文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本らしさを失っていく日本、国防を人任せにしてきた無責任な日本人に向かって警鐘を鳴らす

2021年11月09日 13時28分34秒 | 全般

以下は2021年10月1日に出版された下記の本の、まえがき、からである。
耳を疑った。
豊田有怛氏と対談?SF作家の草分?推理小説の大御所?エーッ?私は、SFも推理小説も読まない。読もうと思ったこともない。いくら何でもミスマッチだ! 
そこに、ビジネス社より参考資料として手渡された豊田氏の著書が数冊。
家に帰り、最初に開いてみたのが『日本SF誕生-空想と科学の作家たち』(2019年出版)。
中身は、1960年代のSF誕生秘話。
つまり、日本にそれまで存在しなかったSFというジャンルを作った作家たちの、情熱というか、苦闘というか、涙というか、連帯感というか、要するに、波乱万丈の物語だ。 
ページを繰ると、彼らSF小説のパイオニアたちが、昭和の日本でどんな暮らしを送り、何を考え、誰に恋をし、どんな作品を描き、喧嘩し、成功し、あるいは失望したかという悲喜交交が漫然と綴られている。
著者である豊田氏の言葉を借りれば、「SF作家交友録」。
すなわち、無から手探りで何かを作り出していく破天荒な男たちの挑戦的な生き様だ。
もちろん、そこには豊田氏白身も含まれる。 
ただ、同書に登場する作家のうち、私が名前を知っていたのは、手塚治虫、星新一、小松左京、永井豪の4名だけ。
その上、山ほど引用されている作品のどれ一つさえ、私は知らなかった。
つまり、常識で言えば、私はこの本の読者には属さない。
書かれている内容と自分との間に何の接点も見つけられないような本が、面白いわけがない。
そう思いつつ、しかし、最後まで一気に読んでいた。なぜか強烈に魅せられた。
そのあと、単純に考えた。
お門違いの私を、しかも、ワクワクするストーリーさえない読み物でここまで引きつけたこの作家はすごい、と。
これは手腕というより、ほとんど怪腕ではないか。
そう思った途端、私の心の中に、同じ物書きとして、豊田氏に対する絶大な興味が湧いた。
しかし、いったい彼の文章の何が、私を引きつけたのか? 
氏の文章は山水画のようだ。感情を抑え、独特な語り囗で、事実を淡々と並べていく。
そして、随所に散らばるドライなユーモアと、時には諦念。 
そして、その文章の間からは、その時代の雰囲気、匂い、人々の息遣いまでが強烈に染み出してくる。
日本人が猛烈に元気だった時代の匂い。
まだ貧しいながらも、両手にいっぱいの希望を持って生きていた人々の笑顔。
そこで生き生きと、SFというキラキラした夢のようなものと格闘していた男たち、女たち。
この作品は、豊田氏が「昭和」という時代に捧げた讃歌ではないか、と気づいた。
と同時に、それらが失われてしまった現在に対するエレジーでもあるかもしれない。 
このあと私は、氏の他の作品にも触手を伸ばした。
SF作家というのは、奇想天外な発想さえあればなれるわけではなく、宇宙(ちなみに、私がいつもテレビで見ていた『宇宙少年ソラン』の台本も豊田氏の手によるものだったとか)から超能力に至るまで、科学全般に長けていないと、満足な作品は書けないらしい。 
ちなみに60年代といえば鉄腕アトムの全盛期だ。
アトムとか、その妹のウランちゃんという名前を聞いただけで、当時は原子力が花形であったことがわかる。
そのアトムのテレビ台本を書いていたのが豊田氏だったということも初めて知った。 
豊田氏は当時、原子力の正確な知識を得るために、原子力工学やエネルギーについても勉強し、原子力発電所や火力発電所も見学したという。
SFでは全くつながらなかった豊田氏と私だが、ようやくここら辺で、蜘蛛の糸のようなつながりが見え始める。
私は、いわば50年遅れで、今、エネルギーに頭を突っ込んでいるからだ。
実は、共通瑣は他にもあった。氏の著す韓国事情が面白い。
最初、SF作家がなぜ韓国?と怪訝に思ったが、人生は長いからそういう不思議なことも起こる。
その上、氏の著す韓国メンタリティは、さりげないながら、韓国人の心の深層部分に分け入ったような迫力があり、興味深い。
こういうものは、その社会に深く潜入し、しかも、鋭い観察眼がなければ物にできない。 
一方、そういう意味では、私もドイツという国にかなり深く潜入している。
ドイツで暮らした時間のほうが、日本よりも長いほどだ。
つまり、ここで再び共通項。 
豊田氏が韓国を分析されているほどドイツを客観的に分析できているかどうかは心許ないが、少なくとも私も常にそれを試みてきた。
その長い道中では、二国間の狭問に落っこちてしまったり、根っこが失われていく不安感に襲われたり、結構いろいろなことがあったが、最終的に行き着いた先は、自分は日本人であるという当たり前の結論だった。
そして、これが、豊田氏の韓国に関する作品の通奏低音となっている愛国心につながるような気がしている。
国家についての思考や帰属意識は、外国と深く関わって、ようやく湧いてくるものなのだろうか。
そんなわけで本書は、二人で声を合わせて、日本らしさを失っていく日本、国防を人任せにしてきた無責任な日本人に向かって警鐘を鳴らすという内容になってしまった。
つまり、SF作家と、音楽の勉強でドイツに渡った人間を足して2で割ったら、2人の愛国人間が出てきたという摩訶不思議が、本書の肝と言えるかもしれない。 
ただ、蛇足ながら、もし、もう一度、豊田氏とご一緒する機会に恵まれれば、私はぜひ、氏が心に描く日本の未来を聞いてみたいと思う。
初めてSF作品を垣間見た私は、氏が半世紀も前に書かれた、おそらく当時は酔狂だと思われただろう多くの事象が現実となっていることに気づいて唖然とした。
そんなことができる人は、これから半世紀後のことも、かなり正確に予想できるはずだというのが、現在、私が豊田氏について密かに持っている確信なのだ。もちろん、その未来が、真っ暗でないことを祈りつつ。 
豊田有恒氏に巡り合わせてくださったビジネス社には心から感謝している。 
読者の皆さまには、本書を楽しんでいただき、できれば、国家滅亡の危機も感じ取っていただければと願う。
なんだか、SFっぽくなってしまった……。 
2021年8月 今なお暑い東京にて 
川ロマーン恵美

 


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