文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

新聞は話を作っちゃあいけない。まして支那人をいい人のように飾り立ててはいけない。re-send

2023年02月10日 09時42分47秒 | 全般

本章が検索妨害の犯罪に遭っていた。
その手口は、全く関係の無い、以下の章を参照元ページにするという悪質なものだった。
https://blog.goo.ne.jp/sunsetrubdown21_2010/e/9fcf84ee03c1b04bfe440f9806afeff2/?img=c88e56f5a249be0cb7484e8469d9d40b
再発信する。

To Google Inc. Please file criminal charges against those who continue to perpetrate this crime of search obstruction.

You are the only ones who can protect the greatest library in human history from these criminals.

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

危ない支那人
サイゴンからカンボジア国境に向けて小一時間走るとチャンバンに着く。 
漢字表記をやめたベトナムでは「TRANG BANG」と書く。トランと書いてチャンと読む。 
街の外れをタンクワン川が流れる。
今から半世紀前、米軍機がその辺に数発のナパーム弾を投下した。 
うち1発が逃げる少女キム・フックの左肩に当たった。
幸い不発だったが、中身のナフサ樹脂が彼女の上半身に粘り付いた。 
ピューリッツァー賞を受賞した「ナパーム弾の少女」のそこが現場で、彼女の兄は「川に下りて水をかけたら樹脂が燃え上がったので砂で消し止めた」と当時を語ってくれた。 
上半身の火傷は深刻だった。16回もの手術で彼女はやっと命を取り留めた。 
その翌年、米軍は撤退したものの南北ベトナムの戦いは続き、2年後、サイゴンが落ちて戦争は終わった。 
ただ、それは仏印時代からフランス人の手先になってベトナム人の膏血を啜ってきた支那人追放の始まりの日でもあった。 
キムー家も国外脱出を試みた。
世に言うボートピープルだが、海に出た途端に同胞のはずの支那人海賊が襲ってきて身ぐるみ剥がしていった。 
一家はチャンバンに戻り、ベトナム人の敵意を込めた視線の中で小さくなって暮らしてきた。 
朝日新聞の「ナパーム弾の少女の50年」に彼女が「自由を求めてカナダに亡命」とあるのもそういう事情があったからだ。 
ただ朝日は支那人の悪辣には一切触れないから何で亡命なのか、読んでもちっとも分からない。 
キムー家と違って一財産を懐にまんまと脱出できた支那人は山といる。 
彼らは香港や日本に辿り着くと多くが米国を目指した。
そこには苦力の時代から棲みついた親戚がたくさんいたからだ。 
ロスではドジャース球場の外れのモントレーパークに支那人向けの空き家が多数用意されていた。 
ここは昔、知られた中華街だったが、住人はデルマーなど東に移って新しい中華街を作っていた。 
ボートピープルは喜んでそこに住みつき、ベトナム風の支那料理、例えば生春巻きを出した。 
LAタイムズはそれを「今年最高の味」と紹介、旧中華街は新しい支那人を加えて賑わいを取り戻した。 
先日の春節の折、その中華街で銃の乱射事件が起き、10人が殺された。 
犯人は72歳のフー・キャン・トランで、警官に追い詰められ自殺した。 
トランはベトナム旧表記で「陳」。かつてのボートピープルの成れの果てだった。 
しかし新聞はその表記に幻惑されたのか、朝日は犯人の出自を不明にして「暴力とは程遠い場所のはずだったのに」という中華街住人の声を載せる。 
素直に読めば黒人も白人警官もいない支那人だけの街は凶悪犯罪とは無縁ですと言っている。 
それはどうか。
トランは歴とした支那人だし、その直後に同じカリフォルニア州ハーフムーンベイでも同じ年頃の支那人が7人を射殺して捕まっている。 
同州ではその前後に4件の乱射事件があったが、その半分は支那人の犯行だ。 
日本では鄧小平の改革開放で支那人が入ってくると、即座に上海マフィアが新宿歌舞伎町を牛耳った。 
その後は上海と福建マフィアが争い、風林会館隣の中華料理屋で福建マフィアが3人を叩き切る青龍刀事件が起きている。 
その他ピッキングやATM丸ごと強奪など支那人らしい犯罪が続発した。 
同じ支那人が米国では犯罪とは無縁のいい市民であるはずもない。 
現にこちらがロス特派員時代、ガーデングローブのファミレスで歌舞伎町とそっくりの殺し合いがあって5人が死んだ。 
店には多くの客がいたが、みな「トイレに行っていた」と証言を拒否したと、これはアジア特捜班のジミー佐古田の話だ。 
新聞は話を作っちゃあいけない。
まして支那人をいい人のように飾り立ててはいけない。

 



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