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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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人権安全保障を提案する…日経新聞10月9日2面より

2011年10月09日 15時20分30秒 | 日記
「共産主義か、それとも死か(red or dead)」という英語表現が冷戦時代にあった。韻を踏むためとはいえ、共産主義を「アカ」と呼ぶ激しさが当時の緊張をうかがわせる。

9月下旬に東京で開いた東京ウラジオストク・フォーラムは、冷戦が遠い過去になったと改めて感じさせた。安全保障セッションでロシア側か報告したのが中国、北朝鮮によるオホーツク海、日本海の汚染だったからである。

環境安全保障と呼ばれ。「人間の安全保障(ヒューマンセキュリティー)」の一部だ。もっぱらソ連など東側の軍事力が脅威だった冷戦時と違い、テロや疾病、環境破壊など多様化した脅威への対応を考える。それが人間の安全保障だ。

人間の安全保障学会の結成大会が9月中旬、同志社大学で開かれた。人間の安全保障を掲げた学会は、世界で初めてであり、人権(ヒユーマンライツ)より包括的な「人間の尊厳(ヒユーマンディグニティー)」をめぐる学際的議論がかわされた。

基調講演した高須幸雄前国連大使は、人間の安全保障の重要性を指摘するとともに、国家安全保障(ナショナルセキュリティー)の軽視を戒めた。新しい概念である人間の安全保障に目を向けるあまり、伝統的な安全保障を軽視する傾向があるからだろう。

人間の安全保障には、確かに安全保障の概念を拡散させる危険がある。それを避けるには人間の安全保障の中核に人権安全保障(ヒューマンライツセキュリティー)を据える必要があるように思える。

人間の安全保障が目指すのは、地球上の一人ひとりに、日本国憲法25条にあるような、健康で文化的な最低限度の生活が保障される世界だろう。それには遠い現実がある。

国際人権団体、ヒューマンライツウォッチなどが9月初旬に明治大学で開いた北朝鮮に関する国際会議で政治犯収容所の惨状を聞いた。例えばこんな話だ。

政治犯たちはトウモロコシの種をまくよう命じられる。腹を減らした彼らが種を食べないようにするために当局は、人のふんに混ぜた種を配る。それでも何人かは水で洗って食べてしまい、大腸炎にかかり、血を吐いて死ぬ。

収容所の医師は獣医と聞いた。例え話ではなく、実際に政治犯は人間扱いされない。だから獣医が診察するらしい。21世紀のいま、人間を動物扱いする国が日本のすぐ近くにある。

核兵器をも弄ぶ、あの体制が倒れぬ限り、惨状を終わらせられない、とだれもが直感する。中国があの体制を擁護する政策を転換しない限り、あの体制は倒れないことも多くの人が知っている。

人道的介入であっても、中国の同意なしに、あの国に軍事行動は起こせない。軍事行動は犠牲者を伴う。人権のために人命を犠牲にするのは、本末転倒にも映る。ではどうするか。まだ明確な答えがない。

北朝鮮だけではない。政府がミャンマーと呼び、それに反対する人がビルマと呼ぶ、東南アジアの国もそうだ。中央アジアやアフリカの諸国でも多くの人々が想像を超える苦しみのなかにいる。

最小コストで彼らを人権抑圧から解放するにはどうすればいいか。それを政策にし、中国のような国も受け入れざるを得ない状況をつくる。これが人権安全保障の目標となる。

人権安全保障は、人間の安全保障ほどは美しく響かない。ゆえなく殺される人々の命を救うための戦術的な試みだからである。(特別編集委員 伊奈久喜)

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