私は中村紀洋選手のことは高校時代から知っていて、プロ入りして間もないころの数年間は結構好きな選手でした。
高校は大阪の公立校、大阪府立渋谷高校出身で、公立高校で夏の甲子園に出たということで人気も高かった。
大阪は私立の名門校も多く、たくさんの地元の選手が大阪を出て、たくさんの選手が他の都道府県から来るという、地元というには少し、首を傾げたくなる減少がずっと続いている。
そんなところに大阪の公立校で地元という感じをたくさん感じる、渋谷高校は大阪の人も応援しやすそうで喜んでいるように思えた。
そこで中心選手として投手、遊撃手だったのが中村紀洋だ。
彼がこの高校を甲子園に連れてきたといっても過言ではない選手だった。
大阪選抜として、人生初のナショナルゲームを経験したのもこのころだった。
そのあと、近鉄バファローズのドラフト4位で入団。
即、内野手に転向して、その後、割と早く、三塁手のレギュラー選手に成長する。
昔は太ってはいなかった。
昔の写真を見ると、今の姿を知っているだけに、より細く感じる。
その後、プロもオリンピックに参加できることとなり、日本代表の4番になる。
その後、近鉄では優勝を経験するわけだが、このときに中村ノリはシドニーオリンピックで経験したことで大きく成長していた。
それでチーム内でも厳しい発言をしつつ、成績を残して、文句をいわれない状態にしていた。
松坂との優勝の一試合前の対決はたいへん興奮するものだった。
中村ノリは対決に勝ち、サヨナラホームランを叩き込んだ。
その翌日、北川選手が「代打逆転さよなら満塁ホームラン」というとてつもなく、長い名前がついたホームランを打つのだが、その前の試合に勝ったからこそ、この試合があるのだ。
残念ながら、日本一は逃すがよいシーズンだった。
しかし、ここからが問題だ。
メッツ行きの話が変な方向に進んだのだ。
当時の代理人があまり、優秀な代理人ではなかったようで、近鉄も経営が苦しかったのにもかかわらず、かなりな金額で中村ノリの慰留に力を注いできた。
近鉄も出ると思ったのかもしれないが、事は意外。
近鉄残留となったのだ。
そこから、何かがおかしくなったのか、残留してからは精彩を欠くことも多く、ひざの故障などあって、思うような成績が残せない。
アテネオリンピックにも出場したが、何かねぇ…。
で、チームの戻ったら、アテネ前からくすぶっていた合併問題が本格化。
近鉄は消滅に近い形で合併となった。
一部に中村ノリの年俸などが槍玉にあがったところもあったね。(合併は近鉄の経営の甘さが原因だと思うが)
その後は以前とは違う代理人(ダン野村氏だっけ)でマイナーのドジャース入りとなった。
ノリ、ドジャースと合意 1年契約 総額5200万円
【ロサンゼルス2日=長田亨】オリックス・中村紀洋内野手(31)のドジャース入団が2日、決まった。ポスティングシステム(入札制度)で独占交渉権を得ていたド軍が、契約合意したと発表した。メジャーリーグ(MLB)の公式ホームページによるとマイナー契約で期間は1年。3日(日本時間4日)にドジャー・スタジアムで入団会見が行われ、マッコート・オーナー、デポデスタGMも同席する予定だ。
自主トレのため、家族とともに滞在中のロサンゼルス市内で、ノリが笑顔をのぞかせた。「ホッとした反面『これから』という気持ち」ポスティングでのメジャー挑戦を昨年11月3日(日本時間)に表明してからちょうど3か月目。FA権を取得し、初めてメジャー希望を明かした2002年から数えて4年目で、ついに夢がかなおうとしている。
契約の詳細は明らかにされていないが、昨年、近鉄では年俸5億円だったスターには厳しい内容に違いない。メジャーの最低年俸は30万ドルで、地元紙の報道なども総合すると、年俸を含めて総額50万ドル(約5200万円)前後と推測される。
ド軍のエーシー興梠(こうろぎ)社長補佐兼アジア担当取締役も「春季キャンプで100%の力を発揮できるよう、体調を整えて頑張ってほしい」と説明するように、マイナー契約で、23日からフロリダ州ベロビーチで始まるキャンプに参加し、開幕ロースター入りを目指すことになりそうだ。
フルスイング男に、それでも迷いはない。「キャンプから打撃はもちろん、守備もアピールしていきたい」今オフ、主砲のベルトレ三塁手がFA移籍しており、石井一久とともに大リーグで開幕を迎える可能性は十分。ポスティング制度を利用した日本人4人目の、内野手としては松井稼頭央(メッツ)、井口資仁(Wソックス)に続く3人目のメジャーリーガーへ。ノリの挑戦は、これからが本番だ。
◆中村 紀洋(なかむら・のりひろ)1973年7月24日、大阪市生まれ。31歳。渋谷高からドラフト4位で92年に近鉄入団。00年に39本塁打、110打点で本塁打、打点の2冠王。翌01年にも132打点で2年連続の打点王に輝き、リーグ優勝に貢献。家族は浩子夫人と3女。180センチ、92キロ。右投右打。
◆ノリに聞く
―今の気持ちは
「(2003年のプレーを目指した)2年前にかなわなかった夢が実現した。ホッとした反面、『これから』という気持ち」
―昨年11月3日に移籍表明してから3か月。悩んだ時期もあったのでは?
「ポスティングを申請して『手をあげる球団があるかな』と、気持ち的な部分で悩んだ」
―オリックスに対しては。
「最後まで僕を待ってくれて感謝している。今後、何かの形で恩返しができれば…」
―今後の抱負は?
