文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

トランプは「選挙を盗まれて」引きずり降ろされ、安倍は凶弾に斃れ、二人が思い描いた構想は雲散霧消してしまった。世界史的な損失だよ。 

2022年11月06日 13時20分02秒 | 全般

私が高山正之と櫻井よしこさんの連載コラムを読むだけの爲に週刊新潮を毎週欠かさず購読している事は既述の通り。
私の友人は隅々まで購読している。
その友人が、今週号の週刊新潮を読んで教えてくれた記事に私は絶句した。
テレビ朝日の玉川徹が出演している番組等、私は一度も観た事はないが、彼の筆舌に尽くし難い愚劣さは、歴然たる事実である。
彼が京大農学部出身である事は知っていた。
あろうことか、彼が私が永遠に愛する母校である仙台二高~京大農学部~テレビ朝日の経歴であると、その記事は書いていたからである。
だが、暫くして気が着いた。
我が母校があれほどの左翼小児病患者を培養するわけはないからである。
彼をあれほどの救い難い愚者、どころか、売国奴に等しい人間に培養したのは京大である事に。
何しろ、中西輝政京都大学名誉教授は、左翼小児病患者達が支配していた京大に通勤する度に命の危険を感じていたほどなのだから。

京大理学部で学んだに相応しい知性と見識の持ち主である竹内久美子さんの証言が正しいのだ。
およそ、日本中の大学は多くの左翼小児病患者である教授が占拠していると言っても過言ではないのが実態なのだ。
その事は頂点に位置する東大、京大に「一体なんなんだ」と思うしかない左翼小児病患者のマルキスト、自虐史観の塊、共産主義のシンパ達が少なくない事でも明らかだろう。

玉川徹の愚劣さと、同じく京大出身である平野啓一郎の愚劣な態様は全く同等、同種のものだからである。
赤い大学の、赤い教授が、彼らの様な愚者を量産しているのが現実なのだ。

私が何度も言及する我が母校の誇りである大先輩の堤堯氏と玉川徹の間には天と地ほどの差があるのである。
言うまでもなく賢者と愚者。真の国士と売国奴の目も眩むような違いである。
以下は26日に発売された月刊誌Hanadaに、p118~p128に渡って3段組みで掲載されている、「第三次大戦」はもう始まっている、と題して掲載されている、蒟蒻問答第196回からの抜粋である。

