文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

軍備なき日本列島の弱みに付け込んで李承晩は竹島に侵入し勝手に李承晩ラインを引いて日本の漁船を多数拿捕しただけではなく、

2022年01月09日 09時34分45秒 | 全般

1948年頃、軍備なき日本列島から占領軍が早期に撤退することは不可能なので、日本との講和条約は延期せざるを得ないだろう、などと米政府高官が語っていた。と題して2019年08月15日に発信した章である。
当初は、中国で共産党が勝利を得れば、米国の同盟国であった中国にこれまで占められていた地位に、旧敵国たる日本が置かれるという新たな、と題して2018-08-14に発信した章である。
そのいずれもが検索妨害という犯罪行為に遭っていたので再発信する。
以下は月刊誌正論2018年9月今号(840円)に、私が選ぶ、戦後リベラル砦の「三悪人」、半藤一利、中島健蔵、加藤周一、薄弱な、あまりに薄弱な知性と題して掲載された西尾幹二氏の論文からである。
見出し以外の文中強調は私。
子供時代につけていた日記を基にした私の『少年記』をみても、戦争が終ってから初めて子供らしい伸び伸びした学校生活が回復されていることが見てとれる。
だからいうまでもなく平和は貴重であり、生産的である。
そんなことは分り切っている。
しかし十二歳で終戦を迎えた少年の眼にも、国が囚われの身であることははっきり映じていた。
国が他国に運命を委ねて、自由意志を奪われているときに、本当の意味での個人生活はあり得ない。
平和は貴重であり、ありがたい贈り物ではあるが、それとはまた別の次元の新たな問題が発生していることは、子供心にもいろいろな形で認識されていた。 
戦争が終ってしばらくは中国がアメリカの同盟国であって、日本は旧敵国のままだった。
間もなく中国大陸での蒋介石政権の苦戦が伝えられ、共産勢力が大きな脅威であることが明らかになってきた。
1948年頃、軍備なき日本列島から占領軍が早期に撤退することは不可能なので、日本との講和条約は延期せざるを得ないだろう、などと米政府高官が語っていた。
*この軍備なき日本列島の弱みに付け込んで李承晩は竹島に侵入し勝手に李承晩ラインを引いて日本の漁船を多数拿捕しただけではなく、殺害・拘留するという正に「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘の国」のDNAを厚顔無恥に発揮する暴挙に出たのである。*
だが、他方では、大陸情勢のこの急変は日本に有利な側面をみせ始めていた。
中国で共産党が勝利を得れば、米国の同盟国であった中国にこれまで占められていた地位に、旧敵国たる日本が置かれるという新たな可能性も強まってくるだろう、との観測も米国から伝えられてきた。 
私は中学一年生だったが、大人たちの会話や新聞情報から、これは日本にとってある程度の朗報だと知らされた。
ところが、本当にそうなのかなア、昨日まで日本で論じられていたことと余りにも違うではないか、と私は子供なりに疑問を抱いたことが記録されている。 
うまく言葉では言えなかったが、旧敵国アメリカの顔色を窺い、いっそう手厚い庇護を受けられる情勢の変化を「幸運」と考えてしまうようになった新しい思考習慣が、幼い私にとってはともかくひどく悲しかったのだ。
連合国の歴史解釈を鵜呑み 
その同じ頃、昭和23年(1948年)11月3日に、最初の「文化の日」が来た。
それまでは「明治節」だった。
新聞には何のことか分らないと正直につぶやく声もあった。
その日の「東京新聞」が私の日記に挟み込みで保存されていた。
「燈火親しむべき秋の夜長をローソクも不自由な状態で停電におびやかされながら、さむざむと供出芋の皮をむく」と自嘲ぎみに茶々を入れている新聞記者の皮肉な文章には当時の世相が反映されていて好感がもてたが、いちばんいけないのは、訓辞口調で偉そうに「文化の日」の意義を説く言論知識人の、学芸欄にのせられた例えば次の文である。
筆者はフランス文学者、東大教授中島健蔵。 
「今の日本には、思想の対立がある。これは、だれにすすめられたのでもなく、日本人が勝手にやっている対立であるが、これを左右の爭いと見ることは、世界なみの見方にこだわりすぎているのである。見かけはともかく、今の日本にある一ばん深刻な対立は、新旧の対立なのだ。古いものは、根強く心の中に残っている。しかも、それらは、だんだんに滅びようとしている。古いものが悪いときめるわけではない。古いものの中に、悪いものがあって、それがこびりついているのである。それは何か、封建的社会意識。そして、その上に塗られたファシズムの皮。「文化の日」という新しい祝祭日は、この甘皮をはぎ落し、その下にうごめく古い社会意識を風にあてて、崩壊させてしまうための日にしなければならぬ。」 
何というありふれた当時の通念であろう。
何という軽薄なもの言いであろう。
日本の近代は封建主義であり、封建主義の古い体質がファシズムの原因だったという、連合軍が日本に押しつけてきた歴史解釈をそのまま鵜呑みにして、自分の考えというものが何もない。  
知識人が共産党に雪崩を打つように入党した時代の流行のものの言い方である。
いうまでもなく中島健蔵は、何十年と性懲りもなく愚かなことを語りつづけた進歩的文化人の代表の一人である。
十歳ぐらい年を重ねた後の私は、一流雑誌に彼の文章が堂々と載ることを疑い、目にするたびに汚いもので目が穢れる思いにおびえ、思わずページを伏せたものだった。  
この手の知識人は人文系だけでも中野好夫、桑原武夫、久野収、小田切秀雄、本多秋五、鶴見俊輔など枚挙にいとまがなかった。 
彼らには自分の国が新たな囚われの身であり、自由意志を奪われていることが平和の代償であるとの幼い私にさえあった苦い認識がみじんもなかった。
この稿続く。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。