の元へ通います。

1203 救世観音の夢告を得て、恵信尼と結婚。 肉食妻帯を断行される ここがすごい!

1207 後白河上皇が念仏を停止。
   承元の法難
    法然上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ流刑に遭われます。

  この頃から「愚禿釈親鸞」を名乗ります。
  親鸞という名は「天親」と「曇鸞」に由来し、以降は、非僧非俗の在家仏教の道  を歩みます。

1211 流罪が許されますが、稲田(現笠間市)の草庵に住み、『教行信証』の執筆を開  始します。1224年にほぼ完成します。

1235頃 京都に戻ります。

1256頃 息子の善鸞を義絶。

1262 九十歳で浄土に往生。

すごい人です。


親鸞とはどんな人?
 「非僧非俗」を貫いたラジカルな思索者
  山折哲雄

■イラスト親鸞交友録

親鸞 教えの広がり
 本願寺教団の形成と関東の門弟たちの流れ
  佐藤正英

■親鸞のあゆみ

親鸞のことば
 「他力」こそ悟りへの道
  佐藤正英

[仏教 見る・聞く・ふれる]
 東国の親鸞と二十四輩
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付録解説 はじめての写経
 英月
 

親鸞ゆかりの旅

西本願寺
 信仰の空間と華麗な建築群
  佐藤文子
◆境内マップ
◆名僧の遺産

恵信尼の書状
 佐藤文子


東本願寺 
 御影堂と阿弥陀堂の威容
  佐藤文子
◆境内マップ
◆名僧の遺産

国宝「教行信証」(坂東本)
 赤尾栄慶

◆西本願寺/東本願寺
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