電車の中で結構年輩の人がノートの上に赤いしたじきを
かぶせたり、外したりして一生懸命何かの勉強していた。
その時ふと思ったのが、
「私たちの頭の中にも
赤いしたじきがあって、
大切な答えの部分が見えなくなっているのでは?」と。
いつも見えているのは、
「ワタシはいったい何をしたいの?」とか
「どうして自分だけ、こんな……?」
「人とのコミュニケーションどうしてこんなに苦手?」
「何のために生きてるの…?」みたいな疑問文ばかり。
知りたい答えはどこにもない。
それでも、何げに見てると一瞬ぱらっとめくれたりする。
それが「あっ!そうだったんだ」というように
何かに気づいてしまう時なのかも。
この赤いしたじき、だんだん薄く透明感のあるものに
していきたいと思いながら
現実は逆行しているかも。
かぶせたり、外したりして一生懸命何かの勉強していた。
その時ふと思ったのが、
「私たちの頭の中にも
赤いしたじきがあって、
大切な答えの部分が見えなくなっているのでは?」と。
いつも見えているのは、
「ワタシはいったい何をしたいの?」とか
「どうして自分だけ、こんな……?」
「人とのコミュニケーションどうしてこんなに苦手?」
「何のために生きてるの…?」みたいな疑問文ばかり。
知りたい答えはどこにもない。
それでも、何げに見てると一瞬ぱらっとめくれたりする。
それが「あっ!そうだったんだ」というように
何かに気づいてしまう時なのかも。
この赤いしたじき、だんだん薄く透明感のあるものに
していきたいと思いながら
現実は逆行しているかも。