「イク」と「coming」の人類学

2022-04-22 11:30:00 | アホリズム
先日中学時代の友人三人と飲んだ時、「なぜ日本語ではオーガズムを『イク』といい、英語では反対に『coming』というのか?」なる疑問が呈された。思うにこれは中二病人類学的問いであり、しばしその問題について考えていたところ、私は次のような閃きをえた。


かつてエリアーデは、シャーマニズムを「脱魂型」と「憑依型」に分類した。すなわち、所定の儀礼によって異世界へ己の魂を解き放ち、そこでこの世ならざるものと邂逅するのが前者で、逆に異界の存在をうつしよの我が身に憑依させる、すなわち「降ろす」のが後者と言えよう。この理解からすれば、いわゆる「イク」というのは脱魂型の現象であり、「coming」というのは憑依型のそれになぞらえることが可能である。


これは、ひとりシャーマニズム的なアナロジーだけにとどまらない。たとえば、言語学の側面から人間の感情を表す言葉について考えてみよう。


日本語では、基本的に「人が驚く(興奮する、イライラする、喜ぶ)」などと表現され、「人が驚かされる(興奮させられる、イライラさせられる、喜ばされる)」という物言いは(なるほど理解できなくはないが)些か違和感を覚えるものである。つまり日本語においては、対象に感情が動く、いわば「人間(の感情)→物・事・人」というベクトル(世界観)での思考が通例となっていると言えよう。


これに対し、英語では「驚く」をbe surprised、「興奮する」をbe excited、「イライラする」をbe annoyedなどと、いわゆる「受身」の形で表現する。その理由はsurpriseが「驚かせる」、exciteが「興奮させる」という具合に、元が「人を~させる」という意味合いの単語になっているからだ。


別言すれば、そこには「人間(の感情)←物・事・人」という理解、すなわち外部的な何かによって人間の感情が動かされる(無から有は生まれない)という日本語とは対象的な世界観が背後に横たわっているのである。


以上のような理解に立って日本語と英語の違いを考察してみるに、エクスタシー(無上の快楽)という感覚的状態に対し、日本語では脱魂して異世界に向かっていく(人→物・事)のであるから「イク」になるし、英語ではそれが異世界から我々の元に降りてくる(人←物・事)から「coming」になるのだ、と言えよう。


Q.E.D


written by Tou・Teki(1919~1974)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宇喜多直家とその虚像:軍記物... | トップ | いわゆる「『イク』と『comin... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アホリズム」カテゴリの最新記事