「キャンプから打撃はもちろん、守備もアピールしていきたい」
中村のドジャース入団を発表
私も一回は好きになった選手。
アメリカに行って、もまれ、良い選手になってほしいと願う。
高校は大阪の公立校、大阪府立渋谷高校出身で、公立高校で夏の甲子園に出たということで人気も高かった。
大阪は私立の名門校も多く、たくさんの地元の選手が大阪を出て、たくさんの選手が他の都道府県から来るという、地元というには少し、首を傾げたくなる減少がずっと続いている。
そんなところに大阪の公立校で地元という感じをたくさん感じる、渋谷高校は大阪の人も応援しやすそうで喜んでいるように思えた。
そこで中心選手として投手、遊撃手だったのが中村紀洋だ。
彼がこの高校を甲子園に連れてきたといっても過言ではない選手だった。
大阪選抜として、人生初のナショナルゲームを経験したのもこのころだった。
そのあと、近鉄バファローズのドラフト4位で入団。
即、内野手に転向して、その後、割と早く、三塁手のレギュラー選手に成長する。
昔は太ってはいなかった。
昔の写真を見ると、今の姿を知っているだけに、より細く感じる。
その後、プロもオリンピックに参加できることとなり、日本代表の4番になる。
その後、近鉄では優勝を経験するわけだが、このときに中村ノリはシドニーオリンピックで経験したことで大きく成長していた。
それでチーム内でも厳しい発言をしつつ、成績を残して、文句をいわれない状態にしていた。
松坂との優勝の一試合前の対決はたいへん興奮するものだった。
中村ノリは対決に勝ち、サヨナラホームランを叩き込んだ。
その翌日、北川選手が「代打逆転さよなら満塁ホームラン」というとてつもなく、長い名前がついたホームランを打つのだが、その前の試合に勝ったからこそ、この試合があるのだ。
残念ながら、日本一は逃すがよいシーズンだった。
しかし、ここからが問題だ。
メッツ行きの話が変な方向に進んだのだ。
当時の代理人があまり、優秀な代理人ではなかったようで、近鉄も経営が苦しかったのにもかかわらず、かなりな金額で中村ノリの慰留に力を注いできた。
近鉄も出ると思ったのかもしれないが、事は意外。
近鉄残留となったのだ。
そこから、何かがおかしくなったのか、残留してからは精彩を欠くことも多く、ひざの故障などあって、思うような成績が残せない。
アテネオリンピックにも出場したが、何かねぇ…。
で、チームの戻ったら、アテネ前からくすぶっていた合併問題が本格化。
近鉄は消滅に近い形で合併となった。
一部に中村ノリの年俸などが槍玉にあがったところもあったね。(合併は近鉄の経営の甘さが原因だと思うが)
その後は以前とは違う代理人(ダン野村氏だっけ)でマイナーのドジャース入りとなった。
ノリ、ドジャースと合意 1年契約 総額5200万円
【ロサンゼルス2日=長田亨】オリックス・中村紀洋内野手(31)のドジャース入団が2日、決まった。ポスティングシステム(入札制度)で独占交渉権を得ていたド軍が、契約合意したと発表した。メジャーリーグ(MLB)の公式ホームページによるとマイナー契約で期間は1年。3日(日本時間4日)にドジャー・スタジアムで入団会見が行われ、マッコート・オーナー、デポデスタGMも同席する予定だ。
自主トレのため、家族とともに滞在中のロサンゼルス市内で、ノリが笑顔をのぞかせた。「ホッとした反面『これから』という気持ち」ポスティングでのメジャー挑戦を昨年11月3日(日本時間)に表明してからちょうど3か月目。FA権を取得し、初めてメジャー希望を明かした2002年から数えて4年目で、ついに夢がかなおうとしている。
契約の詳細は明らかにされていないが、昨年、近鉄では年俸5億円だったスターには厳しい内容に違いない。メジャーの最低年俸は30万ドルで、地元紙の報道なども総合すると、年俸を含めて総額50万ドル(約5200万円)前後と推測される。
ド軍のエーシー興梠(こうろぎ)社長補佐兼アジア担当取締役も「春季キャンプで100%の力を発揮できるよう、体調を整えて頑張ってほしい」と説明するように、マイナー契約で、23日からフロリダ州ベロビーチで始まるキャンプに参加し、開幕ロースター入りを目指すことになりそうだ。
フルスイング男に、それでも迷いはない。「キャンプから打撃はもちろん、守備もアピールしていきたい」今オフ、主砲のベルトレ三塁手がFA移籍しており、石井一久とともに大リーグで開幕を迎える可能性は十分。ポスティング制度を利用した日本人4人目の、内野手としては松井稼頭央(メッツ)、井口資仁(Wソックス)に続く3人目のメジャーリーガーへ。ノリの挑戦は、これからが本番だ。
◆中村 紀洋(なかむら・のりひろ)1973年7月24日、大阪市生まれ。31歳。渋谷高からドラフト4位で92年に近鉄入団。00年に39本塁打、110打点で本塁打、打点の2冠王。翌01年にも132打点で2年連続の打点王に輝き、リーグ優勝に貢献。家族は浩子夫人と3女。180センチ、92キロ。右投右打。
◆ノリに聞く
―今の気持ちは
「(2003年のプレーを目指した)2年前にかなわなかった夢が実現した。ホッとした反面、『これから』という気持ち」
―昨年11月3日に移籍表明してから3か月。悩んだ時期もあったのでは?
「ポスティングを申請して『手をあげる球団があるかな』と、気持ち的な部分で悩んだ」
―オリックスに対しては。
「最後まで僕を待ってくれて感謝している。今後、何かの形で恩返しができれば…」
―今後の抱負は?
「キャンプから打撃はもちろん、守備もアピールしていきたい」
中村のドジャース入団を発表
私も一回は好きになった選手。
アメリカに行って、もまれ、良い選手になってほしいと願う。