以下は前章の続きである。
「安倍一強」の苦い思い
朝日新聞10月23日朝刊の一面に堂々と載ったこの記事は「ゼネラルエディター兼東京本社編成局長中村史郎」という筆者名だった。
編成局長というのは紙面作成の最高責任者とみてよいのだろう。
ちなみに私はこの中村氏を個人的に存じあげている。
十数年前、北京在勤の特派員同士だった。
なかなか感じのよい、さわやかな記者だった。
だが、それとこれとは別であること、言を俟たない。
この総選挙総括の記事はまず「『1強』政治 見直す機会に」という見出しだった。
この記述では選挙の前の記事を思わせる。
いまの自民党政権の政治を「1強」と評すことの適否はともかく、現状を見直す機会に、という意味だろう。
だったら当然、これからの選挙にのぞむ、というスタンスを思わせる。
だが、実は選挙が終わっての総括なのに、いかにも日本の政治をこれから「見直す機会に」というのだ。
選挙結果を素直に認めたくない悔しさが露骨である。
負け惜しみとは、こういう態度を指すのかとまで感じた。
この稿続く。