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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

彼らには両班に対する恐怖があるだけで、主人に対する忠誠心など微塵もなく、まして国家についての概念自体なかった

2022年02月12日 18時41分11秒 | 全般

以下は、2020年4月13日に出版された、元韓国陸軍大佐の「反日への最後通告」(池萬元)からである。
何故、韓国は、あのような態様であるのかについて、この本は、山ほどの事実で、明らかにしてくれている、本物の労作である。
反日教育と言う名のナチズムの実態を、完膚なきまでに知らせてくれる本物の本である。
反日教育で育った中国と韓国のナチスト達と、あろうことか、彼らの反日プロパガンダを真に受ける能力しかないにも拘わらず、欧米や日本で大学教授として生計を立てている人間達が必読。
朝鮮半島について全くの無知でありながら、彼らが信じがたいほどの嘘で作り上げた反日プロパガンダだけは真に受けている国連関係者達が必読。
21世紀に生きている全ての人間が必読。
見出し以外の文中強調は私。
以下は前章の続きである。

第一章 世界の中の朝鮮
人口の1割にすぎない両班が残りの9割の同族を奴隷のように扱い搾取していた朝鮮 
朝鮮は、西暦1392年に李成桂がクーデターによって高麗を滅ぼして建てた国だ。
高麗の忠臣や重臣、そして彼らと関わりのある人々はすべて奴隷と化した。
また、世宗が1432年に制定した『奴婢従母法』によって、両班系の男性と奴隷系の女性の問に生まれた子供は生母の身分に従い奴婢(奴は男奴隷、婢は女奴隷)になるしかなかった。
こうしてますます膨れ上がった奴婢層は、人間ではなく牛やロバの半分にも満たない値で取引される家畜のように扱われた。
人口の1割にすぎない特権支配階級が残りの9割の民を奴隷のように扱い、さらに、奴が婢を支配する稀有な国が李氏朝鮮だった。 
1910年に朝鮮半島全土で行われた戸口調査では、総世帯数289万4777戸中両班は5万4217戸で、全体のわずか1.9パーセントにすぎなかった。
屠殺業などに携わる白丁や物づくりに携わる工人などもいたが、彼らが占める割合は微々たるものだった。 
2012年にキム・ナムが書いた『朝鮮王朝実録』の15ページに「名字があった人は10パーセント未満」という小見出しがあるが、奴婢などには名字がなかった。
両班と奴婢の構成比率についての正確な統計はない。しかし、重要なことは奴婢が圧倒的多数を占めていたということだ。 
李朝が治めた518年間に1000件以上の逆謀事件があった。事件が起きるたびに血なまぐさい粛清があった。数百もの両班家門の人々が奴婢に転落した。
これに加えて第5代の世宗が『奴婢従母法』を制定し、奴婢身分の女性が産んだ両班の子供は奴婢になると定めたため、奴婢が幾何級数的に増加した。
奴婢は両班が飼う家畜のようなものであり、ロバの半値以下で取引されるいわば商品だった。
婢は両班の慰み者であり、両班の財産目録の上位を占める奴婢を生産してくれる道具だった。 
両班は様々な手段を使って兵役を免れた。国が外勢に侵略された時に出征して戦わなければならないのはもっぱら奴婢層の人々だった。
彼らの大多数は各両班の家で所有する奴婢であり、官奴婢はごく一部にすぎなかった。
彼らには両班に対する恐怖があるだけで、主人に対する忠誠心など微塵もなく、まして国家についての概念自体なかった。
餌をくれる人になつく子犬のように自分にやさしくしてくれたら外国の軍隊にすら付き従った。
朝鮮が外勢に敗れざるを得なかった理由の一つだ。 
我々一人一人のアイデンティティーは何か?人口の1割しかいなかった階級の子孫か、それとも人口の9割を占める階級の子孫か?
大韓民国の族譜と戸籍を仮に全部調べてみたとしよう。なんと皆が両班の子孫だ。我々の大部分が自らを欺いて生きて来た種族ということになる。
両班の子孫だからと言って奴婢より優れていることは何もない。
記録によると、朝鮮の人々は、王族、両班、奴隷を問わず嘘と陰謀と野蛮という共通したDNAを持つ人種だったことがわかる。
文明に感化されない人間は獣よりも危険だ。
まさに、嘘と陰謀と野蛮という言葉は、現在韓国社会を何ヵ月間にわたって混沌へと突き進ませている文在寅や曹國といった人間にお似合いだ。
