文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

李舜臣もこの戦いで戦死しています。…日本軍が慶長の役で明・朝鮮軍を圧倒していたことは、中国側も認めている史実なんですよね

2018年12月20日 12時09分13秒 | 日記

以下は月刊誌Hanada先月号に掲載された、百田尚樹×有本香『日本国紀』を語り尽くす、と題した対談集からである。

日本を好きになる通史

百田 

『日本国紀』を書こうと思ったきっかけは、昨年のケント・ギルバ-トさんとの対談なんです。

テーマは多岐にわだったのですが、歴史教育の話になったので、以前から日本の歴史教育がどんどん酷くなっていると感じていた私は、ケントさんにアメリカの歴史教育について訊いてみました。 

すると、ケントさんが「アメリカの歴史教科書で学ぶと、子供たちはみんなアメリカが好きになります。そして、アメリカに生まれたことを誰もが誇りに思います」とおっしゃったんです。

それを聞いて私は「ああいいなあ。本来、歴史教育とはそういうもんやな」と羨ましく感じ、と同時に、「どうして日本にはそうした日本史の本がないんだろうか」と残念に思いました。

その時、「そうか、なければ自分で書けばいいんだ」と気づいたのです。

有本 

最近、日本では歴史関連の書籍が数多く出版されていますが、一冊で通史というものは少ないですよね。

百田 

教科書会社が出版しているものぐらいしかありません。

しかも、それを読めば日本に生まれたことに感謝し、日本人であることに誇りが持てるような日本史の本は皆無です。 

もちろん、負の歴史はどの国にもあります。

ですが、それは子供たちが成長し、様々な知識を得たうえで学べばよいことです。

何も知らない無垢な子供たちに、いきなり負の歴史を教える必要はない。

いや、現代の学校教育は、むしろ負の歴史ばかりを教え込んでいる。酷いのは、そのなかに捏造の歴史まであることです。 

そんな歪んだ歴史ではなく、子供たちを含め、読んだ人、誰もが日本が好きになる、日本人であることを誇りに思う、日本に生まれてよかったと感じてもらえる日本通史を書こうと思いました。 

その時、偶然お仕事をご一緒していた有本さんに、「今度、こんな日本史の本を書こうと思っているんやけど」とーその時はまだ「こんな本書けたらええな……」ぐらいにしか思っていなかったんですが―ボソッと言ったんです。

すると、有本さんが「それは書きなさい!」とおっしゃった。

有本

「書きなさい!」なんて命令囗調で言っていませんよ(笑)。

読者の誤解を招くようなミスリードはやめてください(笑)。

「是非、書いてください」と申し上げたんです。

百田 

優秀な編集者でもおられる有本さんがバックアップしてくれるなら、こんなに力強いことはありません。

それなら書けそうだと思い、去年から準備をして、今年の年明けから本格的に執筆に取り掛かりました。

完成まで約1年、2000時間以上を費やし、書いていて苦しかったことも多かったのですが、全体を通して非常に楽しい仕事でした。 

62歳になって、改めて日本史を勉強し直しました。

これまで読んだ日本史関連の本も改めて全て読み返し、新たに膨大な資料も徹底的に読み込みました。

小学館と集英社から出ている『学習まんが日本の歴史』まで全巻読みましたね。

有本 

『学習まんが日本の歴史』は、大人が読んでも面白いですよね。

百田 

そうなんです。これがバカにできないのです。

普通の歴史教科書にはない面白さがありますね。

それは漫画ですから当たり前なんですが、歴史上の人物、たとえば平清盛や織田信長がしゃべる点です。

その点が、単に事象だけが書かれた歴史教科書にはない面白さなのです。

そういうのは普通の歴史の本にはありません。

その意味で、執筆の参考になりましたね。 

よく知られているように、そもそもヒストリー(歴史)とストーリー(物語)の語源は同じです。

つまり、歴史とは物語なんです。

『日本国紀』を書くにあたって、「歴史は物語である」ということを常に意識しました。

有本 

百田さんから送られてくる原稿を拝読していて、「さすが稀代のストーリーテラーは違うな」と幾度となく感心させられました。

『日本国紀』では、それぞれの歴史的事象がどのように起きて、どのように結びついているのかという因果関係が見事に書かれているんです。しっかりと立体的なストーリー(物語)になっているので、歴史的事象や人物名は知っているけど因果関係はいま一つよく知らなかったという読者の方でも、なるほどと納得されたり驚かれたりされると思います。

