以下は前章の続きである。
見出し以外の文中強調は私。
昭和天皇のお言葉
私は一九六〇年代に、当時のモシェ・バルトゥール駐日大使から、東京に着任して昭和天皇に信任状を捧呈した時に、陛下から「日本民族はユダヤ民族に対して感謝の念を忘れていません。かつてわが国は、ジェイコブ・シフ氏に大変お世話になりました。われわれはこの恩を決して忘れることはないでしょう」という、お言葉をいただいたことを聞いた。
私はこの話を、親しい評論家の加瀬英明氏にしたところ、入江相政侍従長から「昭和天皇は歴代のイスラエル大使が信任状を捧呈するたびに、『われわれはユダヤ民族から受けた恩を忘れない』とおっしゃった」と聞いたと、教えられた。
トランペルドールはロシアのユダヤ人だったが、日露戦争の旅順攻防戦で左腕を失いながら戦功を立て、最高勲章の聖ジョージ勲章をもらった。
旅順要塞が陥落すると、日本に連れてこられたロシア兵捕虜のなかに、ユダヤ人が五百人あまりいた。
トランペルドールは大阪府浜寺の収容所でユダヤ人捕虜を組織して、日本人の愛国心と尚武の心を学び、新しくパレスチナに生まれるべきユダヤ人国家は、日本を手本にすべきだと説いた。
ロシアに帰った後、パレスチナと呼ばれたイスラエルに行き、イスラエル建国運動のリーダーの一人になった。
イスラエル独立戦争中に戦死したが、息を引き取る前に「国のために死ぬほど光栄なことはない」といったが、浜寺で日本兵から教えられたのだった。
トランペルドールは、イスラエル建国の英雄として教科書に必ず載っているが、日本の魂をイスラエル建国の原動力とした。
私はイスラエルでトランペルドール博物館を訪れたが、「新生ユダヤ国家は日本のような国とすべきだ」という、トランペルドールの筆跡が展示されている。
私は講話のなかで、1938年にハルビン特務機関長の樋口季一郎小将が、上司の車條英機関東軍参謀長の裁可を得て、ソ満国境まで逃れできた2万人のユダヤ人難民を、ナチスの魔手から救出した事実に触れた。
杉原千畝領事代理がリトアニアで数千人のユダヤ人に、ビザを発給して救った、2年前のことだ。