外部の侵略から国を守るのであれば、忠誠心のある兵士と彼らに対する訓練が必要だった。
しかし、兵役を担わされる朝鮮の奴隷と化した人々は主人と王を呪う烏合の衆にすぎなかった。
背負子を背負う筋肉はあっても、戦に役立つ筋肉はなかった。その上「国家が何か」という概念すらなかった。
だから、壬申倭乱(文禄・慶長の役)、丙子胡乱(清が李朝を侵略した戦い)など外国の侵略を受けるたびに、朝鮮の兵士が敵軍に加担するといったことが珍しくなかった。
一方、漢陽の朝鮮王宮ではどんなことが繰り広げられていたのか?
勢道政治、逆謀、謀略、血の雨、血みどろの争い、陰謀、四党派(老論・少論・南人・北人)の争い、垂簾聴政(幼い王に代わって王族の最長老などが行う摂政政治)、流刑、剖棺斬屍(死後に大罪などが発覚した時棺を割って死体を取り出して首を切ったりした刑罰)、陵遅處斬(大逆罪を犯した者に科した極刑:頭・胴体・手・足を切り落として晒し者にする。)、周牢の刑(両足を縛りその間に棒を挟んでねじる刑罰)、笞刑、杖刑、焼き鏝拷問など、一言で言えば王宮は嘘と陰謀と野蛮が支配していた。
朝鮮が少数の両班と多数の奴婢から成る社会体制として歳月を重ねている間、王と両班たちは、奴婢は言うに及ばず、奴隷と化した9割の民を物質的に搾取し、性的に搾取することに興じていた。 
世界は今や弱肉強食の時代にさしかかっていたにもかかわらず、王と両班がこんな馬鹿げたことにうつつを抜かしていたのであるから、列強に国を奪われるのは時間の問題だった。
朝鮮は日本が滅ぼしたのではない。自滅したのだ。
一握りの王族と両班が自分の同族の血をすすることに陶酔している問に、時代の趨勢から取り残されて滅びたのだ。
旧韓末(朝鮮末期から大韓帝国までの時期)に知識人が恨嘆したように、9割の奴隷化した民が彼らを搾取する王族や両班のために身を挺して戦う動機などなかったから滅びたのだ。民と一緒に知恵を絞って銃砲を作り科学を興そうとしなかったから滅びたのだ。 
李朝の500年間、朝鮮はどれぐらい発展したのか?李朝末期の朝鮮の首都漢陽の町にはまともな道路がなかった。
道がくねくねと曲がり、わらで屋根を葺いた草屋がカタツムリの群れのように軒を連ねていた。
人や家畜が輩出した糞尿が通りにあふれ、両班は異臭が鼻を衝くその通りを輿に乗って通った。
人や家畜の排泄物が井戸に入り込んで井戸の水から悪臭が漂っていた。
ありとあらゆる伝染病が猛威を振るったが、医者もおらず、まともな医薬品もなかった。
自分が欲する財産を持つ者がいれば、有無を言わさず捕まえて周牢の刑などの拷問を加えて強引に財産を奪おうとした。
人権など最初からなかった。これが朝鮮を500年間統治した朝鮮王27名の作品であり、日本の総督に渡した朝鮮の総財産だった。  
1910年に日本が李朝から譲り受けたものは、迷信深い9割の無知蒙昧な人々と欲深く嘘つきで陰謀が得意な1割の両班、そして汚物で被われた大地と伝染病だった。
日本はこんな朝鮮を接収するなり、わずか10年で漢陽を東京風に変貌させた。
朝鮮人に日本人の真心を信じてもらうために、日本本土で使用すべき予算を朝鮮に投入して本土の建物より立派な現代式建物を建て、工場やダムや水力発電所を建設した。
道が広いと女真族が来るという迷信を信じた歴代の王は、あったはずの道まで無くしたが、日本は漢陽に鍾路や乙支路や太平路などの広い道路を作った。 
李氏朝鮮がそのまま続いていたら藁ぶき屋根の草屋は千年万年経っても2階建てにはならなかっただろう。
ところが、日本は10年も経たないうちに朝鮮の随所に5,6階建ての美しい建物を建てた。
日本による強制開化がなかったら、そして未だに朝鮮の王朝が続いていたとしたら、1910年からの109年間で朝鮮が今ほど発展していただろうか?
はなはだ疑問である。
しかし、日本は違った。朝鮮を無能な独裁王朝から救った。奴姉や両班の奴隷と化していた民を解放させた。科学と教育の力で開化させた。
朴正煕はその礎石の上にさらに18年の功績を積み上げた。それが今日の韓国である。
500年間に築いた遺産が草屋のレベルだったのだから、李朝最後の王・純宗以後、現在までの109年間、その子孫が王を務めていたとしたら、朝鮮は未だに2階建ての家すらなかっただろう。
123階のロッテワールドタワーなど夢のまた夢だったはずだ。 
この稿続く。


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