Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

フロントの少女

2005年01月26日 | Days

 中国に行っていたときのある晩、僕らはホテルの中にある大浴場に行くことにした。その日は上海から車で4時間以上離れた場所にある工場を見学し、そこからさらに1時間くらいのところにあるそのホテルに泊まることになっていた。街灯もない山の中のホテルで、闇の中でそのホテルの明かりだけが周囲に心細く浮かび上がっていた。まるで昔話の山姥が出てきそうな場所だった。

 そこは中国にしては珍しい温泉の出るホテルで、その特徴を最大限に活かすべく別棟に大浴場が設けられていた(他にもビリヤード場やカラオケやディスコ、それにインターネットバーなどがあった。温泉を軸にした総合遊戯施設のような場所だったのだ)。
 大浴場は後払いで、中にはプールがあり、他にも垢すりやマッサージなどができるようになっていて、ロッカーのキーの番号でどのサービスを受けたのかがカウントされ、最後に精算をするようになっていた。中ではそれぞれの係がまるでチェックポイントの中ボスのように「プール、プール」とか「マサージ、マサージ」と連呼していて、入浴客をしきりに勧誘していた。

 僕はサイフを部屋に置いてきたという先輩に入浴代を貸すという約束をしていて、その先輩より早く大浴場を出た。
 大浴場が閉まる時間だったこともあって、ロビーには他の客の姿はなかった。女の係員が2名いて、中国が通じないことがわかると、片方がカタコトの英語で話しかけてきた。カタコトの単語なら聞き取ることができるので料金がわかり、その分の元を支払う。そして、ロビーにある椅子に座って、先輩が戻ってくるのをぼんやりと待っていた。

 そこには細長いカウンターがあり、待合所のようなソファーが置かれたコーナーがあり、僕が座っている一人用の椅子が十以上並べられたコーナーがあった。ソファーの近くには新聞紙が何部か置かれ、照明はほとんどが落とされ、ダウンライトだけが淡く周囲を照らしていた。何かを落としたら、その音が遠くまで響いて聞こえるような静けさがあった。

 女の子の1人は銀行員のような制服を着ていて、もう1人はピンク色のカジュアルなコートを着ていた。おそらくはもう仕事が終わって、もう1人の仕事が終わるのを手伝いながら待っているみたいだった。2人ともまだ20歳にはなっていないように見える。そして、大浴場の方から次々と男が出てくる。彼らは風呂場の係員らしく、仕事が終わった者から、フロントの裏側にある係員用の部屋に戻っているみたいだった。そのときに男たちはフロントの女の子たちに軽口を叩き、2人も笑いながら言葉を返したり、ときどきは声を荒げて怒ってみせたりしていた。

 それからまだ残っていた他の客がフロントで支払いを済ませ、制服を着た女の子の方も、コートを着た方も、手際よく働いていた。それからまた別の男がフロントに戻ってきて、やはり同じように軽口を叩く。ピンク色のコートを着た女の子は、笑いながらその男の背中にチョップを繰り出していた。男は「おいおいよせよ」というようなことを言って、笑いながら奥へと消えていく。

 他にすることもなかったので、僕はずっとその様子を見ていた。
 そして、この場所をおそらく僕は二度と訪れることはなくって、この人たちを二度と見ることもないのだと思っていた。そう思ってみると、なんだか自分が映画のワンシーンを垣間見ているような気がした。たとえばこのピンクのコートを着た女の子は十八歳くらいで、この大浴場の仕事をしながら、たくさんの兄弟姉妹を養うのに一役買っているのかもしれない。都会に出ることに憧れながら、少しずつお金を貯めているのかもしれない。もしかしたら一緒に働いている男たちのなかの一人と恋人同士で、仕事帰りには自転車で送ってもらったりしているのかもしれない。もう一人の女の子とは親友同士で、仲がよいのかもしれない。あるいは都会へ出た恋人が迎えに来てくれるのを待っているのかもしれない。

 そんな、まるでよくあるアジア映画のようなストーリーをぼんやりと考えていた。
 けれどもこれは現実だ。実際には想像を超える現実があるのだと思う。けれども、笑顔を見せて深夜のフロントで働いているその女の子には、少なくとも不幸な結末は待ってはいないような気がした。もちろん、そんなのは根拠のない思い込みだということはわかるけれど、それでもそんなふうに思えたのだ。

 中国との時差はマイナス1時間。日本と同じくまだ深夜の中国の、ある地方都市の山の奥にあるホテルで、いまもあの女の子はピンク色のコートを着てフロントに立っているのかもしれない。同僚たちと、軽口を叩いて笑っているのかもしれない。
 けれども、僕はもう二度とあの場所を訪れることはない。
 それでも、垣間見た光景をこうやって文章に残しておくことで、僕はその場所のことを思い出すことができる。いつかすっかり忘れてしまったとしても、文章を読み返すだけであの夜の薄暗いロビーやフロントの少女を思い返すことができる。

 この広い世界で垣間見ることができる光景はほんのわずかなものでしかないけれど、小さな光景が蓄積されていくことは、決して意味のないことではないと思う。
 少なくとも、個人的には深夜に深々と雪が降るように、そんな光景が記憶の中に積もっていくことは大切だし大事なことだと思う。


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