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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

さらに日本の学校教育が絶対に教えないのが、米財務長官ヘンリー・モーゲンソーによるドイツエ業インフラの破壊と農業化計画、いわゆる「モーゲンソー・プラン」です

2019年07月18日 14時56分45秒 | 日記

以下は前章の続きである。

2016年12月の日露首脳会談の開催にあたり、日本のメディアが「二島先行」「共同統治」など観測気球を次々と打ち上げたことに危機感を覚えた私は、「二島(先行)返還論は(国後・択捉の)二島放棄論」にすぎない、と警告を発しました(本誌2016年12号)。

結論として私が訴えたのは、まず日本が本来の歴史認識を取り戻し、「一国として立つ」力を確保してから、北方領土問題の本格交渉を行なうべきである、ということでした。

その考えはいまも変わっていません。 

アジアの冷戦は米英が種をまいたようなもの 

渡辺 

領土の削減ということに関していえば、ドイツの場合は日本よりも悲惨でした。

東プロシア(東プロイセン)を失ったうえ、現在のポーランドとの国境になっているオーデル川まで領土を奪われてしまった。

追放されたドイツ系住民のほとんどがベルリンに向かったのですが、途中でソビエト兵の略奪と強姦に遭い、ベルリンに着いたころには何一つ残っていませんでした。

さらにそこで待っていたのは、占領国が勝手に発行した連合国マルクでポケットを膨らませたGIです。

米国立公文書館の論文では、1946年には50万人ものドイツ人女性が売春行為で生計を立てていた、といわれます。 

中西

第二次大戦の結果、ヨーロッパの場合、過去のいかなる戦争より残酷な領土の変更が起こり、それが戦後のヨーロッパ秩序として固定化されたわけです。

日本では満洲など大陸からの引き揚げ者が経験した苦難の逃避行もそうでしたが、その領土変更の過程で戦後、日独の一般市民の何十万いや何百万という人が龠を奪われました。

この悲劇の歴史は、旧連合国ではいまに至るもまったく視野の外に置かれていますが。

ですから、ドイツ人にしてみれば、日本人はなぜ北方領土の返還という「小さな問題」にこだわっているのか、なぜ、連合国全体の戦後処理の責任として追及しないのか、という感覚がある。 

渡辺 

さらに日本の学校教育が絶対に教えないのが、米財務長官ヘンリー・モーゲンソーによるドイツエ業インフラの破壊と農業化計画、いわゆる「モーゲンソー・プラン」です。

敗戦前のドイツは、工業製品を輸出して農作物の輸入に充てていましたが、モーゲンソーの「とんでもない計画」によって、農業に依存する経済構造に変質させられた結果、飢饉の直撃を受けることになります。

カナダ人の歴史家ジェイムス・バックの『Crimes and Mercies』によれば、ドイツ国内の民間人570万人に加え、東部ヨーロッパから排除されドイツ本土に戻ったドイツ系250万人、戦争捕虜110万人、計900万人以上が飢饉で命を落としたとされます。 

戦後ヨーロッパの復興に関して、日本の教科書を見るとマーシャループーフンの記述はありますが、モーゲンソー・プランが生んだ悲劇については無視しています。

戦勝国がもたらした光の部分だけでなく、影の部分についてもバランスよく叙述することが大事でしょう。

そのことで日米関係が悪化するとは思えません。 

中西 

現代日本人の歴史観や国際秩序の見方は冷戦時代にできたもので、とりわけアジアにおいてはソビエトが「悪」、米英は「善」であり、第二次大戦と同様、冷戦でも「正義が勝った」とばかりに“悪の帝国”であった大日本帝国やソ連が崩壊しだのは当然のことだ、という歴史の理解が一般的です。

この「米英=正義史観」が冷戦終焉後、いっそう強くなっていまも日本の外交を縛りつづけている。

しかし、あれは「東京裁判史観」の最たるもので大いなる誤りであった、といっておきましょう。 

そして、まさに現在進行形で問題になっている朝鮮半島の南北分断についても、元を辿れば、ヤルタ密約で英米がソビエトの対日参戦を促したことにある。

満洲に侵攻したソビエト軍が一年以上も居座ったことで、中国共産党は同地を根拠地に(第二次)国共内戦を戦い抜き、中華人民共和国を建国することができたわけです。

そう見れば、朝鮮半島の分断をけじめとするアジアの冷戦も、米英が種をまいたようなものです。

満洲引き揚げの悲劇や中国の赤化もソ連だけでなく米英にも責任があり、すべては「ヤルタ密約」のせいといってよいでしょう。  

渡辺 

満洲の関東軍がもっていた武器は、すべて中国共産党に渡りましたからね。 

中西 

あの時点で、アメリカからの支援を断ち切られた蒋介石の国民党軍が共産党軍に敗北するのは目に見えていました。

こうして中国大陸に共産主義国家が誕生し、朝鮮半島は同じくヤルタ会談によって、ソビエトを含む連合国の信託統治下に置く取り決めがなされた。

ところがソビエトが38度線以北を占領し、金日成を送り込んで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を樹立した。 

南北分断の悲劇はここに始まるわけで、その主たる原因はむしろ米英のアングロ・サクソン同盟国に求められる。

少なくとも、北東アジアの混乱を招いたという意味で、米英とソビエトはまさしく「同罪」と見なすべきでしょう。  

何よりも日本人すべてが覚えておくべきは、ソビエトの対日参戦は日ソ中立条約を一方的に破棄して行なわれた、という事実です。

明確な国際法違反であり、スターリンに対日参戦をけしかけた米英は日本に対する侵略戦争の教唆、幇助の罪に問われて然るべきです。スターリンは元来臆病な男でしたから、ルーズベルトやチャーチルの後押しがなければ対日参戦を躊躇っていた可能性が高い。

その意味で、米英はまさにソビエトの日本に対する侵略に手を貸したことになります。

その結果、ソビエトは日本の支配下にあった満洲や樺太、千島列島を手に入れ、戦後のアジア全域で共産主義の蔓延による紛争の嵐が吹き荒れることになる。

つまり、戦後アジアの冷戦をめぐる苦難は、すべて「連合国全体の責任」だったと見る必要があります。 

渡辺 

その後、英米は大戦に勝利したものの、ポーランドは結局スターリンの手に落ちてしまいました。

「ハル・ノート」の骨子は、日本が中国から撤退することにありましたが、結局は、中国も共産化することになった。

民主主義国ではないソビエトを連合国の仲間に加えながら、民主主義の世界的構築をアピールするという大西洋憲章の矛盾がもたらした結末がこれです。

いかにルーズベルトとチャーチルの戦争指導が間違っていたか。 ところが、英米の歴史書の多くはこうした事実から目を逸らします。つまりスルーするのです。

「ルーズベルトとチャーチルは偉大な指導者」という評価が根本から崩されてしまうからです。

また日本の歴史書のほとんども二人の戦争指導がもたらした結末(共産主義の拡大)からは目を背けており、同時期の日本の指導者の愚かさを告発することのみに熱心です。

国際的な視野から当時の歴史的事実や因果関係を探る姿勢が皆無で、きわめて残念なことです。 

この稿続く。


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