「第三次大戦」はもう始まっている
国葬の二つの意味
編集部 
安倍元総理の国葬はいかがでしたか?
堤 
無事に終わってよかった、の一言だね。
なにしろバカどもが多くて、何をしでかすかわからん。
久保 
直前にあった、けばけばしいまでにカラフルなエリザベス女王の葬儀に比べ、安倍の国葬は徹底してモノクロ、静かなものだった。
葬式なんだから、ああいうほうがいい。
それにしても、エリザベス女王の葬儀は遺体を担いで、イングランド、ウェールズ、スコットランドとイギリス王国内を二日間にわたって練り歩くなど、国威発揚のためとはいえ、骨の髄まで利用しつくそうという徹底したやり方には驚いたし、さすが落ちぶれても大英帝国だなと感心もしましたよ。
女王もそれを望み、国民も女王ですら利用する、それが成熟した国民の国家意識というものでしょう。
もっとも、僕はエリザベス女王の葬儀は、ルイ十六世やマリー・アントワネットが市中引き回しのうえギロチンにかけられたフランス革命の二辰しき王冠”の末路と、何となくオーバーラップして見えましたがね。 
一方で、凶弾に斃れた安倍の国葬は、のっけからみんなで死者の足を引っ張って国際的評価を貶め、市中引き回しのうえギロチンにかけようとしている。
一体、この差は何なのか。 
いま国会では国葬を法律化し、ルールを決めようとしていますが、そもそも理解不足なのは、国葬にも二つの意味があることです。
一つは、法律に則った、いわゆるセオリーに沿った国葬。
もう一つは、威信外交としての国葬。 
前にも引用しましたが、ハンス・モーゲンソーは著書『国際政治』(福村出版)で、外交上の威信政策についてこう書いています。 
「いかにバカバカしいものであっても儀礼上の規則、位階や席次をめぐる論争、空虚な形式主義ーこれらがつきものの外交の世界はまさしく民主的生活様式のアンチテーゼというはかない…が、実際には国家関係の本質的要素である」 
いまさら言うまでもなく、安倍の国際的な評価を考えれば、国際社会において確立した国家儀礼としての「国葬」として葬儀を行うのは、威信外交上、必要不可決。それに対して、「倫理」を持ち出したり、「憲法違反だ」などと声高に叫ぶのは、国際外交の本質的な要素を理解できない無知蒙昧なアホ。
マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、「外交(国際政治)のイロ「も知らぬ政治的未熟児」なのですよ。 
一番問題なのは、岸田が最初に「私の政治的判断において、威信外交としてこの国葬を行う」とはっきり宣言しなかったことでしょう。
堤 
そもそも、国葬は内閣府設置法を根拠に閣議決定された。
たとえば、毎年八月十五日に行われる全国戦没者慰霊祭も閣議決定による。
選挙で多数を得た政党によって構成された内閣が国事を決定する。
何の問題もないはずだ。
久保 
それならそれで胸を張って主張すればいいのに、「弔意を国民に押し付ける」「憲法違反だ」という野党の声に右往左往し、そのために国民のなかにも反対の声が大きくなっていってしまった。岸田は「断固としてやるんだ」という意志と気概がない。
非常事態と認識できない    
堤 
岸田の右顧左眄は国葬の件だけじゃない。なにかと頼りない。
たとえば最近、北朝鮮がミサイルをバカスカ撃って、十月四目には日本の上空を通過していった。
岸田は「暴挙であり、強く非難する」と言ったけど目が宙に浮いていて、いかにも頼りない。
頭の上を北のミサイルがとび越えていく非常事態なのに、国会でも大きな議論が起こらない。
国民からも大きな懸念の声も出てこない。
慣れっこになって、非常事態が非常事態と認識できないんだな。 
九八年にも、北朝鮮のミサイルが日本列島を飛び越えて三陸沖に着弾したことがあった。
この時も大きな議論にならなかった。
以来、何度北のミサイル発射があっても目が覚めない。
いっそのこと、富士山に着弾したらどうかな?
久保 
それでも効果がないかもしれませんよ。
たとえば、前頭葉を切っちゃうロボトミー手術ってあるでしょう。
凶暴な神経症患者から凶暴さを取り除く手術で、患者は心の平安を取り戻す代わりに生気が失われ、意欲が乏しくなり、現実の出来事に対して無関心・無頓着になる。
これと同じように、戦後日本人も前頭葉を切られちゃっているんじゃないか。
マッカーサーによってね。 
たとえば、憲法前文「(日本やドイツ、イタリアのような)専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」して「諸国民の公正と信義に信頼」すれば……というのは、この前頭葉手術の論理と同じですからね。
それによって、第九条「戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認」が導かれ、ロボトミー手術同様、いまの平和ボケで生気が失われ、現実の出来事に対して無関心、無政策な日本人が生まれたわけですから。
堤 
Jアラートが鳴って、「屋外にいる場合は近くの建物のなか、または地下に避難してください」と警告する。
都心なら地下鉄などの地下があるけれど、俺の住んでいるところにシェルターになるような地下はない。
避難しろといわれたって、どこに避難すればいいんだ? 
ウクライナの首都キーウには、ちゃんと地下シェルターがある。
他にも、シェルターを設けている国は多い。
編集部 
スイスは全国民分のシェルターが設置されているそうです。
堤 
日本は一つもない。
五年前にも北のミサイルが日本上空を飛び越え、今回で七回目だ。
なのに、国会ではシェルターの「シェ」の字も聞かれない。
官房長官・松野博一は北のミサイル発射の報を受けて、「引き続き米国を含む関係国と緊密に連携し、全力で対応する」とコメントした。
そのつどこう言うんだけど、具体的にいかなる連携で、いかなる対応をするんだ? 記者はなぜそれを訊かないのかね。 
北朝鮮は七回目の核実験を準備しているという観測もある。
北朝鮮が初めて核実験をやった二〇〇六年、安倍晋三と中川昭一が「日本も核の議論をすべきだ」と発言した。
それを聞いてコンドリーザ・ライス国務長官(当時)がスッ飛んできて、「北の核を抑えてみせる。核の傘を保証する」と言って、二人を抑えにかかった。
彼女は「北の核を抑えてみせる」と言ったけど、結局、ブッシュ政権も含めて歴代の米政権は何もしない、いやできない。
結局、安倍の「核共有、核シェアリングの議論をすべきだ」という提言は彼の遺言になってしまった。 
最近、またぞろ河野太郎が表に出てきたけど、彼が外務大臣の時、米国務長官のティラーソンと会談した際に包括的核実験禁止条約(CTBT)について、「早期批准を含む米国の前向きな取り組みを期待する」と言って、ティラーソンは絶句した。
「こいつ正気か」と驚いたんじゃないか。
アメリカの核の傘に守られている日本の立場を全く認識していない。
安倍の国葬で菅義偉の追悼がなかなか聞かせたけど、その菅がなぜ河野太郎ごときを総裁候補に担ぐのかね。
同じ神奈川の地盤とはいえ、一種のネポティズム(縁故主義)じゃないか。
さきの総裁選で、安倍が「河野太郎だけはダメだ」と動いたのを知っているはずなのに。

