映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

女性の勝利 (溝口健二)

2019年07月02日 08時53分35秒 | 溝口健二
『女性の勝利』
公開年月日 1946年4月18日
上映時間 84分

監督  溝口健二
製作  月森仙之助
脚本  野田高梧
    新藤兼人
撮影  生方敏夫
美術  本木勇
音楽  浅井挙曄
照明  加藤政雄
編集  杉原芳子
助監督 酒井辰雄

配役
細川ひろ子..........田中絹代
姉・みち子..........桑野通子
朝倉もと............三浦光子
山岡敬太............徳大寺伸
母・とみ............若水絹子
石田時枝............風見章子
裁判長..............奈良真養
河野周一郎..........松本克平
ひろ子の母..........高橋豊子
水島検事............長尾敏之助
もと母..............紅沢葉子
ひろ子の妹..........内村栄子
医師................保田勝巳
看護婦..............河野敏子
女中................谷よしの
学生................大坂志郎


封建制社会においての女性は、その人間性の無視、奴隷的境遇が強要され、男性への奉仕が義務であり美徳とされた.
そうした男尊女卑の社会から脱皮して、基本的人権を尊重し、女性の権利を向上して、男女平等の社会を実現する、そうした希望の元にこの映画は製作されたと思われる.

司法の民主化
法の定規に当てはめた形式一点張りを脱皮し、人を罪するが目的でなく、人を愛し人を救うことこそが真の裁判であろう.
司法権は、法律は、民衆の敵であってはならない.
.....と口で言うのは簡単であったのだが.....


ミズーリ号艦上に置ける降伏条約調印、その前に行われた、自由平等平和を唱えるマーッカーサーの演説は、素晴らしいに尽きる.
けれども現実のマッカーサーとは、どんな人間だったのか.....
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本間雅晴
本間雅晴は、マッカーサーをフィリピンから追い出した日本軍の司令官でした.
山下奉文は、敗戦時のフィリピンの司令官でした.
マッカーサーは本間雅晴、山下奉文を軍事裁判で死刑にして報復しました.
(本間雅晴、山下奉文、二人ともアメリカ人弁護士がアメリカ本国での上告審の請願を行ったが却下された)

死刑執行前に、本間雅晴の妻が、アメリカ人弁護士に付き添われて、マッカーサーを訪ねた出来事がありました.
その出来事が『マッカーサー回想録』には、『大和撫子が夫の命乞いに来たので会ってやった』と、こんな感じで書かれているそうです.

現実の出来事は、
『裁判記録を読んでから、判決文にサインをして欲しい』>>(最初から死刑にするつもりで茶番の裁判をしたのだから、裁判記録を読むつもりはないだろう)
『裁判記録の写しが欲しい』>>(この出来事は、絶対に忘れない)

マッカーサー 『私はあなたに指図を受ける立場にはない.帰れ』
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個人的な報復のために、インチキの裁判をすることを当然なことに思っていたマッカーサーにとって、『女性の勝利』は、最も嫌うべき映画であったであろう、そう思われてなりません.


マッカーサーはアメリカに戻って大統領になるつもりだったので、初めの頃はアメリカの選挙民を意識して、日本の民主化を支持していたのですが、彼の大統領の可能性が無くなると、反対に日本の民主化の動きを弾圧するようになりました.
『女性の勝利』で、溝口健二はGHQに脅されたのではないかと、私は思えます.

サンフランシスコ講和条約
1951年9月8日調印
1952年4月28日発効

『西鶴一代女』
公開年月日 1952年4月17日

『西鶴一代女』は、古典の作品にRAA特殊慰安施設協会の慰安婦を描き込みました.慰安婦、アメリカ兵の間で性病が蔓延し、多くのアメリカ兵が性病をお土産にして帰国したので、アメリカで社会問題になった出来事でした.
ルーズベルト夫人を中心とした夫人団体が問題にしたので、マーッカーサーにしてみれば思い出したくない出来事だったと思われます.
講和条約発効日より公開日が少し早いですが、この頃ならば、ばれたにしてもGHQに捕まることは無かったでしょう.
この作品から、また溝口らしい映画が再開されました.


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