にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

愉快なにゃんこ達(15)

2020-01-31 19:13:00 | 愉快なにゃんこ達

 兄弟姉妹の多い末っ子は、人間の場合でも犬猫の世界でも、どちらかというと甘やかされて自由奔放に育てられやすいのかな。

 マリ♀生後1歳7ヶ月ソマリ種、我が家のにゃんこ7頭中、6頭目に迎え入れた。7頭中、♀は2頭しかいない。このマリはとにかく気が強くて、先住にゃんこ達5頭とは触れ合うことなく逃げ回っている。

 ワンちゃんと異なりにゃんこ達の世界の関係は、飼い主があれこれとテコ入れできない。にゃんこ達に任せるしかないと思ってる。













 我が家で唯一の長毛猫、爪の手入れや長毛のブラッシングも嫌がるので、寝ている隙にそっとやる。たまに気づかれて逃げられてしまう。

 誰一人として抱っこはできない。生後3ヶ月くらいで引き取ったが、初めから抱っこすると嫌がって暴れた。しかし、たまに機嫌が良い時があり、自分からスリスリ寄って来たときは軽く両手を持つくらいの抱っこができる。

 7頭目に迎え入れたレオっちが唯一のジャレ合える友だ。レオは♂生後1歳5ヶ月で歳も近くてやさしい性格なので変な喧嘩にならない。マリの良き理解者だと思う。










 レオっちはマリと正反対に抱っこすると尻尾を丸めて身体も丸めて降参、無抵抗でひたすらじっと固まっている。毎日、私と連れから抱っこされてもてあそばれる。にゃんこには生まれつきの個性や習性が強くて面白い。










 もう1頭のママ猫テト、もともと神経質で気難しいにゃんこだったが、歳と共に子供産んでからは穏やかで落ち着いた。









 パパ猫ゴンは、寝てるところを起こして撮ったので目が怒っている。とにかく穏やかで優雅で落ち着いている。いつ抱っこしても嫌がらないでゴロゴロいって気持ちよさそうに身を任せる。帰宅するとお出迎えしてくれてくっついてくる。

 明日からはもう2月、3日は節分の日に4日が立春。今年はオリンピックイヤーだから閏年で29日がある。にゃんこ達にも楽しいことしてあげなくては。


 

麺『みつヰ』@東京都台東区西浅草

2020-01-30 18:56:00 | ラーメン探索

 中国武漢が発生源となる新型コロナウィルスが猛烈に拡散し始めている。中国は一党支配の独裁国家だから情報統制や規制が凄まじい。こういう国で新種の目に見えないウィルスが発生、拡散するとほんとうに怖い。

 正確な情報伝達や適切な初期対応が拡散や被害を小さいものにする。が、今回もそういう最善の対応はとれなかったみたいだ。さあ、どうなるのだろう。日本でも7〜8人の方が発症してしまった。これでおさまるとは到底思えない。

 昨日、急な一泊入院からの帰り道、浅草下車して、身体にやさしく美味しいラーメンを求めた。このお店がすぐ浮かんだ。2年ほど前に初訪問して2度目の訪問である。

 ここも前回の東京竹末とコンセプトが似ていてザ和風の中華そば。上品な淡麗薄口味でいい仕事を施されたラーメン。2017、2018、2019と3年続けてTOKYOラーメン百名店に選出されている。










 浅草駅より銀座線の田原町駅が近い。11時半過ぎに到着するとすでに8名くらいの行列待ち。30分近く待たされて帰る頃の12時20分くらいは20人近い行列に。平日でも浅草一のさすがの人気店である。

前回も醤油、今回も醤油、麺が2通りから選べて前回は中太ちぢれ麺、今回は細麺でオーダーする。7席しかない店内はこじんまりとしているが、50前後の和食職人風の店主とその奥さんと見られる夫婦2人で切り盛りしている。

店主の旦那が麺の湯切り、そのやり方が独特で面白い。凄く麺を丁寧に気持ちを込めている。盛り付けもとても繊細で丁寧である。こういう姿見るとラーメンを味わう前からこの料理は間違えないと期待できる。
















