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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、アメリカ軍の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の鴨緑江に達した。

2019年01月18日 22時58分47秒 | 日記

以下は前章の続きである。
朝鮮戦争が勃発すると、李承晩は内部の敵に対する被害妄想を加速させ、共産主義者とその家族を教化する組織「国民保導連盟」に登録していた人たちを大量に処刑した。
軍や警察によって虐殺された人の数は、正確には分からないが、百万以上とも言われる。
戦争でうやむやになっただけでなく、その後の軍事政権下でも隠蔽され続けた。
当初は半島南部に追い詰められた韓国軍だが、アメリカ軍の参戦で巻き返し、四ヵ月後には中朝国境の鴨緑江に達した。
しかし、北朝鮮の滅亡によって終戦となるはずが、中国軍の参戦によって再び38度線まで押し戻され、戦争は結局3年間も続いた。
これにより数百万の軍民が犠牲になり、朝鮮半島の大半が荒廃した。
ちなみに、戦争を長引かせて犠牲を増やした中国に対して、韓国は過去の直視・清算を一言も要求していない。
その後も李承晩は1960年半ばまで独裁者の地位に居座り続けた。
李は共産主義者だけでなく自分に反対する者は政治犯として粛清し、デモや反対運動は徹底的に弾圧した。
日本時代を知る韓国人は当時、「いったいどこか“解放”なのか。日帝支配下よりもはるかに酷い社会じゃないか」と憤った。
李承晩はこの動きを思想言論の統制・密告制度・秘密警察などの恐怖政治で取り締まった。
こうして、懐日思想や言動を監視抑圧し、日本時代を体験で知る世代が恐怖心から口をつぐむようにして世代間の分断をはかり、子供たちにはメディアと公教育を使って「偽の記憶」を植え付けていった。
この稿続く。


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