映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

噂の女 (溝口健二 大映  1954年6月20日 84分)

2012年12月06日 02時18分20秒 | 溝口健二
監督  溝口健二
企画  辻久一
脚本  依田義賢
    成沢昌茂
撮影  宮川一夫
美術  水谷浩
衣裳  長谷川綾子
編集  菅沼完二
音楽  黛敏郎
助監督 弘津三男

出演
馬淵初子.....田中絹代
馬淵雪子.....久我美子
的場謙三.....大谷友右衛門
原田安市.....進藤英太郎
お咲.......浪花千栄子
千代.......峰幸子
桐生太夫.....阿井三千子




彼女は、母親を頼らず生きていける人間に成長していました.けれども、自分と同じ年頃の娘が、体を売って稼いだお金に頼って生活していました.彼女が悩んだように、自分の力で生きて行ける人間が、体を売ったお金で生きている行為は卑怯な事と言わなければなりません.

医者と母親
医者の男は、自分の力で食べて行くのに困った訳ではありません.自分の病院を持ちたいという欲望を、自分の体と引き換えにお金を得ることによって実現しようとした卑怯な男でした.
そして、母親も、若い男をお金で自分のものにしようとした行為は卑怯と言えます.

家庭の事情で、芸者置屋に売られて、身を売ることになった女たち.
身を売ることは、決して自慢できることではない、恥ずべきことなのなのかもしれませんが、けれども彼女たちが卑怯な生き方をしているわけではありません.

母親は優しい女将さんであり、芸妓達に慕われていました.そして、芸妓たちは彼女を頼りにしなければ、生きて行けませんでした.
娘は、母親が病に倒れて、母親の代わりに女将を務める道を選びました.それは、母親に頼らず自分の力で生きて行く道であり、そして、母親に代わって女将を務めるということは、芸妓たちに頼りにされることでもありました.
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簡単に言えば、
自分の力で生きて行くことが出来る人間が、身体を売らなければ生きて行くことの出来ない人間のお金に頼って生きて行くのは卑怯だけど、身体を売らなければ生きて行くことの出来ない人間から頼りにされる仕事は、卑怯ではない.







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