今日、私の友人が、以下の記事を教えてくれた。2015-09-02
今日、私の友人が、以下の記事を教えてくれた。
朝日と毎日の合計購読者世帯が約1,000万世帯であるのに比して、産経新聞を購読している世帯は、その3分の1だから、日本中の多くの人は、以下の論説を目にしていないはずである。
石平氏が、中国の本物のエリートであったことは、言うまでもないだろう。
以下は、今日の産経新聞の一面からである。
日本の『リベラル』はすでに死んだ
評論家石平氏寄稿
「理性なき個人攻撃」
8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で、山口二郎法政大教授は安倍晋三首相に対し「お前は人間じゃない」との暴言を吐いた。
時代劇の決めぜりふからの借用らしいが、現代の人権感覚からすれば、それは明らかに、安倍晋三という一個人に対する言葉の暴力である。
反安保法案運動が始まって以来、映画監督の宮崎駿氏は安倍首相のことを「愚劣」と罵倒し、日本学術会議前会長で専修大教授の広渡清吾氏は7月末に安倍首相のことについて「バカか嘘つきか」と二者択一の手法でののしった。
そして学生団体「SEALDS(シールズ)」の中核メンバーの奥田愛基氏に至っては、8月の連合主催の国会前での安保集会で「バカか、お前は」と罵声を安倍首相に堂々と浴びせた。
こうした中で反安保法案運動はそのしかるべき趣旨から逸脱して理性と節度を失い、単なる安倍首相に対する「怨念の個人攻撃」へと変質した。
このような「平和運動」はもはやその名に値しない。
言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、「平和」を語る資格はどこにあるのか。
「人権感覚のまひ」
さらに問題なのは、前述のような発言に対し、反安保法案運動の陣営から内部批判も自己反省もいっさい聞こえてこないことだ。日本の「保守」とは対極の「リベラル」を代表するような新聞などもそれをいっさい問題視していない。
このような異様な事態はむしろ、日本のリベラル全体において基本的な人権感覚がまひしていることを示している。
言葉の暴力を容認するような「リベラル」はリベラリズムといえるのか。
奥田氏や山口氏の暴言が叶かれたその日、そしてそれを容認してしまった時、日本の 「リベラル」はすでに死んだ。
「天安門」での誇り
今から26年前、私の世代の多くの中国人青年が北京の天安門広場でそれこそ命がけの民主化運動を展開した。しかしわれわれは、本物の独裁者の鄧小平に対しても「お前は人間じゃない」といった暴言を吐いたことはない。
われわれはただ、民主化の理念を訴えただけだった。
だから、民主化運動が鄧小平の解放軍に鎮圧されたとしても、われわれには誇りが残った。
民主主義社会の中で「鎮圧」される心配のない日本の反安保法案運動に参加している皆さんも、このような誇りを持ってしかるべきではないだろうか。