以下の章は、先夜、中国政府公認の外国メディアの代表の一局であるNHKが、中国が、底知れぬ悪とまことしやかな嘘の国である事すら知らないらしい態様で、長時間番組として報道した事が、どれほど事実に反したものだったかを、これ以上ない程に証明している。
あの日の番組、村にやって来た、お金がない紅軍に村人達は一枚の借用書だけで、お金を与えました。
習近平が大々的に行っているらしいプロパガンダにNHKは100%協力していたわけである。
NHKと、あの番組の制作責任者は、二度とジャーナリズム、ジャーナリストである等と名乗ってはいけない。
末代まで残る恥である事を知って、報道の舞台から消え去らなければならないのである。
また、この21世紀最高の本が明らかにしている事実を初めて知るのだろうが、バイデンは、先日の習近平との電話会談で、一体、どんな事を話したのかを、彼を支持し投票した米国民は、明らかにしなければならない。
それは、日本と並んで、文明のターンテーブルが回っている国である米国、後、170年、世界をリードして行かなければならない米国民としての義務と責任である。
朝日新聞の報道を利用し続けた南ドイツ新聞等を購読して来た結果として、反日思想を持っている約半数のドイツ国民は、己の無知と卑劣さを知って恥じなければならない。
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「一村一焼一殺」で奪われた10万人の命
第一章では、敵方への浸透工作が中国共産党の得意技であることを具体的に見たが、この浸透工作と並んで、中国共産党が結党当初から三度の飯より好んだことは、自国の一般国民に対する残忍極まりない大量虐殺であった。
多数の人命を組織的に奪っていくのは、中国共産党の一貫したやり方で、習性とさえなっている。
中共という組織は最初から、テロ活動を主な仕事としていた。敵の暗殺、あるいは混乱を起こそうと無差別殺人を繰り返した。
後に「聖人君子」に祭り上げられたあの周恩来こそ、中国共産党のスパイ工作の大ボスであり、暗殺活動の総責任者でもあった。
彼らがやった残酷な暗殺を一つ紹介しよう。
1931年、周恩来の部下だった顧順章という人物が国民党に寝返ったことは前章で触れたが、実は、この裏切り者を懲罰するために、周恩来は自ら指揮をとって、顧順章本人ではなく、その家族全員の暗殺を実行した。
周恩来らはまず、上海のフランス人居留地にある顧順章家族の隠れ家を突き止め、夜陰に乗じて乱入した。
そこで彼らは、首を締めるやり方で、老若男女を問わず、この家に住んでいた全員を手当たり次第殺していった。
惨殺された人の中には、顧順章の妻だけでなく、実の兄や義理の妹、そして義理の父母や家の使用人まで含まれていた。
もちろん周恩来らは、顧順章本人が国民党諜報機関に極秘裏に保護されていて、その家にいないことを知っている。
つまり彼らは最初から、顧順章ではなく家族たちを殺すために暗殺を決行した。
裏切り者の顧順章を懲罰するために、彼の裏切り行為とは何の関係もないはずの義理の妹や義理の父母まで惨殺してしまった。
その一点だけ見ても、周恩来ら中共幹部はまさに人間性のかけらもない冷酷な殺人鬼であることがよくわかる。
中共の殺人行為は当然、暗殺だけに限られていなかった。彼らは政党として最初から「殺すこと」を党の基本方針に掲げていたのである。
中共が自前の軍隊を作って武力革命を開始したのは、1927年8月I日の南昌蜂起だった。
実はその時、周恩来率いる蜂起軍は「蜂起決議案」という公式文書を公布し、蜂起後のとるべき行動について次のように宣言した。
「われわれは反革命的な軍人たちを全員殺さなければならない」「われわれは反動的官吏たちをいっさい殺戮しなければならない」「われわれはすべての土豪劣紳を殺し尽くさなければならない」
文字通りの「殺人宣言」であるが、中共の起こした「暴力革命」は最初から「殺人革命」だったのである。
「殺人宣言」の三番目に出てくる「土豪劣紳」は共産党による造語で、農村地域に住む地主や旧家、素封家を指している。
中国では昔から、政治権力の支配は農村の地域社会に及ばないのが原則である。
農村の社会秩序は、たいてい地主や素封家を中心とする自治によって維持されていた。
彼らのほとんどは安定した財産を持ち、教養と良識を身につけ、地元の名望家として地域の安定と平和を守ってきた。
しかし、上述の「蜂起決議案」では、そうした人々はみな共産党の目の敵にされ、皆殺しの対象に指定された。
当時の共産党は、都市部を支配した国民党勢力の矛先を避けて、農村地域での革命運動の展開を方針の一つにしていた。
そこで彼らが、農村での革命運動の敵と位置づけたのが「土豪劣紳」と呼んだ地主や素封家だ。
こういう人々を標的に革命を起こせば、一般農民を動員しやすいという計算もあるし、地主や素封家たちの財産を奪えば、共産党軍の財源に当てることもできるからである。
前章にも記したように、南昌蜂起後、国民党軍に撃破された共産党軍の残党は、朱徳という軍人に率いられて南昌と同じ江西省にいき、そこを拠点にしてゲリラ部隊を率いる毛沢東と合流した。
しばらくして「紅軍」を名乗る毛沢東と朱徳の部隊は山から降り、広域の農村地帯で「革命根拠地」を作っていくことになった。
その時点から、南昌蜂起の決議案で叫ばれていた「土豪劣紳殺し」が、毛沢東たちの手によって本格的に展開されていった。
その時、毛沢東たちは「打土豪、分出地(土豪をやっつけて耕地を分配する)というスローガンを掲げて農村革命の基本政策としていた。
そのための具体的な「行動方針」として打ち出したのが「一村一焼一殺、外加全没収」というものだ。
「一つの村では一人の土豪劣紳を殺し、一軒の家屋を焼き払い、加えて財産を全部没収する」という意味である。
つまり、農村地主や素封家に対する殺戮と略奪が、毛沢東ら紅軍による「革命」の主な内容だったのだ。
その際、紅軍の連携する対象はいわゆる「地痞流氓」、つまり、農村社会のならず者やゴロツキの類である。
紅軍の元高級幹部だった龔楚(きょうそ)という人物が、自らの体験した「一村一焼一殺」の実態を書き残している。
彼は紅軍から離脱して上海へ逃げ、そこで『私と紅軍』という書物を出版した。
その中で龔楚は「一村一焼一殺」のやり方を実例とともに紹介している。
「われわれ(紅軍)は未明のうちに村に近づき、まず村全体を包囲し、夜が明けるのを待つ。朝になると、事前に味方につけていた村の地痞を案内人に使って、その村の地痞流氓全員を呼びつけて集合させる。彼らから村の地主の詳細な情報を得て、彼らにこれから取るべき行動の手順を教えてやる。地主の家族がみな揃って朝飯を食べる時間を見計らって、われわれは行動を開始する。まず地痞たちと一緒に地主の家に乱入し、家族全員を1ヵ所に監禁してから、すぐさま家全体の捜索を行う。金銀の塊、地契(土地の所有証明書)、現金の三つがまず確保の対象となる。それらが見つからない場合、家の主人を別室に連れ出して尋問し、隠し場所を聞き出すのである。吐かない時は当然、激しい拷問をする。それでも囗を閉じている場合、『吐かなければお前の家族を全員殺すぞ』と脅しをかける。それでたいてい、目当てのものは全部手に入る。金銀の塊と現金は、われわれ紅軍のものとなる。それ以外の家財道具は、協力してくれた地痞たちにくれてやるのがしきたりである。
この稿続く。