以下は前章の続きである。
文中強調は私。
1980年代のユネスコ(国連教育科学文化機関)のセネガル出身のムボウ事務局長の汚職もものすごかった。
アメリカはそれに抗議してユネスコを脱退した。
国連事務局の無能ぶりとなると、韓国出身の潘基文事務総長の実例がよく指摘される。
国連が本来の最大目的の戦争防止や平和維持にも失敗してきた歴史も明白である。
1995年のボスニア紛争でイスラム系住民8000人が国連平和維持軍の目の前でセルビア軍に虐殺された実例はアメリカの国連批判ではいまも必ず語られる。
現地の国連平和維持活動の責任者が日本人の明石康氏だったことは皮肉である。
日本の国連信仰の目にみえる象徴は東京の青山の一等地にそびえる国連大学だろう。
この「大学」は学生も教授も教室もない。
存在するのはごく少数の国連関連の研究者なのだ。
この国連大学は1970年代に日本が国連の他の諸国に懇願して丸抱えで招致した機関である。
当時、国連総会でも国連大学の設置自体に反対が多かった。
だが日本は東京都心の時価20億ドル以上の1等地を国連大学用地として無償提供するとともに1億ドルを寄付して国連大学基金とし、運営の資金とすることを決めた。
なにからなにまで日本の丸抱えとなった。
だからこそ国連大学は1975年にオープンしたのだった。
しかしその後も国連自体が国連大学の存在そのものに疑義を表明したり、会計上の問題を指摘したりした。
国連の名を掲げる特別報告者なる活動家たちにいまや国益を侵されるようになった日本としては、国連への基本的な姿勢を改めて見直すことも必要だろう。
とりあえず、国連大学のような不透明な国連機関の受け入れあたりから、対国連対策の再検討を始める時期がきたのではないか。