トランプが描いた全体構想
編集部 
現在のウクライナ侵攻でも、ロシアのプーチン大統領が核使用をほのめかしています。
堤 
トランプは、「私が大統領をやっていれば、ロシアのウクライナ侵攻はなかった」と言った。
トランプだけではない。
ハーバード大学の政治研究センターが実施した世論調査でも、有権者の62%が「トランプが大統領ならプーチンのウクライナ侵攻はなかった」と答え、さらに「バイデンが弱いとみてプーチンは動いた」と59%の有権者が見ている。 
*日本のメディアが決して伝えない真実である。*
バイデンが実施したアフガン撤退の大失態一つをみても、その無能ぶりは呆れるほどだ。
なにしろ、アメリカ国民を置き去りにしただけではない。
7万台の軍用車両、70万丁の機関銃やライフル、ヘリや戦車など総額850億ドル相当の最新の軍用装備をタリバンヘの置き土産に撤退した。
アメリカ軍事史上、稀に見る無様な撤退だ。
「それを見て、プーチンがウクライナ侵攻を決断した」とトランプは断じている。
米国民も同じ思いだろうね。 
トランプが大統領選に勝利した直後、すぐさま安倍はトランプタワーに出向いた。
そこで安倍はトランプに説いた。
「真の敵は中国だ。中国とロシアを結び付けたらダメ、分断を図るべきだ」とね。
トランプが登場するまで、アメリカの歴代政権はロシア敵視政策を続けてきた。米ソ対立の旧冷戦思考そのままにね。
トランプは、逆にロシアを抱き込みにかかったんだよ。
安倍と一緒に、ロシアと中国を分断するグランドデザイン(全体構想)があったんだね。
米中対立の新冷戦思考を早くに取り込んでいたんだ。
しかし、トランプは「選挙を盗まれて」引きずり降ろされ、安倍は凶弾に斃れ、二人が思い描いた構想は雲散霧消してしまった。
世界史的な損失だよ。 
つくづく思うのは、「安倍の存在自体が日本の安全保障そのものだった」ということだ。
その存在が失われた重大性、それをどうやって埋めるかを議論すべきじゃないか。 
ところが、日本の国会もメディアも統一教会一色。
信者はたかだか8万人かそこら。
霊感商法もほとんどが過去の話だというのに、これにかかりっきりだ。
それよりも、安倍狙撃事件の背景の追及、警護の不首尾、さらには日本の安全保障……こちのほうがはるかに大事な事柄じゃないか。