 箸とレンゲ置きと和食頂く時よく見るお盆が初めからセットされている。食べる前から和の気配りを感じる。

 味はやはり繊細でやや柔らかめの麺にスープ出汁がよく絡んで香味油少なく上品な和食の味わいである。やはりここのラーメンを選んで大正解だった。

 2年前くらいの初訪問では、薄口の味わいに少し物足りなさを感じたのが、今回はお腹が空っぽに近くて飢えていたからか、鷄と魚介系、野菜系の繊細な出汁が身にしみて感じられた。













 よく手入れされたレンコンが小さいが一切れ添えてあった。ラーメンの食材としては珍しい。はじめての経験だ。ネギの切り方、添え方も大変味わい深い。

 やはりここの醤油ラーメンは他店にない唯一無二の和を感じる。私の中では、トップランクにしたい醤油ラーメンである。






 ご馳走さまでした。
心の底から満足できるラーメンでした。同じお店のラーメンでもこちらの心構えや身体の状況が異なるとこれほど味の感受性も異なるのかと、また一つ美味しさの発見をした気分だった。




一泊二日の入院

2020-01-29 11:56:00 | 日常

 2年ほど前、人生初の内視鏡検査で大腸がんが見つかり即入院、その一週間後に手術した。ステージ3ーa(ステージ0,1,2,3-a,3-b,4と5段階)で腸のリンパにも転移していた。手術で20センチくらい大腸を切除してもらった。

 幸い転移しやすい肺と肝臓には今のところ転移なくこの2年間異常がない。半年に一回ペースで胸と腹部のCT撮り血液検査、1年に1回は内視鏡で大腸全てを検査することになっている。術後5年間で再発しなければ、再発率は極端に落ちる。

 1年前の内視鏡検査で2ミリ程度の小さなポリープがあって、まだ小さいから大丈夫ですと言われていた。今回は5ミリ程度に大きくなっていたから切除した方が良いということで一泊することになった。













 この半世紀の医療技術の進歩には目を見張るものがある。日進月歩で病気の治療技術が進歩している。

 しかし、他の学問と同様に人間がこれまで解明した、発見した事柄は、自然科学の分野で1%にも満たないごく少ないもの。その中には解明して自然の摂理を人間が操作しない方がいいこともある。

 がんという病は、日夜世界中の研究者、医療従事者が血眼になってその治療法を模索しているが、決定打が見つかっていない。

 自分自身の細胞が突然変異して増殖し続けることにストップをかけて根絶するのに、切除しか最終手段がないのが現状である。発生のメカニズムとか転移の様子はほとんど解明されているのに、それを阻止する手立てが見つかっていない。

 ある意味、がん細胞はけなげな自分自身の細胞である。痛めつけられて損傷した細胞を修復しようと頑張った果てに、頑張り過ぎて細胞分裂を止めなくなった自身の細胞である。その突然変異にも遺伝的要素と後天的要素があるらしい。

 私も研究者のはしくれである。同級生や大学時代の友人でがん治療に取り組む医師や研究者たちがいる。彼らにいろいろとお世話になったし、現状の確立されたあらゆる治療法を教えてもらった。

 お金をかければ必ずしもベストな治療が受けられるわけではない。その患者さんの経済力と身体の状況、その治療法に適しているがん細胞がどうかは、試みてみないと分からないことが多いらしい。

 さあ、これから無事退院。今日の朝食(おかゆ)が32時間ぶりの食事だった。これから美味しいラーメン食べに行ける。




 

『東京竹末プレミアム』@東京都墨田区押上(業平)

2020-01-27 14:00:00 | ラーメン探索

 ここも知らぬ間に東京ラーメン百名店に選ばれていた。3年ぶり3度目の来訪。隅田川からの小さな支流で北十間川沿いをスカイツリーから荒川方面へ10分程度歩くとお店がある。


東京のラーメン行列店は、もはや地理的なアクセスとか交通の利便性は、お店の繁盛にあまり関係ない要素になっている。お店の席数も8から10くらいで、すぐ満席になるお店が多い。

 だから必然的に外待ちの行列ができる。行列ができればそれを見て美味しいラーメン屋じゃないかという心理が働きさらにお店が繁盛する要因になる。

 けれどもリピーターを増やすためには、何より味が1番でそれに加えてもてなしの要素が欠かせない。私の偏見であればお許しを、行列店のラーメン店主に多いタイプが元ヤンじゃないかと、いかにもそういう貫禄であり雰囲気、においがする。

