上五島の南西にある若松島から対角線に原付を走らせ、北西端にある頭ヶ島に到着。
頭ヶ島は元々病人の療養地であり、そこに仏教徒の開拓指導者の元で信仰を秘匿しながら移住して共同体を形成したのだという。その来歴に違わず、まさに「隠れ里」といった佇まいをしている。
駐車場へ移動。山上から見た雰囲気と、まるで海水浴場のような景観のギャップがすごい😆
受付で予約の確認をされ、名前を告げて奥の天主堂へ。ネットでは2日前までの予約のみ可となっていたが、どうも当日申し込みも可能ではあるらしい。ただ、混雑状況とかによるのかもしれないので、HPの案内通りに予約していくのが無難だろう。
天主堂を正面から撮った写真。ロンバルディア帯、ドーム型屋根などで構成されたその姿は、石造平屋であるためか、ロマネスクの気風を感じさせる。なお、元々塔はなくて途中で付け足されたため、やや無理のある構造になっていることなども受付の図で解説されていた(なお、例のごとく堂内は撮影不可のため写真は存在しない)。
付設された司祭館も軽く見た後、駐車場へ戻る。
やはりこの開けた美しい景色と、隠れ里的な来歴、そして荘重な天主堂のギャップがどうも自分の中で整合せずに少し混乱した状態であるが、
この墓を見た時、その印象は決定的になった。通りからでもよく見渡せる墓石とあでやかな紫の花の二つが、どうも不思議な心持ちにさせる。それはあたかも、せめて眠りについた後は、美しい海を見ながら安らかに眠れとでも言っているかのようだ。墓地や霊園というものはどこか静謐さや陰影を感じずにはいられない場所だが、ここではなぜか楽園の入口のように見受けられるのである。
自分の中ではmotherというゲームで見たマジカントを思わせた。
この印象が正しいのであれば、それはある種「胎内」を連想させる何かがあるということだろうか・・・?
まあ胎内(回帰)はともかく、この墓地に感じる意外な印象派、眼前に広がるとにかく圧倒的に美しい海も関係しているのだろう(秘匿される墓地と違い、とにかく開放的で明るい)。
ただそれは、閉鎖的な集落で生きざるをえなかった人々に対するせめてもの餞として、海の見える見晴らしのいい場所を選んだということなのかもしれない。
そんなことを思いながら、頭ヶ島を後にした。
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