主観が剥き出しに

百田 

既存の歴史書のほとんどは、著者の主観も視点もありません。

むしろ歴史書にはそうしたものを入れてはいけない、

できるだけ客観性を持たせなければならないとされている。

ですが本来、歴史に客観性を持たせることなど不可能です。

突き詰めれば主観が入らざるを得ない。

それが歴史というものだと私は思っています。 

『日本国紀』には、私の主観が随所に出てきます。

時に「私はこの事実に感動する」とか、「このことに対して怒りに震える」と主観が剥き出しになる箇所も多々あります。

有本 

第一章の書き出しの一文が、「私たちの歴史はどこから始まるのか」ですからね。

主語を意図的に「日本の歴史」にはしていない。

百田 

はい。一行目から私の主観が入っています。

こんな歴史書はこれまでありませんでした。 

たとえば『万葉集』についても、既存の歴史書では「現存する最古の和歌集。760年前後に編集されたと言われており、4536首の歌が収められている」といった記述ばかりで、最も大事なことを読者に伝えていません。 

それは何か。

現存する最古の和歌集であることはそのとおりですが、当時は身分制度があったにもかかわらず、そのなかには天皇や皇族や豪族といった身分の高い人たちの歌だけではなく、下級役人や農民や防人など、一般庶民ともいえる無名の人々が詠んだ歌も数多く入っているんです。

つまり、歌という素晴らしい芸事の前では万人は平等であるという精神で、なおかつ当時の人々にとって歌を詠むということは普通の嗜みであり、決して選ばれた人たちだけの教養ではなかったことがわかります。

1300年も昔にこんな文化を持った国は、世界中を探しても存在しません。私は『万葉集』こそ、日本が世界に誇るべき古典であり、文化であると思います。 

これらはあくまでも私の主観に過ぎませんが、こうしたことを教えてこそ、真の歴史教育ではないかと思うのです。 

他方、執筆のため様々な歴史教科書や専門書を読んでいて感じたのは、歴史の本ではなく、起きた事象を詳しく書いてある「年表の解説本」だということでした。

日本の歴史書の多くがこれに該当します。

これでは、読んでいて読者も退屈してしまう。

朝鮮史観で書かれた教科書

有本 

しかも、なかには史実ではないことが書かれているものも多いんですよね。

百田 

そうですね。

たとえば、歴史教科書を読んでいて驚くのは、秀吉の朝鮮出兵に関する記述です。

「文禄・慶長の役で日本軍は朝鮮の李舜臣の活躍にさんざん苦しめられた」といった趣旨で書かれている。

また、慶長の役における最後の海戦「露梁海戦で李舜臣率いる明・朝鮮水軍が日本軍を全滅させた」とも書いてある。実は、これらは全てフィクションです。

有本 

韓国は李舜臣を救国の英雄、世界三大提督の一人として祭り上げています。

最近でも済州島で行われた国際観艦式で、韓国海軍が李舜臣が使ったものと同じデザインだと彼らが思っている旗を掲げたことは記憶に新しい。

百田 

ところが、李舜臣の功績は皆無です。

文禄の役の初期に、護衛の付いていない日本軍の輸送船団を襲って多少の戦果をあげたぐらい。

文禄・慶長の役において、日本軍は終始、明軍を圧倒していました。もしあのまま明に攻め込んでいれば、明を窮地に追いこんでいた可能性は高いとされています。 

ところが、1598年に秀吉が病死したことによって、豊臣政権を支える大名たちの間で対立が起こり、もはや対外戦争を続行している状況ではなくなった。

そこで豊臣家の五大老は、秀吉の死を秘匿して日本軍に撤退を命じ、その年のうちに全軍が撤退したのです。 

この時、撤退戦の最中に行われたのが、先はどの露梁海戦です。

明・朝鮮軍水軍による待ち伏せの奇襲攻撃から始まり、双方ともに損害を出した戦いでしたが、明・朝鮮軍の主な将軍が多数戦死しているのに対し、日本軍の将官の戦死はほとんどなく、実質的には日本軍の大勝利に終わった戦いと考えられます。

李舜臣もこの戦いで戦死しています。

有本 

日本軍が慶長の役で明・朝鮮軍を圧倒していたことは、中国側も認めている史実なんですよね。

百田 

おっしゃるとおりです。

『明史』には、「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、明は10万の将兵を喪失し、100万の兵糧を労費するも、明と朝鮮に勝算はなく、ただ秀吉が死去するに至り乱禍は終息した」と書かれています。

こうしたことは、日本の歴史教科書にはまず書かれていません。 

ちなみに、露梁海戦で明・朝鮮軍は亀甲船を使って日本軍を攪乱したと言われていますが、これもフィクションです。

当時の亀甲船の図面や書き残した資料などは一切ありません。

完全な韓国側の作り話です。

有本 

ところが、日本の一部の歴史教科書や学習参考書には亀甲船や、ご丁寧に李舜臣の銅像まで載せているものがあります。

もちろん、それらが史実に基づいているのであれば話は別ですが、いまの韓国側の願望に基づいたフィクションまで混じっている。

言い換えれば、日本の教科書が「朝鮮史観」で書かれ、子供たちに教えられているんです。

これは非常に問題だと思いますね。

この稿続く。


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