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立民…世論をあおって中止に追い込むことができれば私たちの勝ち。開催に持ち込まれれば負けだ。

2021年06月05日 21時38分24秒 | 全般

以下は今日の産経新聞の記事からである。
五輪開催前 胸打つ首相の言葉が欲しい
東京五輪の開幕まで50日を切ったが、新型コロナウイルスの感染拡大を恐れる声は今も多い。
一部野党は不安をあおるように中止論を唱える。
ここは感染対策を分析し、安全に大会を開くことができるかどうかを冷静かつ科学的に考える視点が重要だろう。
菅義偉首相は何を聞かれても「安全安心」を繰り返す印象が強い。
これでは国民の心に五輪への期待を届けることにはつながるまい。 
立憲民主党の枝野幸男代表は先月、予定通り五輪を開けば「世界の変異株の展示会みたいな状況になる」と訴えた。
本当にそうだろうか。 
大会では、選手村に入る8割以上の選手らがワクチン接種を終える見通しとなった。入国前の96時間以内に2度、入国直後からはほぼ連日、検査を行う。
国内移動には公共交通機関の利用を禁じ、東京と遠隔地のホストタウンの行き来は、新幹線の車両を貸し切りとするなど特別な態勢を用意する。
選手村からの外出は原則禁止、国内観光や市中での飲食も禁じられる。
一方、選手団よりも感染リスクが高いと懸念される海外メディアには、大会関係者と同等の検査や隔離体制をとる。
市中での取材は禁じ、大会組織委員会が1棟やフロア単位で管理できるホテルに原則滞在させ、無断外出を防ぐよう警備員を常駐させる。 
監視の目をかいくぐる者は出るかもしれないが、「海外メディアで都内の居酒屋があふれる」と揶揄するような現象が起こるとは思えない。 
これらの対策の多くは、すでに国際オリンピック委員会(IOC)や大会組織委員会が4月28日に公表した「プレーブック」第2版で詳述されている。
選手や関係者を泡のように包み、外部と遮断する「バブル方式」は、すでに国内での五輪テストイベントでも採用され、海外から約1千人が参加して感染者は1人。
昨年来、各国で行われた430の国際大会でも、約5万4千人の選手が参加して、クラスター(感染者集団)が発生した例はない。 
では「バブル」の外はどうか。
海外からの観客は断念したものの国内で各地から観客が集まれば人流が増え、副次的に感染が広がる懸念は専門家も指摘する。
欧米よりもワクチン接種のスピードが極端に遅いことへの不満と混ざり合い、心配を増長させている。 
ただ、5月中旬からようやくワクチンが本格的に流通しはじめ、6月以降には1日当たりの接種回数が大きく増えた。
重症化リスクの高い65歳以上の高齢者(約3600万人)は、7月23日の五輪開幕日までに少なくとも1回接種を受けるメドが立ちつつある。
6月21日からは、職場や学校単位で現役世代を対象とした接種も始まる見通しだ。 
複数の野党議員は、国会質疑で「強引に開催すれば感染者を増やし、医療提供体制をさらに逼迫させて死者を増やしかねない」と訴える。
国民の命が優先されるべき点は論をまたないが、一連の感染対策やワクチン接種の進展具合を直視したつえで懸念があてはまるのかを見極めるべきだ。 
立民は7月の東京都議選の公約に五輪の中止もしくは延期を掲げた。
党所属議員が「世論をあおって中止に追い込むことができれば私たちの勝ち。開催に持ち込まれれば負けだ」と露骨に語るのも聞いたことがある。
世論で多数を占める中止論に乗っかり選挙で躍進すれば、首相にダメージを与え、次の衆院選にも有利になる。
そうした思惑に起因する戦略なら、選手だけでなく真剣に五輪を心配している国民も冒涜することにならないか。  
国民よりも自党の都合が勝るような反対論を排し、国民に十分な安心感を与えられずにいる要因は、首相自身にある。
最近は、いくぶん細かな感染対策に言及するようになったものの、うまく響いてこない。
「こんなときになぜ」と感じる国民の気持ちへの思いやりが足りない。
コロナ禍の1年半、国民は心身とも傷つき、疲れ果てている。
その中で大会を開くことの意義は何か。
それが国民に何をもたらすのか。
為政者としてのメッセージが必要だ。 
スポーツはアスリートだけでなく、見る者にも感動と勇気を与える力がある。 
コロナに苦しみ、我慢を強いられた国内外の人々を、もう一度奮い立たせるきっかけになるかもしれない。 
その思いを、素朴な言葉でも良いから、ぜひ首相の口から聞きたい。 
(政治部次長 水内茂幸)

 


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