 元ヤンの方でも中途半端な方ではなく、リーダー的にバリバリの方が多いと思う。ここ東京竹末の店主は割腹よくいかにもこわおもてである。

 私はこの手のタイプの方が内面は逆にそうではなくて、繊細でかわいい一面をお持ちで愛嬌があることを経験上知っている。調理しながらお客と気さくに話す大将を見てそう感じた。お客に対して腰を低く接して挨拶がピシッとしている。ラーメンにもそれが現れている。













 オープンしてもう5年くらいだろうか、オープン当初は行列店どころか待たされなかった。今回は土曜日と相まって13時到着で20人くらいの待ち。45分は待たされた。

 カウンターから調理場が丸見えで、ラーメン作りの食材がきれいに準備されていた。ラーメンはメインで4種類、醤油そば、塩そば、鶏そば、鶏ホタテそば。前回の2回はたしか醤油と鶏ホタテだった。今回は塩と迷った末にまた醤油大盛りでオーダー。

















 やはりここのラーメンは、まず具材が豊富で和の仕込みを薄口でしっかり施されている。特製でない普通のラーメンでこれだけ見事な具材は他店にはない特徴だ。

 醤油ラーメンであるのに、紫色着いたタマネギのみじん切りが入っていた。私の味覚では好感を持ったが、繊細な薄口醤油味にタマネギのやや強い香りはいかがなものかと思う人がいるかも知れない。

 醤油スープは実に繊細で薄口だ。あれこれと出汁の元になる材料をたぶん使っていない。シンプルに鶏ガラ、魚介の節系を使っているだけに思える。典型的な淡麗薄口のスープだ。具材の多さからか、繁盛店の忙しさからか、スープの量が少なくなり熱々さがゆるんでいるのが気になった。
















 ご馳走さまでした。
大変美味しくいただけた。こんな行列店でなければもっと足を運びたいのだが、また来ます。


 





元号について、昭和人の思ふこと

2020-01-26 15:42:00 | 日常

 平成の元号から令和に改元されて9ヶ月、新元号は意外と早く馴染んだ印象がある。私的には昭和から平成に変わった時より違和感がはやく無くなった。

 元号というのは、時間を考量するための一種の度量衡である。ものをはかるのに、メートルやキログラムを用いる文化圏があり、フィートやパウンドを用いる文化圏があり、尺や貫を用いる文化圏がある。

 それぞれ歴史対必然があって、固有の「ものさし」を持っている。社会集団ごとに度量衡が違うのは面倒だから、世界標準に統一しろというような手荒なことをいうひとがいる。

 無茶を言ってはいけない。西暦というのは、キリストの誕生前後で世界の相貌は一変したという物語に基づいた度量衡である。

 たしかに、世界のキリスト教徒にとっては好ましい話だろうが、ヒジュラ暦を採用してるイスラム教徒や、仏暦を採用してるタイ人や、ユダヤ暦を採用してるユダヤ教徒にとってはそうでない。

 これからはそういうローカルな暦法は捨てて、キリスト教元に統一して頂きますと言われても、彼らがすんなり「はい」と言うはずがない。

 世界標準が一つに定まっている方が便利だということについては私も異存はない。けれども、それと併用して時間を区切るためにそれぞれの社会集団が固有の「ものさし」をもつことについては、しかるべき敬意を示してよいと思う。













 私は自分のことを「昭和人」だと思っているけれど、「昭和的」という語が普通名詞化して、その合意が国民的に共有されるようになったのは最近の話である。

居酒屋やバーに入って、「お、昭和だな」というような感懐が洩れることがある。(紫煙がたちこめ、ハードロックが流れ、トイレの壁に演劇や映画の黄変したポスターが貼ってあるようなお店だ)「昭和的」という形容詞の合意が確定するまで昭和が終わって四半世紀ほども要した感じがする。

「平成とはどういう時代だったか?」という問いには、誰もがその答えに窮すると思う。それがわかるのはまだ何十年か先のことだろう。その頃にはもう私は生きていない。