以下は本日我が家に届いていた定期購読専門の月刊誌テ―ミスに連載されている高山正之の論文からである。
私は彼の連載を読む爲に、この月刊誌の購読を開始した。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
明日、投票に赴く有権者も必読である。
朝日新聞&反原発弁護士「外圧利用」で嘘ばら撒く
北朝鮮は韓国製軽水炉を拒み
北朝鮮の電力は日本が戦前に作った水豊ダムと、旧ソ連が供与した5千キロワットの実験用原子炉1基に頼っている。
実はこの小さな実験炉が大変な曲者なのだ。
正確には黒鉛減速炭酸ガス冷却炉といい、チェルノブイリと同タイプ。核燃料は天然ウラン(U)そのままでいい。
それを黒鉛炉で燃やすと1パーセント弱のU235が核分裂して冷却用炭酸ガスを熱して発電タービンが回る。
ただ、炉心ではこのとき99パーセントを占める燃えないU238が中性子を吸って燃えるプルトニウム(Pu)239に変身する。
それを再処理すれば立派なナガサ牛型原爆の素が手に入る。
広島型のウラン爆弾は天然ウランをガス化し、遠心分離装置にかけて、1パーセント弱しかないU235だけをこつこつ濃縮、分離していく。
そのために莫大な電力と時間が要る。
その点、黒鉛炉なら天然ウランをただ燃やすだけで労せず核爆弾ができる。
そして北朝鮮はそれをやり出した。
ならず者国家の暴走をクリントン大統領(当時)は憂慮した。
で、北に「黒鉛炉を廃棄したら代わりに百万キロワットの軽水炉を2基作ってやる。それができるまで毎年50万トンの重油もくれてやる」といった。
これがKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)のことだ。
北朝鮮は1995年3月に受諾したが、供与される軽水炉が韓国製と知って途端に躊躇(ためら)ったという。
なぜならその前年秋、漢江に架かる韓国製の聖水大橋が風もないのに橋桁ごと落ちて32人が死んだ。
そして調印した年の秋にはソウルの5階建ての三豊百貨店が崩れ落ち、50人余りが死んだ。
杜撰で知られる「韓国印の原子炉なんか危なくて使えるかスミダ」となってKEDOは空中分解した。
北は以後、黒鉛炉を運転し続け、プルトニウムを抽出して何度も核実験をやり、今では核大国の気分に浸っている。
この稿続く。