文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「駐留するけど防衛の義務は負わない」、これがのちに吉田茂が独りでサインした吉田安保だ。それを「駐留するなら防衛の義務を負う」と改めたのが、岸信介が結んだ六〇年安保で、何の不都合もなかった

2019年07月21日 09時39分53秒 | 全般

祖父から孫に伝わるもの…偉大な祖父の見識は孫に伝承される
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は米国が日本に与えた憲法はローマ帝国がカルタゴを滅亡させたときに取った命令に倣ったものである事を教えてくれている。
朝鮮戦争が勃発した途端に(共産主義国家の実態、朝鮮半島の実態を初めて知った)米国は180度態度を変えて吉田茂に日本の参戦を強く依頼した。吉田は彼らが丸腰にした日本であるとして言わば初めて米国に肘鉄を食らわせた。この時、ダレス長官は吉田の出方を予想して、天皇を政治利用する二面作戦を取った事を、月刊誌Hanadaでわが母校の敬すべき先輩である堤堯氏は教えてくれている。
その中にこの稿の主題である祖父から孫に伝わるものについて極めて重要な事例があるのである。
前文省略
かつてこんなことがあった。朝鮮戦争が起こって、ダレスは吉田茂に再軍備を要請した。日本の戦力を使役したいからだね。吉田は言を左右に一向に応じない。 
そこでダレスは、昭和天皇に近い松平康昌、渡辺武(大蔵官僚)らを集め、彼らを通じて「天皇外交」を試みる。一種の二元外交だ。
その際、彼らを前にダレスは言う。
「トルーマン大統領のメッセージをお伝えする。『わがアメリカは勝者の権利として駐留する。しかし、駐留はするが日本を守る義務は負わない』。これが大統領のメッセージだ」 
渡辺の回想録に出てくる話だ。
「駐留するけど防衛の義務は負わない」、これがのちに吉田茂が独りでサインした吉田安保だ。
それを「駐留するなら防衛の義務を負う」と改めたのが、岸信介が結んだ六〇年安保で、何の不都合もなかった。
後略。
私は以前に岸信介は朝日新聞が広めて来たような妖怪などとは正反対の、当時の日本で最優秀な頭脳を持った偉人であると書いた。
満州国の首都が当時の世界で最も美しい街だったとの知見が岸氏が内務官僚として満州国の運営に携わっていた事実と重なった時に確信したからなのだが。
堤氏が教えてくれた事実は岸信介が私の確信以上の最高の政治家だった事を明らかにしている。
最高のリアリストとして常に本質を見抜く頭脳…安倍首相が、この最も大事な資質を受け継いでいる事は、もはや世界が知る事実である。
だが、言わば極めて単純な事実を当時最高学府で学んでいた学生達の誰一人として知らなかった。
戦後最高の学者だった西部邁氏は、当時、東大生として全学連の中心メンバーの一人だったが、この事は全く知らずに安保反対を叫んでいた事を告げ、岸信介は全く当然の事をしたと認めている。
当時の安保反対と言っていた人間達の全員が、こんな単純な事実を知らなかったのである。
岸信介の政治家としての、これ以上ない見識が、彼の「国民の声なき声に耳を傾ける…」発言と、昭和天皇が心から彼を敬愛していた所以を私が永遠に愛する母校の先輩から教えて頂いた事ほど有難い事はない。
愛知揆一氏はわが母校を一番で卒業し東大法学部も同様の成績で卒業して大蔵省で事務方の最優秀選手として国の財政運営に携わった。自他の意思が働いて、その能力を日本国の政策立案決定に生かすべく自民党の政治家になった。
彼が大臣を歴任していた時、母校の体育祭に挨拶に訪れた彼を私は二度直に見ている。
その愛知揆一の天下国家を見る目は、愛知治郎が、例え婿養子であったとしても、常に、偉大な祖父の見識は孫に伝承されるものなのである。


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