マスコミの姿勢こそ国民蔑視の思想の裏返しだ
私のような人間は、かなり幼にして、新聞に書かれていることテレビで喋られていることはウソかホントかのどちらかであるから、またはウソとホントの混合であるから、自分の肌で感じ自分の頭で考えようとする習慣ができた。
しかし残念ながら、多くの日本人は、マスコミが唯一の情報源であるとあきらめているだけでなく、マスコミが自分を律してくれる唯一の価値基準であると頼りにしているのである。
国民は、マスコミが自分の代わりにものを考えてくれている、ものを表現してくれている、と受け取っている。
しかしより厳密にいうと、国民は自分たちに何らかの考えがあって、その代弁をマスコミがしてくれている、とみなしているのではない。
自分たちはおおよそ無であって、その無の器にマスコミが感情や思想や理論を注入してくれることを待ち望んでいるのであろう。
これはあきらかに衆愚の姿である。
そして私が、国民のマスコミにたいする対応を衆愚の振舞いであると指摘するや、マスコミ人士を含め知識人たちは、私の指摘が国民蔑視でありエリート主義でありファシズムであるとすらいう。
これは、まったく逆なのだ。
もしも私が国民を全き衆愚とみなしているのなら、衆愚に向かって衆愚だと指摘するようなことは衆愚以上の愚だということになろう。
私は善良にも国民を信頼しており、彼らの振舞いを衆愚のものだと指摘しつづければ、いずれ、彼らが衆愚の姿をかなぐり捨てることもあるだろうと期待している。
現に私自身にそれを期待している。
つまり私は、おのれが衆愚の一人であるかもしれないという自己懐疑を自分に差し向けることによって、自分が衆愚の群れから抜け出られることもあるだろうと期待しているわけである。
それに反して、世論の名において語るマスコミこそが、国民を衆愚とみなしているのだ。
国民は頭がタブララサつまり「白紙」の状態にあるのであり、その白紙の上にマスコミは手前勝手な言葉を印刷することができると思っているのである。
マスコミの国民迎合の姿勢こそ国民蔑視の思想の裏返しなのである。
このことは、最近の具体的経緯を追うまでもなく、もっと多くマスコミの歴史的推移を眺めればすぐ明瞭になるはずだ。
たとえば、戦争の時代において、中国人を殺戮した日本軍人を称賛して「あっぱれ百人斬り」という記事を書いた新聞が、敗戦の直後から百八十度転換し、人道主義や平和主義の煽動者になり変わる。
こんなことに満ちているのがマスコミ史というものだ。
思想の変遷は歴史の常であるとしても、その変遷の意味をあきらかにしないのでは思想とすらいえない。
それは国民蔑視の戯言の歴史であり、そんなマスコミ史を刻してしまうのはマスコミ人士の自己蔑視だというしかない。
この項続く
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