岸田は「和して従う」
久保 
安倍が亡くなった時、親友の高村正彦が「安倍さんの外交、人付き合いはいわゆる『和して同ぜず』」だったとコメントしていましたが、たしかに安倍はトランプとでも誰とでも、和することはするけど決して同ぜず、堤さんが先ほど言ったとおり、むしろトランプをリードしていました。 
ところが、岸田は和して従う(笑)。
たとえば、ロシアに対する制裁でもハイテンのアメリカの片棒を担ぐだけで、自らの意思を見せていません。
堤 
「聞く力」で「和を以て貴しとなす」つもりかもしれないが、その結果はお手てつないでみんなで地獄行きになりかねない(笑)。
久保 
しかし、それを言ったとされる聖徳太子は、隋への書には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや」と書いたわけでしょう。
この気概こそが大事なのです。
安倍は、戦後日本に対して常にアンチテーゼ的存在でしたね。
それは最高リーダーになっても変わらず、常にのんべんだらりとしている日本で”反”の立場を引き受けていた。
だから多く批判された。
堤 
多くの政治家は批判を恐れてビクビクして、思い切った行動や発言ができない。
だけど、安倍は朝日やその亜流のメディアから批判されることを怖れなかった。
だからこそ、日本のために必要なことを思い切って発言もし、実行もできた。
安保法制、秘密保護法……みんなそうだ。

安倍は信長的存在
久保 
河合隼雄(『中空構造日本の深層』中央文庫)は、日本の組織の意思決定の仕組みを欧米と比較し、こう解説しています。 
欧米(中心統合型)では旧約聖書で語られる神話のように、対立関係にある神が他方の神を完全に抹殺し、矛盾のない統合された世界(組織)を作る。
それに対し、日本(中空均衡型)では古事記の三貴子(トライアッド)と呼ばれるアマテラス、ツクヨミ、スサノヲの三神の関係のように、アマテラスとスサノヲは対立するが、中央に存在するツクヨミはひたすら「無為」を保ち続ける。
これにより、欧米のように対立する二神の一方が他方を完全に追放、抹殺することなく、適当なバランスを保って共存させるように働くカウンターバランス機能を担っている、と言っています。 
問題は危機の時代に突入し、環境が激変した場合、どう対応できるか。
欧米型の場合は新たな対立者が出現し、組織内の「矛盾→対立」を介して新たな状況に適した「新しい権力と新しい体制」を生み出す手順が比較的スムーズに運びます。 
ところが、「正・反→合」の弁証法が機能しない日本型の場合どうなるか。
平時は中空均衡型構造の外に排除されている既成秩序破壊型のはみ出し者(ヒルコ神=欧米型リーダー)の内部侵入を許すのです。 
しかし、そのような異質の存在は日本型構造を破壊することになるから、ある程度時間が経って、組織卵危機を脱して新たな環境に適応でできるように軸足をズラす(ワープする)ことに成功すれば、排除されるか、全体のバランスのなかへ取り込まれていくことになります。
かつて司馬遑太郎は、織田信長や坂本龍馬など大仕事を担った人物が殺されたのは、役割を終えたから天に召されたと考えたほうがいい、といった意味のことを語っていましたが、それも同じ意味合いです。
「現代において信長たらんとする者は誰ぞ! 信長出でて新しき時代を創設せよ」-大川周明が『日本精神研究』(明治書房)でそう書いたのは昭和14年のことですが、安倍はまさにそうした危機の時代が生んだ信長的存在だったと言うべきでしょう。
「千年以来、牢固と抜くべからざる勢力を日本国家に樹立したる教権に対して最も大胆なる戦を挑み、逆に之を屈服せしめた、信長は之が為に種々なる悪名を着ているが、日本国民は彼の英断に向かって感謝すべき義務こそあれ、之を非難すべき何等の理由あるを見ない」 
大川周明がいま存命なら、ほぼ同じ言葉を安倍に贈ったと思いますね。

この稿続く。


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