文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

だから全体主義諸国に対して、非常に熱烈な愛情を示しますな。どうも不思議なことですね。

2018年04月25日 12時23分58秒 | 日記

以下は前章の続きである。

前文省略。

渡部 

朝日の反応の仕方というのは、あれやっぱり全体主義体質なんですな。

香山 

同感ですね。

渡部 

だから全体主義諸国に対して、非常に熱烈な愛情を示しますな。

香山 

どうも不思議なことですね。

渡部 

戦前の朝日だって、政党政治は随分批判しているんですよ。

ところが一たび右翼全体主義が出てくると、えらく熱烈支持になってしまう。

戦後は左翼全体主義国に対して、熱烈支持の基本ポリシーを持ってるわけです。

だから日本の大新聞、特に朝日は、全体主義的体質が強いです。

香山 

その通りですね。

渡部 

全体主義の一番嫌いなことは、自分を批判する奴なんですよ。

ヒトラーは、自分を批判したら殺したでしょうけどね。

香山 

日本で根本的に間違っているのは、ファシズムやナチズムというのは、ヒトラーや、右翼や、「右傾化」の話だとだけ思われていることですね。

「左傾化」したらそんなものと関係ないと思い違いしているんですけれども、ナチズム(Nazism)というのは、本来国家社会主義(National Sozialismus)の略称なんですからね。国家社会主義が、結局ああいうものを生んでいったわけですから。

その体質の根本は右も左も同じなんですね。

自由主義か全体主義か

渡部 

国際社会主義か、国家社会主義か、一字違いなんだね。

香山 

そのとおりです。スターリンはむしろトロツキーらとの論争でも、一国社会主義路線を選び、国家社会主義の道を進んで、「収容所群島」を作ったのですからね。 

このところ目白の学習院大学の前を通って、田中角栄邸へ毎日のように宣伝カーが押しかけ、交通渋滞をひきおこして、大変迷惑しているわけですが、右翼のシュプレヒコールは「国賊田中角栄は腹を切って死ねI。神国日本を泥沼で汚した角栄は死ね1.警官はそのピストルで角栄を撃て1」とラウドスピーカーでがなりたてるわけです。うるさくて仕事にならない。 

この右翼の発想は戦前の軍国主義者やテロリスト同様、自分と意見の違う人間を「殺せ」「問答無用」ということでしょう。

渡部 そういうことです。

香山 言論の自由を認めない、存在そのものを認めない、とにかく抹殺するということですよ。その手段とて役に立ちそうなら、どんな手段でも使うということなんですね。だから、私は、左右両翼のいずれたるを問わず、全体主義というものの基本的なリトマス試験紙は、一口で言うならば自分と違う意見を許容し、尊重するかどうかだと思うんです。

渡部 そういうことです。だから多数党民主主義というのが、なぜ根本的に重要かというのはそこなんですね。

香山 その意味では今度の朝日との論争も、朝日が自由主義の立場に立つか全体主義の立場に立つかの根本にかかわる本質的な問題を含んでいると思うんです。綱引きのとき、かけ声があったかなかったかという枝葉末節の問題ではない。 

私の読み違いだという朝日の「抗議書」の趣旨は、綱引きをするときに、かけ声をかけて引くケースと、かけないで引くケースと、A、B二つのケースがあると、そういう一般論を冒頭に述べてるんだというんですね。 

そのあと「天声人語」は鈴木内閣が発足してからの「現状論」を述べているのに、私が「一般論」と「現状論」を混同しているというわけです。 

「現状論」といったって「政府自民党対民衆の綱引き」など、というものが国立競技場であったわけではないんですからね。

あくまでそれは比喩にすぎないのです。

これらの点については、既に詳しく書きましたが、朝日と論争してみて、改めて非常に強く感じましたのは、まず「事実」というものと、事実の「解釈」というものとが、全く区別されてないということですね。

渡部 それが多いんですよ。

香山 ですから「事実誤認」だといって、私に対して「抗議書」を突き付けてるんですけれども、「事実誤認」の説明の文章は、「天声人語」の「読み違い」、つまりは「解釈の違い」と言っているんですね。

「事実」の話と「解釈」の話とが混同されてはかなわない。

「天声人語」の読み方まで、いちいち朝日新聞に指図されたり言語統制されたんではかなわない。

渡部 それはそうです。

香山 文章は、書いた途端にいわばその人の手を離れるわけですからね。どう読もうが、読者の自由ですね。

まして朝日のいうように読め、それ以外の読み方は「中傷」で「名誉毀損」だというのは、私の友人の国語学者、論理学者の意見でも、それはちょっと無理がある。

朝日新聞は日本語の能力が相当落ちているのではないかと思われるような無理な解釈ですね。 

しかし私は、にもかかわらずあの論文でも、「朝日新聞の主張するような読み方は日本語の読み方として絶対にできない」とはけっして言っていないわけです。

日本語の読み方について、私は独裁権を持ってると思ってないですからね。 

ところが「天声人語」はこう読むべきだ、それ以外の読み方は「初歩的な事実誤認」「誹謗中傷」だとおっしやる。

これではまさに全体主義の発想ですね。

この稿続く。


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