かつては定年(60歳)まで働き、十分な満額の退職金をもらい、年金支給がすぐ始まるというのが当たり前だった。今は人件費削減のために、役職定年がどんどん前倒しされている。
大手でも大半が55歳で事実上リタイアし、先には昇進もない。それどころか仕事を続けたければ再雇用、再任用制度で給料は半分くらいになり、責任ある仕事もないというきつい立場に追い込まれていく。
先行世代のキャリアパスが全く参考にならない雇用環境に投じられている。不機嫌なおじさんが激増しているのは、たぶんそのせいなんでしょう。
でも、それは彼らの人間的な資質ではなく、あくまでも制度の問題なのだと思う。この間まで、「部長!」とか呼ばれていたのが、目下の人間に軽く扱われるようになった男の屈託を理解してあげてほしい。気の毒な立場なのです。
第一にお金の問題。
ヒッチコックの映画「サイコ」に、「金で幸福は買えないが、金で不幸は追い払える」というセリフがある。
家庭内で「お金がない」というのは、お金があれば回避できたトラブルに日常的に悩まされるということ。お金がないことから始まるトラブルの深刻さは、家事分担で揉めるのとは比較にならない。
だから老後の後半戦に備えるのは急務なんです。配偶者や家族で相互支援体制確かなものにする。まずは現実認識を共有して、それぞれの職場の雇用状況や今後の業界についてお互い耳を傾ける。
その上で「なんとかせねば」、「何ができるか」を考える。どう分業していくかを考える。
次に、生き延びるために大切なのは、これまでのキャリアパスからの発想の転換とネットワークの構築。
都会から帰農した若者たちに聞くと、日々の生活必需品はほとんど物々交換やサービス交換で手に入るそう。市場経済と直接リンクしてないから、不況になろうと株が乱高下しようと、生活の質は変わらない。
生活の安定を考えるなら、地域共同体や親族共同体の相互扶養ネットワークをしっかり構築するのはありうる選択肢の一つだと思う。
最後に、生き延びるために必要な一つに、いかに「愉快に、機嫌よく」生きるか。不機嫌では想像力も知性も働かない。
悲観的にならない、怒らない、恨まない、そういうネガティブな心の動きはすべて判断力を狂わせる。にこにこ機嫌よくしていないと危機は乗り越えられません。
眉間に皺寄せて、世を呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断は、すべて間違える。すべて。本当にそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重要な決断を下してはいけない。
これは先賢の大切な教えなのである。
まずは配偶者や家族との関係を穏やかで健全に保つこと。そのためには、自分が機嫌よくしていることが必須なんです。とりあえず「何とかなるよ」と笑っていられる家族でありたい。