私の課長時代 脱税疑惑で課員まとまる…日経新聞7月3日13面より
ファミリーマート社長 上田準 二氏
ファミリーマートの上田準二社長(64)は、伊藤忠商事時代の1993年、部長代行兼畜産第2課長に着任した。今度の難題は豚肉。税関当局に脱税を疑われたのだ。
当局が内偵に入り、5年前まで遡って豚肉の輸入申告を調べられました。課長着任前の話ですから、どんな取引をしていたか知る由もない。間か悪いことに畜産部は相場商品で大きな欠損を出したばかり。
「また畜産で不始末か」。税関の目が厳しくなると他の輸入業務にも関わります。課員に「本当に脱税したのか」と尋ねましたが、全員がきっぱり否定する。
上司に呼び出され「どうなんだ上田」と迫られる。追徴に早く応じるべきだとの声もありました。しかし会社としては払えば済んでも、うちの課員の将来は閉ざされます。「徹底的に争わせて下さい」と答えました。
問題視されたのは台湾との取引だった。国内の畜産を保護するため、豚肉には基準輸入価格があります。低価格で輸入すると、基準価格との差額を関税として納める必要かおる。畜産2課は、台湾の支店と組んで輸入価格を不正に引き上げ、税金を免れたと疑われたのです。
我々はそれぞれ利益をどう出すかを考え、「課が違えばマンションの隣人程度」の意識です。海外の支店相手でも安ければ買う、高ければ買わない。輸入価格は「原価に現地の経費と利益を乗せた正当なもの」と当局に主張しました。「出頭要請」を受けたときは「我々は犯罪者じゃなく協力者だ」と拒否しました。
争いは約1年続いた。社内で後ろ指をさされる状況で、課員は一丸になって燃えた。5年にわたる先輩や自分の業務プロセスを膨大な資料にまとめ、「これは負けないかも」 「いや絶対に勝てる」と自信を深めていきました。
2月から争い続けて再び冬を迎え、正月が明けました。当局の呼び出しに部下を代理で送ると、こう報告してきました。「先方のトップが本当に残念がっていました。『上田さんに直接、調査終了と言いたかった』と」。
我々に非はないことが認められたのです。
2000年、伊藤忠商事が筆頭株主となったファミリーマートに転じる。数千の店主が集まるフランチャイズチェ
ーン(FC)に、波乱の課長時代に培った「一体感」を持ち込んだ。
コンビニ業界では「加盟店同士は交流させない」が常識でした。本部に苦情を持ち込まれるのが怖いからです。それでは求心力は生まれない。各地で加盟店のオーナーさんと対話する政策発表会を始めました。
東日本大震災が起きたのは、仙台市での発表会の真っ最中。自分の店が津波で流されたのに、スーツ姿で半壊した別の店を手伝った方もいる。絆を感じました。苦しいときこそ、肩を落とさず皆で胸を張る。
その方が困難を早く乗り越えられることを体験してきました。今こそ加盟店の皆さんを支援し、共に成長していきたいと思っています。
ファミリーマート社長 上田準 二氏
ファミリーマートの上田準二社長(64)は、伊藤忠商事時代の1993年、部長代行兼畜産第2課長に着任した。今度の難題は豚肉。税関当局に脱税を疑われたのだ。
当局が内偵に入り、5年前まで遡って豚肉の輸入申告を調べられました。課長着任前の話ですから、どんな取引をしていたか知る由もない。間か悪いことに畜産部は相場商品で大きな欠損を出したばかり。
「また畜産で不始末か」。税関の目が厳しくなると他の輸入業務にも関わります。課員に「本当に脱税したのか」と尋ねましたが、全員がきっぱり否定する。
上司に呼び出され「どうなんだ上田」と迫られる。追徴に早く応じるべきだとの声もありました。しかし会社としては払えば済んでも、うちの課員の将来は閉ざされます。「徹底的に争わせて下さい」と答えました。
問題視されたのは台湾との取引だった。国内の畜産を保護するため、豚肉には基準輸入価格があります。低価格で輸入すると、基準価格との差額を関税として納める必要かおる。畜産2課は、台湾の支店と組んで輸入価格を不正に引き上げ、税金を免れたと疑われたのです。
我々はそれぞれ利益をどう出すかを考え、「課が違えばマンションの隣人程度」の意識です。海外の支店相手でも安ければ買う、高ければ買わない。輸入価格は「原価に現地の経費と利益を乗せた正当なもの」と当局に主張しました。「出頭要請」を受けたときは「我々は犯罪者じゃなく協力者だ」と拒否しました。
争いは約1年続いた。社内で後ろ指をさされる状況で、課員は一丸になって燃えた。5年にわたる先輩や自分の業務プロセスを膨大な資料にまとめ、「これは負けないかも」 「いや絶対に勝てる」と自信を深めていきました。
2月から争い続けて再び冬を迎え、正月が明けました。当局の呼び出しに部下を代理で送ると、こう報告してきました。「先方のトップが本当に残念がっていました。『上田さんに直接、調査終了と言いたかった』と」。
我々に非はないことが認められたのです。
2000年、伊藤忠商事が筆頭株主となったファミリーマートに転じる。数千の店主が集まるフランチャイズチェ
ーン(FC)に、波乱の課長時代に培った「一体感」を持ち込んだ。
コンビニ業界では「加盟店同士は交流させない」が常識でした。本部に苦情を持ち込まれるのが怖いからです。それでは求心力は生まれない。各地で加盟店のオーナーさんと対話する政策発表会を始めました。
東日本大震災が起きたのは、仙台市での発表会の真っ最中。自分の店が津波で流されたのに、スーツ姿で半壊した別の店を手伝った方もいる。絆を感じました。苦しいときこそ、肩を落とさず皆で胸を張る。
その方が困難を早く乗り越えられることを体験してきました。今こそ加盟店の皆さんを支援し、共に成長していきたいと思っています。