以下は前章の続きである。
見出し以外の文中強調は私。
もし英国ならば北朝鮮は…
その意味は、次のようなことだ。
そもそも安全保障政策というものは、相手の出方に応じて自分の手を考えるのでなければひとりよがりになってしまう。
囲碁や将棋では、自らの着手のもたらす得失は、相手の着手次第で変わる。
そのため、自らの好みだけで手を決めるわけにはいかない。
相手の手に応じて自分の手を考えるのが当然だ。
このような、相手の出方を考えなければ自らにとっての最適な行動を決められないという状況を「戦略的状況」と呼ぶが、国際政治、なかんずく安全保障の問題はその典型だ。
自らの安全を守るために何をしなければならないのかということは、自分の都合だけでは決められない。
そして、核政策もその例外ではない。
国際社会には、主権国家の上に立つ中央政府が存在しないという大きな特徴がある。
これを「アナーキー(無政府状態)」という。
国内社会では、個人や諸集団の行動に対し、政府がさまざまな形で制約をかけている。
たとえば、法は政府の強制力によって支えられている。
法を破った者に対しては、政府の機関たる裁判所や警察や軍隊が対応し、制裁を加える。
その結果、個人や諸集団の暴走はおおむね抑えられている。
ところが、国際社会は、そのような中央政府を欠く。
国際法を支える強制力は存在しない。
世界警察も世界軍も存在しないし、国際裁判所も、主権国家が無視しようとすればほとんどなすすべを持たない。
このような状況において、国家の行動を制約するのは、基本的には他国の行動だけだ。
わかりやすく言えば、アナーキーの下で、諸国家は、お互いの行動を注意深く見つめ合い、他国が自らにとって不都合な行動をとることがないよう、牽制球を投げ合っている。
国家間関係が友好的で順調に進んでいれば、牽制球がほとんど不要になる場合もある。
たとえば、現在の日米関係はその例だろう。
だが、自国に対する態度が不明確な国家や敵対的な国家に対しては、より強い牽制球が必要だ。
効果的な牽制球が投じられた場合、相手国は暴走を思いとどまるだろう。
また、効果的な牽制球を必要に応じて的確に投じてくる国に対しては、うかつな行動は牽制死を招く恐れがあるとの認識が生まれ、牽制球が投げられる前から暴走が自己抑制される傾向も出てくるだろう。
ところが日朝関係では、日本は北朝鮮に対して十分な牽制球を投げてこなかった。
この稿続く。